伍ノ弐夜 居場所
生きてた頃は黒いおかっぱ頭。目が覚めてからお水の色に変わっていた。宝守神社はゆきんこみたいなおにんぎょがいっぱいいて、お友達になりたくて家を離れ、そこに住み着いた。だけどそこにはとっても怖い鬼巫女がいて、ゆきんこは怒らせないよう隠れておにんぎょと遊んでいたけど——
「こらっ、人形は動かさない」と怒られて、没収された。
怖くて逃げ出したゆきんこだったけれど、おにんぎょがどうなったか気になって影から様子を覗き、鬼巫女がおにんぎょに牡丹を飾るところを見た。——怖い人じゃないのかも。そう思ってから、巫女は怖い人じゃないと知って、ゆきんこは初めての勇気を出した。「家族になってください……」
「何言ってんの?ウチら、ずっと家族っしょ?」
寧丸は、ゆきんこが住み着いてからずっと家族だと思ってたみたい。ゆきんこは、その日初めて嬉しくて泣いた。
ゆきんこは、寧丸のお手伝いが好きだった。それで寧丸が楽になるのも、褒めてくれるのも、ぜんぶ好きな理由。
「ゆきんこ。料理代わってくんない?」
お料理——初めてだけど、ゆきんこがいつも言ってる「おいしい」を、今度は寧丸が言ってくれる。ゆきんこが頑張って作ったご飯を寧丸が食べてくれる。それを考えただけでみなぎってきた。
寧丸が料理の時に巻いてる三角巾を見よう見まねで頭に結んで、長い前掛けを腰に結ぶ。準備できた!
台所は静かで薄暗くて、寧丸が料理している時とは違う場所に見えた。ひっそり置かれたかまども流しも、前まで活き活きしていたのに。ゆきんこは、その横に置かれた石臼の取っ手部分を恐る恐る握った——
——ごめんね、ゆきんこ。ごめんね……
大好きなお父さんお母さんの声が恐怖と一緒に蘇って、心臓が嫌な音を鳴らす。
「——ゆきんこ?
心配で見に来たけど、石臼の使い方とか……」
寧丸!寧丸!たすけて!台所に怖いのがいるの!
「ゆきんこ?」
寧丸の声が聞こえた途端、ゆきんこは一目散に寧丸の後ろに隠れていた。虫でもいたのかな……と呟くのが聞こえた。
「ちょっと待ってて」
寧丸はそう言ってゆきんこから離れていく。薪を入れるための空洞や羽釜の中身を確認する。
寧丸!早く戻ってきて!寧丸がたべられちゃう!
「何もいないよ、ゆきんこ——」
——ごめんなさい!ごめんなさい!ゆきんこ良い子になるから!もっと頑張るから!ゆきんこを隠さないで!
ゆきんこは、気がついたら地面にうずくまって泣いていたみたいで、寧丸がそっと肩を揺すってきた。「ゆきんこ」と優しく呼ぶ声が頭上から聞こえて、涙でぐしょぐしょの顔をあげると、寧丸がおにぎりをくれた。
ほかほかなおにぎり……。寧丸の優しいほかほかと、ゆきんこの氷が溶けたあとのほかほかが集まってる気がした。
——ゆきんこの、いちばん大好きな思い出。
☽
ゆきんこはお父さんお母さんと寧丸しか人を知らない。神社にくる参拝客という人たちや寧丸と一緒にお仕事してる人は目にするけど、いつも怖いから遠目で見てるばかり。
そんな中、入佳に出会った。
「いるか……魚?」
「いいえ。『ハイル』に『カ』と書くの。この『佳』は美しい、おめでたい、という意味を持つのよ」
入佳のための漢字だと思った。だって入佳は、いつもどこかのお姫様みたいな話し方をするから。歩く姿もとっても綺麗。優しくてカッコよくて大好きなお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんにはお友達がいて、成って人だった。おにんぎょさんと同じ匂いがするのに、喋り方と笑わないお顔がちょっと怖い人。でも、入佳の隣にいる人だから悪い人じゃないのは分かってた。ふたりとも仲良しで、いいな、ゆきんこも輪に入ってお喋りしたいなって思ってた。
ゆきんこも、入佳のお友達に——。
台所の引き戸をちょっと開いて中を覗く。静かで薄暗くて怖い場所。寧丸は慰霊祭の準備で忙しいから、きっと今日は助けに来てくれない。でも、ゆきんこはおにぎりを作る。
台所の地面はとっても硬い土でできてて、重くて、冷たくて——
怖い!怖いよ!ゆきんこをたすけて——!
台所に折角足を踏み入れたのに、ゆきんこはいつの間にか引き戸に隠れてうずくまっていた。ゆきんこはやっぱり、おにぎりなんて作れないのかな。でも、入佳にすごい、ありがとう、って言われたい。もっといっぱい甘えたい!
足がすごく重くなってて、ぷるぷる震えて立つのも大変だった。けど、その足を動かして、動かして、破けた米俵からお米を掬いとった。
「……ゆきんこ」
いつの間にか台所を覗いていた寧丸がゆきんこの背中に声をかけた。寧丸みたいなツヤツヤのおにぎりは作れなくて、涙をこらえて振り向いた。けど、その手にこぢんまり乗ったおにぎりを見た寧丸は——ゆきんこの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「よくやった」
ゆきんこは、初めて作れた初めてのおにぎりを、入佳にあげた。
今度は成にもあげよう。
そのときは、もっと上手にできるかな。
☽
月見は……と話をきりだす。同居人が植えた背丈の高いススキは庭中に広がって、風に揺れると一斉に草の擦れる音を奏でてのんびり揺れる。それにしても、植えすぎだ。
「なぜ兎が出てくるんだ」
「月を見ると兎が餅をついておるからじゃ」
そう言われて月を見る。円が真っ二つに割れた様な上弦は、とても兎がいるようには見えない。
「どこにいるんだ?」
「百年前は見えておったんじゃよ」
縁側に置かれた三方から柔らかく艶のある餅をひと摘みすると、たったひと口で放り込む。僕はひとつの餅をさんくちで食べきった。
「ワシにも原因は分からんが、烏夜国に朝が来なくなってから月は満ちることをやめてしもうて。満ちた月を満月というのは知っておるかの」
「万から聞いた」
次の餅に手をつけた。万が食べ進めるのが早いせいで、そんなに食べていないのにもう半分もなくなっている。正直今はそっちを問い質したい。
「満月になると月に兎が映るんじゃ」
僕が詩人なら、兎が白い月を餅と見間違えて、半分食べてしまったんだ、とか呑気に言えただろうが、真っ先に浮かんだのはいつかの万の言葉だ。
——月とは、怪奇と同じ妖力を持つ冥界の神。
満ちることをやめた冥界の神は、今何を思っているのだろうか。
ススキをかき分ける騒がしい音が思考を遮った。段々近づいてくるそれに怪しさはなく、寧ろ親しみを覚える。なのに嫌な予感が拭えないのはなぜだろう。
「成さん!万さん!」
ススキから焦って飛び出してきたのは、入佳だった。余程の事態でもあったのか、いつも気を遣っている着物は泥で汚れていた。
「何があった?」
食べかけの餅を平皿に置き、腰をあげると、入佳の瞼から涙が溢れ出た。
「どうしましょう。ゆきんこちゃんが……怪奇に——」
怪奇に攫われた——。動揺しながらも入佳が伝えてきたのはそんな意味だった。
「怪奇の姿は覚えておるかのう」
「ごめんなさい……あたしも怪奇の姿までははっきり覚えていなくて……でも、向かった先は覚えているわ」
「案内しろ」
入佳がススキの中を進んでいくのを、僕らも見失わないよう追いかける。街をぬけ、山を登る。使われなくなった山道をずっと辿っていった先には、ずっと昔に捨てられた白い古城が佇んでいた——
「本当にここか」
「ええ。暗かったけど、こっちに飛んでいくのが微かに見えたの」
「なるほどのう。飛ぶ怪奇か」万は考える素振りをする。
念のため空を見上げると、月は変わらず白の上弦だった。強い怪奇の仕業でないことには、ひとまず安心できる。
「うへぇ……中にうじゃうじゃおるぞ。
怪奇の巣窟じゃのう」
前言撤回かもしれない。強い怪奇一匹と大量に怪奇がいるのと、比較して、どちらも憂鬱なことには変わりない。
「急いで助けに行きましょう!」
我先にと城門に突っ込もうとする入佳を、袖を引いて制止させた。
「待て。中で変身する気か?」
「中に入れば、そんな暇などないじゃろうな」
我に返ると入佳はほんのり頬を赤らめて、照れくさそうに笑った。
「いやね……早とちりしちゃった」




