肆ノ肆夜 座敷わらし
たまたま、神社の近くを通り過ぎた。待ち合わせの時間より早くついたので、集合場所の付近を散策していたところだ。寄るつもりはなかったけど先日の成さんとの出来事を思い出して石段を登った。鳥居を潜って真っ直ぐ行った本殿の近くに、その子はいた。
てん、てんと手まりをつく小さな少女。周りはずっと静かでその子も手以外を動かさないので、手まりの音が夜の神社に響いて余計に大きく聞こえた。
あたしは鳥居の近くでそれを眺める。距離は少し離れていて、気づかれていないと思っていた。ふいに少女は消えてしまった。
気配に気がついて姿を隠してしまったか。それなら申し訳ないことをしてしまったかも。そう思って踵を返そうとした時だ。さしていた赤い番傘が、何かに軽くあたってわずかに揺れた。その背後からまたてん、てんと音がする。振り向いてみるとすぐ後ろで少女が手まりを持ちながらあたしの番傘を見上げていた。構わず、手まりは傘にぽん、と投げられる。今さっきと同じような振動が傘に伝わる。傘を伝って転がり落ちた手まりを拾い上げ、少女はまた鞠を投げる。
「もしかして——」
あたしは傘の根っこを持って少女の視線に傘の上が見えるようにした。そして両手でくるくると回すと「さあ、どうぞ」と誘ってみせた。少女はわずかに目を見開いたかと思うと、先程よりも全身に躍動をつけてぽん、と投げた。傘に飛び乗った小さな鞠は落ちることなくその上を駆けるように転がり、「どうかしら」と少女の顔をうかがうと、少女は手まりが転がる動きに合わせて手拍子を打つ。表情の代わりに全身を使って気持ちを表現してくれているみたいだ。その様子にこちらも楽しくなって思わず笑う。すると、傘は一定の動きが乱れて鞠を落としてしまった。鞠は地面を跳ねながら転がって、やがて鳥居のそばで静止したのを少女が拾いに行った。少女の一連の動作に満足した感じを覚えたあたしは、そのまま傘をさし直そうと持ち上げた。傘の裏側が視界を遮ってから再び鳥居が目に映るまでのその一瞬、また少女は消えてしまった。お開きかな、と思って「また遊びましょう」と告げて立ち去ろうとすれば、今度は本殿からぱたぱたと足音を鳴らして近づいてくる気配がした。今度はけん玉を両手にふたつ束ねてやってきて、うんと腕を伸ばして両方を差し出した。片方を貰うと、「早速遊びましょうか」と少女の願いに応えた。
☽
「あなたのことは、なんて呼べばいいかしら」
「……ゆきんこ」
高く可愛らしい声が少女の口から小さく聞こえた。けん玉遊びを終えて、お賽銭に続く階段に腰掛けて一緒に折り紙を作っている最中、ゆきんこちゃんというその子は手のひらより小さな奴さんを作り上げていた。
「ゆきんこちゃん、素敵なお名前ね」
女の子らしさと冷静な上品さを兼ね備えたお名前は、水色髪のその子にとてもよく似合っていて、そのころん、とした名前の響きの心地良さが相まって思わず名前を呼んでいた。けれど、いきなり名前を呼んでしまったせいで少女は頬を染めて俯いてしまった。困らせてしまっただろうかと、話題を変えようと周りを見渡した。お人形さんが変わらず置かれているばかり……けれどその中にはいくつか真っ白な牡丹が頭に乗せられたお洒落な子もいた。成さんと来た時まではそんな飾りなどなかった。
あたしはその光景をよく知っている。この神社は慰霊祭が近づくとお人形さんの頭に次々と牡丹が飾られていき、当日は神社全体が華やかに飾り付けられるのだ。
「ゆきんこちゃんも、お人形さんの牡丹を手伝ってあげているの?」
少女は驚いた様子であたしの方を向いた。「どうして?」と声がした。
「手先が器用なんですもの。だから、ここのお手伝いをよくしているのかなって思ったのよ」
「……ゆきんこは、まだ一個しかしてない」
少女はまた少し俯いて、自分で作った小さな奴さんに目線を落とす。その姿を一目見て、この子はとても優しい子なのだろうと実感した。その上、この子はすごく頑張り屋さんなのだ。
「ひとつでもそれは素晴らしいことだわ」
少女は俯いたまま、奴さんを両手に包んで温めてあげるように軽く握った。
「——入佳」
鳥居の方から声がして成さんと万さんの姿に気がついた。その途端に約束の時間を思い出して、なんて失態をしてしまっただろうと慌てて腰を上げた。
「ごめんなさい、あたしったら……!」
「いや、五分前だ」
「いつも入佳が着くのが早いからワシらも早めに着こうと来ておったんじゃが、いつも十分前には着いている入佳が見当たらなくてのう。成がここじゃないかと疑ったんじゃ」
二人は怒っていない。成さんは怒れば目が変わるし、万さんはすっと笑顔が消えるから。けれど、心配をかけさせてしまったのは事実なのだ。
「ごめんなさい」
「そう何度も謝らなくて良い。ところで、何をしておったんじゃ」
横には先程の少女の姿はなかった。二人が来たことに驚いて身を隠したのだろう。
「ええ、休憩をしていたの。ここは静かでしょう?」
「なるほどのう。——怪奇と一緒にか?」
間の抜けた声が自分の口から漏れた。もしかして少し前から様子を見ていたのかな、と思っていると成さんから背後を指さされた。ようやく、あたしの着物を後ろからぎゅっと掴む白い手に気がついた。
「——ゆきんこちゃん?」
☽
「座敷わらしじゃの」と万さんが教えてくれた。
「家に住み着く子供の怪奇じゃ。座敷わらしがいる家は大変栄える理由から、福の神との言い伝えもある」
万さんはゆきんこちゃんと目を合わせようとするけれど、ゆきんこちゃんはあたしの後ろに隠れて頑なにそっぽを向いてしまっている。成さんとは時折目が合うみたいで、その度に成さんの方がわずかに反応している。
「万、怖がられてないか?」
「ま、まあ元々大人の前には姿を見せないというしのう」
大人は自分よりもずっと大きくて怖いのかもしれないと、あたしはゆきんこちゃんの方に首を向けて「万さんは優しい人だから大丈夫よ」と声をかけた。ゆきんこちゃんは着物を離さないばかりか、もっと強く握ってしまう。
「ま。その子それぞれじゃの。苦手なものは仕方あるまい。
うり姫も待っているだろうから行くとしよう」
「ええ。じゃあまたね、ゆきんこちゃん」
成さんと万さんが来た道を引き返そうとしたので、あたしもゆきんこちゃんに別れを告げて二人の隣に着こうとした。その横をゆきんこちゃんも小股でいそいそと歩き始めた。あたしが足を止めると他のみんなも足を止める。そして、あたしはゆきんこちゃんの視線に合わせてしゃがむ。
「あたしたち、これからお仕事があるの。ゆきんこちゃんはお怪我しちゃうから、だから
——ごめんなさいね」
その一言がゆきんこちゃんにとってどれだけ恐ろしい一言だったのかは想像できない。けれどたった六文字程度の一言でゆきんこちゃんの顔がひどく青ざめたのは事実だ。小さな身体はあたしの身体を押し倒してしまう勢いで飛びついて、しゃくり上げながらしがみつき、あたしの肩を布越しに濡らした。
「やだ、やだ、ゆきんこ良い子にするから、ゆきんこ頑張るから……おいてかないで」
後ろから万さんのうなる声が聞こえて、あたしは助けを求めるように振り向いた。
「ええと、どうしましょう?」
万さんの困った顔が見えた。
しばらくうなっていた万さんは、思い詰めた様子もなく軽いため息を吐いた。
「今日は幸い、月も赤くないからのう。うり姫もおるし、おぬしは留守番で、そこの怪奇と遊んでやると良い」
「いいのかしら……?」
「こればっかりは仕方ないからのう」
泣きじゃくるゆきんこちゃんの髪を撫でながら、数回会話を交わして神社を去っていくふたりを見送った。しばらくそうしていると、泣き疲れた腕の中の子はいつの間にか眠って、辺りはいつもの静まり返った夜闇に戻っていた。
☽
それからあたしも少しウトウトして寝てしまったみたいで、うり姫さんの声に目を覚ました。あたしを見下ろしているその瞳は夜の中でも鮮やかで、赤く灯っているように映った。その赤とうり姫さんの頭上から見える月明かりの赤は同じ明るさを持っている。
「月が赤い」
うり姫さんの言葉から、真っ先に成さんと万さんの顔が浮かぶ。
あたしはゆきんこちゃんをお賽銭横の縁側に寝かせ、予備の羽織を被せてうり姫さんの金魚に腰掛けた。




