肆ノ弐夜 神社
炎と名付けた猫又について、入佳は色んな出来事を報告してくるようになった。入佳が泥水の溜まった道を歩きそうになったところを裾を引いて止めてくれたり、家の柱にささくれが立っていることを鳴いて教えてくれるのだそう。どれも些細なことだが、入佳は喜んでいた。
「やっぱり、怪奇と人は仲良くなれる気がするの」
そして今日。入佳はそんな事を打ち明けた。烏夜国には秋が訪れて、暑いと感じていた肌はいつの間にか少し寒いと感じていた。
「何回も襲われてるけど」
「でも、助けてくれる怪奇も沢山いるじゃない?炎ちゃんだけじゃなく、成さんのご家族や万さんだって、あたしたちの味方なのよ?」
あれから入佳は猫又を炎ちゃんと呼ぶようになった。猫又の名前を呼ぶ度、いつも嬉しそうに微笑んでいる。
「たまたまだろ」
「そんな事ないわ!きっと話せば分かり合えるはずよ。万さんにも相談してみましょう?」
☽
「——共存、といったか」
入佳がそれを口にした途端、万の笑顔が冷め、場の空気が張り詰めたのを感じた。
「優しいのは結構なことじゃ。しかしそんな幻想ごときに夢を抱けば、待っているのは破滅じゃぞ」
万の声から発されたとは思えない刺々しい言い方に、僕は少し驚いていた。つまり万は今、怒っているのだろうか。けれど、どうしてそのくらいで——
「でも、万さんはいつも優しくしてくれるじゃない。他にもそんな怪奇は沢山いるはずよ。だから、あたしたちの味方をしてくれる子を探してみましょう?例えばほら、あのお祭りにいた……」
「入佳」と言葉を遮られる。
「おぬしは今日から肉魚、卵も食うな、花火も打ち上げるなと言われてできるかの。
怪奇にはその怪奇の本能がある。おぬしはそれらを制限しようとしておる。さて、果たしてそんな権利があるかの」
「そんなつもりじゃ……」
「ワシらは怪奇が元いた居場所に帰してやってるだけじゃ。それの何に不満があるという」
「おい万」耐えかねて万の顔を覗いた。「そこまで言うか」
帽子で影ができているからか、それか僕の気持ちの問題か、万の目は余計に冷たく見えた。
ほんのしばらく睨み合っていただろうか。突然後ろから入佳の手が伸びて無理やり引っ張られた。
「それでもやってみないと。誰も悲しまずみんなで仲良くできる方法はきっとあるはずよ。行きましょう成さん!」
「……は?」
どこに行く気だ、と聞く暇もないまま万との距離は一方的に離されていく。見えなくなるまで何度か後ろを振り返ったが、万と目が合うことはなかった。
☽
「この道はさっきも通っただろ」
「あら?そうだったかしら」
最初から行く先なんて決まっていなかったのだろう。あれから五分もしないうちに僕らは同じ場所をぐるぐると回り始めた。
「入佳は何がしたいんだ?」
「怪奇と出会えたらいいなって思ったのだけれど……」
こうなって初めて、僕らが毎日怪奇と出会っているのは万が導いているからだと実感した。神様が総出で動くくらいだから沢山溢れている、というのは確かだろうが。
「……さすがに、神社の近くにはいないだろ」
「うーん……」
僕らの目の前には大きくて立派な赤い鳥居がそびえ立っていた。鳥居に掛けられた黒い扁額には金色の文字で『宝守神社』と書かれ、鳥居の向こうには本殿の屋根が見えた。石段の数も少なく、登り切るのに時間はかからないだろう。
「折角だし、お参りしていきましょう?」
☽
神社の入口付近には宝守神社に関する解説が彫られた石が飾ってあった。
——別名『水子供養神社』。子供をあらゆる災いから守るナントカ神を祀る。産まれずして亡くなった子らを憐れんだ神の御心により、特別に水子供養を行なえる神社として建設された。年に一度慰霊祭も行なわれる……。
神の名前は漢字ばかりで読みにくい。でも、ここがなんの神社かは何となく分かった。たとえ人と怪奇が共存できる国をお願いしても、ここの神は叶えてくれそうにはないな、と思った。
代わりに、愛とはなにかと聞いてみた。
本殿の縁側などといったあらゆる周りには沢山の市松人形が隙間を埋めつくして並び、風車がまばらに差し込まれて回っている。石にあった説明によれば、これらの人形は全て水子の魂が入っているという。入ってしまったのではなく、ここで供養するために入れたそう。
……僕もあの人形の中に紛れていた可能性があるのだろうか。
「ここのお人形さんたち、とても丁寧にお世話されているのね」
入佳の言う通り、本来ごわごわになりやすい市松人形の髪はどれも艶があって、風に吹かれるたび一本一本が柔らかく揺らめいている。赤で統一された着物に汚れは一切なく、どの子も肌を月明かりで白く輝かせていた。みすぼらしい子など、いくら目を凝らしても見当たらない。
しかし、賽銭箱の周りにも市松人形は密集しているせいで、手を合わせている間は人形に見張られている気がしてならなかった。そんな中、先に目を開けた入佳が「ねえ、あの子……」と囁いてきた。僕も目を開けて入佳が指さした方を向いたが何も映らなかった。
「何かいたのか」
「ええ。隠れてしまったみたい」
「人か?」或いは動物か、という意味で聞いた。
「たぶん、違うと思うわ」
その一言で思い浮かんだのは怪奇だった。ただの動物にそんな台詞は用いない。でも、だとしたら何故神社なんて場所に……
心残りではあったが、僕らは本殿を後にして鳥居を出ようとした。一直線に続く石畳を歩きながら、お互いに他愛もない話をしていた。
その間、入佳はやたら落ち着きのない様子でいた。後ろが気になるのだと言って、せーので一緒に振り返って欲しいと頼まれた。入佳の合図を待って同時に振り返ると、今度は手水舎の影にはっきりと姿を捉えた。
僕たちよりもずっと幼い見た目をした小袖姿の少女が、背を向けて逃げているところだった。
「追いかけてみましょう」
「なぜだ?」
「なんだか、放っておけないの」
また憑かれ体質のせいだろうか。僕は走っていく入佳の後を追いかけた。
手水舎を超え、本殿横の回廊に足を踏み入れた。回廊の先で先程の少女が走っていくのが見えた瞬間、僕らは屋敷の廊下のような場所にいた。廊下の終点まで窓は続いていたが外の景色は神社などではなく、ししおどしの置かれた蓮の庭で、木もないのに桜吹雪が舞い雪が積もり、さらにはアサガオが月に照らされている奇妙なものだった。
廊下はさほど長くなく、終点にあった襖を開けると同じ廊下が続いていた。景色も変わっていない。壁の至る所に飾られた能面も先程の廊下と同じ配置で置かれていた。
こうして何度か襖を開けていく度、お互いに考えていたことは確信となった。
「あたしたち、同じ場所を回っていないかしら」




