肆ノ壱夜 家族
入佳が猫を連れて家屋にやってきた。みんなで名前をつけてあげようと入佳が言い出して、急遽集まることになったのが発端だ。黒猫の毛並みは最初に見た時よりずっと綺麗で柔らかくなっていた。入佳が手入れしてやったのだろう。撫でてあげてと言われたので恐る恐る触れてみると、挨拶だろうか、短く幼い声で鳴いた。
「可愛いのう。どれ、ワシにも撫でさせてはくれんかの——」万が言い終わるより先に、猫は毛並みを逆立てフシャアアと鳴き出した。
威嚇だろうか?万はすっかり落ち込んでしまった。
「ここが、成の家?」万を放ってうり姫が聞く。
「僕の家ではないけどな」と返すと「でも住んでいるのでしょう?」と入佳が返した。
そんな会話を続けていくと、畳の間を仕切る襖が僕らの前に立ち塞がっていた。この扉は立て付けが悪く、開かない時は上に少し持ち上げながら動かすのがコツだ。なんとか開いて三人を中に通そうとしたが、入佳は、猫が爪とぎをして畳を傷つけてしまうかもと言ってそれ以上先に進まなかった。
一応隣の部屋も空いている。けれどそこは仕切りになる襖がなく、猫が庭に飛び出してしまう危険があることを今打ち明けた。万は「普通の猫なら兎も角、猫又だから大丈夫じゃろう」と隣の部屋へ断りなしに入っていった。あとの二人も賛成したのか異論は出なかった。部屋の真ん中にはちゃぶ台があって、そこをみんなで囲った。
「ご家族の人はいないのかしら」挨拶がしたいと入佳が名乗り出た。
「いるけど、別の部屋にいるから居ないものとして過ごすよう言われた」
「まあ。どうして?」
僕にもよく分からなかった。入佳の疑問に万が言った。
「気を遣っておるんじゃないか?人もいるしのう」
人も、と万のたった一言が引っかかった。迷わず疑問をぶつけてみると、予想もしない事実が返ってきた。
「一年半も一緒に暮らして、気が付かなかったかの?
おぬしの同居人は全員怪奇じゃ」
「は?」
「でもなければ、そんな強い魔除けが込められた妖刀を娘のために準備できるわけがなかろう」
一年半もと言うが、同居人を避けてほとんどの時間を外で過ごしてきた一年半だ。万のことも見破れなかったのに、薄い関わりの中でどう気づけるというのだろう。それと、もうひとつ引っかかったのが——「娘ってなんだ」
「血は繋がっておらずとも、一緒に暮らして可愛がって貰っておるんじゃ。おぬしは彼らの娘と言っても過言じゃなかろう」
「僕はあいつらの娘じゃない!」少し感情が高ぶった。
「僕の母親は僕を産もうとして死んだ、ただ一人だけだ」
「どうして?」聞いたのは入佳だった。
「僕が生きている理由は母の仇討ちだ。それなのに、急に僕の前に現れて同じ屋根の下にいるだけの存在が、家族と呼べるはずがない」
それともなんだ。一緒の家屋で一緒にご飯を食べていれば家族になるのか。なら、今この場で四人仲良くお茶でもすれば、こいつらは家族なのか。そんな安直に親子が決まるのなら、何故僕はあの世で母のために石を積んで、母のために生まれ変わったのか。
そんな言葉を続けようとした時、うり姫が口を開いた。
「余にとって、神も人も怪奇もみな等しく我が子。我が子とは何より尊く、護るべきもの。そなたは護られている。ならば家屋に住まう怪奇はみな、家族と定義できる」
「成さんの刀って、いつも成さんを助けてくれるじゃない?そんな刀を貰えるなんて、成さんはとても愛されているのね」入佳も微笑みながら言う。
「成。家族に血の繋がりは関係ない。仲間に決まりがないようにな」万まで。
……ますます訳が分からなくなった。
「それなら、あたしたちも家族って名乗れないかしら?」入佳は意気揚々と手を叩く。「面白そうじゃのう」と万も賛成したかと思えばうり姫まで頷く。
「ならば、四人揃って上弦家はどうじゃろう」
「妙な名前をつけるな!」
「ふっふ……お父さんと呼んでくれて良いぞ」
「誰がお前の娘だ」
——そこから先は猫の話題に戻って、みんなでなんと名付けようか盛り上がっていた。変な名前しか付けようとしない万は放っておき、命名されたのは炎と書いて『エン』と読むものだった。火車だから、という単純な由来だったけれど、ぽんぽこぴぃ、と名付けられるよりかは良いだろう。
話題がそっちに逸れてしまったために聞くのを忘れてしまったが、まだ疑問がある。どうして僕の同居人はみな怪奇で、僕はその怪奇と暮らしているのだろう。怪奇は何を思って一緒に過ごしているのだろう。
☽
全員が帰ったあと、僕は縁側に座って一枚残ったせんべいを食べる。同居人が、良ければみんなで、と、襖の隙間から渡してきたものだ。みんな喜んで食べていたが、たった一枚残ってしまったので僕が食べることになった。大粒の雨が降り出して、静かな夜に雨音がやかましく鳴っている。せんべいの割れる音が雨音に混じっていつもより小さく聞こえた。……みんな傘を持っていただろうか。
別れ際の入佳との会話を思い出す。「名前って素敵だと思わない?」「なぜだ?」
「炎もお日様もありふれた言葉なのに、それが誰かの名前になった途端、声に出す度に愛おしくなるのよ」
「そんなものか?」
「そうじゃの。そのヤマタノ蜘蛛斬り北谷菜切も、名を付けてからは立派な相棒じゃろう?」
「なんか増えてないか?」
「名は命であり、愛と呼ばれるもの」
刀に命があるかどうかは怪しいが、うり姫はそう言う。僕以外は誰も疑問に思わないのは、実は常識的な話だったりするのか。
「なら、なぜ僕は日ノ出成という?」
その問いに答えてくれる人は誰もいなかった。自分で考えてみろというのが万の言い分だった。
日ノ出成……朝を失った国で、同居人は何故そんな名前をつけようと思ったのだろう。何故それが愛になる。
…………考えたって分かるはずがない。




