参ノ伍夜 戦い
辺りは赤く実った鬼灯が内側から雅に灯り、中央の大きな岩を囲っている。入口に差し掛かる四方にはそれぞれしめ縄のついた小さな鳥居と、天井には空を覆い隠す沢山の番傘。その傘と傘の隙間を埋める様に小さな風鈴が吊り下げられ、風が吹く度澄んだ音を鳴らしていた。僕らはそんな岩の傍に立っていた。
「成も一本食べる?」
うり姫に両手いっぱいに持った鮎の塩焼きの片方を差し出され、「いや、もういい」と目を逸らした。うり姫は幾つも重なった塩焼きのひとつを再び食べ始める。あれを全部食べるつもりなのか、と思ったのと、あんなに塩を食べて舌が拒否しないのかと疑問になった。
「ほれ、成。おぬしが見たいと言ったんじゃろう?」
万が岩を指さす。その岩に巻かれた大しめ縄には丸い鏡がひとつ置かれている。
「……結界か」
鏡の正面に立ってその中を覗き見た。中は水面のように揺られていて、水紋と、稀に鯉も泳いでいる。その奥には金色の雲間の様な風景が時折ぼんやり浮き出ていた。例えればそれは、花火で空がたった一瞬明るくなるのに似ていた。
「その鏡は向こう側の景色を映しているだけじゃ。結界はこの岩そのものが担っておる」
「塞がれてあるという訳か?」
「正解じゃな。しかし現在は人が誤って立ち入る事は防げるが、怪奇がここから出てくるのを防ぐ事はできん」
「なぜ怪奇は出てこれて、人は入ることができない?」鏡から目を逸らし、万の方を向いた。
「怪奇はやろうと思えば壁さえすり抜けられるからのう。人は元からそんな事はできないじゃろ?
じゃが、昔は怪奇にもこの岩は抜けられなかった。魔除けの力が働いておって、それが結界の役割を果たしておった」
万の話を聞いていると、ふと背後から賑やかな入佳の声が聞こえてきた。うり姫と話しているようだった。
「入佳も一本食べる?」
「まあ、ありがとう。ひとつ頂くわ」
入佳は塩焼きを持って万の方に向き直り、うり姫はまた食べ進める。
「——それで、どうして結界が薄れてしまったのかしら?」
「暖かいところの氷はいずれ溶けるじゃろ?結界はその逆。陽の光がないと効力が弱まってしまうんじゃ。一年限りの夜であればなんら影響はないが、百年も夜が続けば——……あとはお察しの通りじゃ」
万の話はそこで終わった。それぞれが入口の方へ歩き出す。枯れて地面に落ちた鬼灯ひとつをうり姫が避けていくのを、皆もなんとなく真似して避けていく。ふと、僕は背後の岩を振り返った。ここを見たいと頼んだのは、言葉だけ結界がどうのと言われても想像が浮かばなかったのと、その結界が近くにあることを万の口から知ったから。けれど、実物を見たからと言って実感を得られたかといえば、そんなことはなかった。
☽
帰り道、僕らはこのまま真っ直ぐ帰路に着くはずだった。けれど、万が怪奇という名を告げたことで急遽その足を止めることとなった。
「今回もちと遠いのう」
それなら例の人力車を頼りたいところだが、三人乗りは危険だと意見が一致した。そこへうり姫が名乗り出た。
「形に拘りがないのなら、余の神力で何とかしよう」
彼女は紅葉の形をしたうちわを一度仰ぐ。何も無かった場所から紙でできた四匹の金魚が現れて、うちの一匹にうり姫自ら腰掛けた。
折り紙で作る風船、というものを同居人から教わった事を思い出した。それはそんな形をしていた。椿の模様や風を現す模様が入っていたり、提灯のように光っていたり、あの時見た折り紙とは随分違っていたが。
☽
辿り着いたのは浅い蓮の池。くるぶしにも届かない水溜まりのような池で、いつものように怪奇が現れるのを待った。「ここは墓地が近い」と万が呟いたのをそれがどうしたと問うより先に、それは空から現れた。
「火車じゃ。葬列や墓場に現れて亡骸を攫ってしまう怪奇と言われておる」
その名の通り怪奇は大きな車輪の形に火を纏い、車輪が回る音を慌ただしく立てながら僕らの真上を通り過ぎようとしていた。僕と入佳は早速変身して怪奇の行く手を阻もうとした。「でも」と入佳が呟く。
「うり姫さんの話を聞いてからだと、この子たちを退治するのが忍びなくなってしまうわね」
「話って?」
「言っていたでしょう?殺すとは生きる為の手段って。だから、きっとこの子たちも自分が生きる為に精一杯で、悪い事なんて何一つしてないんじゃないかって。そう思うとあたし、退治するのが正しい事なのか分からなくなってしまって……
ダメね、あたし。人に流されてばかりだわ」
入佳は迷いを隠しきれてない笑顔で語る。そんな彼女にうり姫は答えを出す。
「生命は時に、身を守るために身体に棘を持つものや毒を含ませるものもいる。争いとは運命であり、進化の源。生きる為の手段とは善悪で決まるものではない」
「そう……仕方のないことなのね」
入佳は俯き、やがて地面を蹴って飛び上がった。誰もがうり姫の言葉を一理あると思っての行動だと思った。そんな中入佳は叫んだ。「怪奇さん!一緒に遊びましょう?」と。入佳が出した答えはそれだった。
「やっぱり、あたし、誰かが悲しむ顔は見たくないわ。だから考えるの。どうすれば争うことなく共存できるのか。だから知りたい、この子たちが何を思ってどう生きたいのか、考える時間がほしいの!」
入佳は花火を打ち上げた。色んな形の花火を絶え間なく、怪奇の周りを飛び回りながら。
「……余は、人の気持ちまでは分からない
けど——」
うり姫は入佳が花火を打ち上げる様子を眺めながら、やがて少しばかり目を細めた。無表情に見えるが、なんとなく楽しそうだと思った。
「だからこそ、新鮮で飽きない」
怪奇も入佳の花火を目で追いかけて、興味津々といった様子だった。それはしばらくして空中を跳ねるようにぴょんと飛び上がって入佳の方に向かったかと思えば小さな子猫の姿になって胸元に飛び込んだ。「え?」と、入佳が間の抜けた声をもらす。僕も正直そんな顔をしていたと思うが、万はやはり、と言って笑っていた。
「一説では火車の正体は猫又という話もあったが、まさか本当に猫が化けた姿じゃったとは。化かしの才能は狸にも負けて劣らんのではなかろうか?」
猫又というのはよく知らないが、子猫から二本のしっぽが生えているところを見るに、普通の猫ではないのは明白だった。それ以外は人懐っこい黒猫といったところか。入佳が憑かれ体質だからか、既に懐いているように見える。
「成さん、万さん、うり姫さん!この子、名前は何がいいかしら」
いくらなんでも飼うと決めるには気が早すぎると思うが。さっきまで火車になって疾走していた怪奇ということを忘れた訳ではないだろう。
「そうじゃの……ならば、寿限無寿限無——」
「なんか長そうだからやめろ」
☽
ようやく僕らは帰路へ着こうとしていた。別れ際に入佳が手を振ったのを万も手を挙げて返した。僕も振り返した方が良いだろうかと迷っていると、うり姫も別れの一言を最後に去っていく。二人きりになったところで、万がそういえばと話を切り出した。
「あの時、ひとつ言い忘れておった。
結界が弱まっていると言ったが、ワシらしか知らん訳ではない。天の神々も大慌てで、各地に分かれて怪奇と戦っておる。ワシらはそのお手伝いさんというわけじゃ」
以前に万から伺った話でも他にも対応にあたっている者がいるという話があった。当初は他に魔法少女か万の様な怪奇がいるのかと思っていたが、神様のことだったらしい。
神様が沢山下界に降りてきている、というのは、万が言ったように余程の緊急事態なのだろう。
「万は戦わないのか?」ふと気になったことを口にした。「気になるかの?」万はいつもの笑った顔だ。
万も怪奇なら妖力が使えるはずだ。実際にそれで僕らを魔法少女にしたり、空を飛んだり、彼岸花を咲かせられる。どれも別々の種類を扱えるというのに、戦える切り札だけないなんて有り得るだろうか。
「僕らだけに戦わせるなんて不公平だ。……なんて思われたらご機嫌取りが大変そうじゃからのう……気乗りはせんが」
万は僕の腰を抱える形で空を浮いた。
「しっかり捕まっておくんじゃぞ。成」
そう言うが、万の腕が腰をきつく掴んで引き離そうにも引き剥がせない。必要以上に強く抱えられていると感じた。
もう片方の手で指を鳴らし、景色は一瞬で移り変わった。一見すると平凡な街並みを空から眺めている角度というだけだったが、街に人の気配はなく明かりも灯っていない。真っ暗で物寂しい景色だった。異空間だと気づくのにさほど時間はかからなかった。
——パチン、ともう一度指が鳴らされた。
地響きが深い地の底から一瞬のうちに這い上がってきて、地面の内側から爆発が起こった。街並みは粉々になって木屑やなにかの破片が塵になって空を高く舞う。爆発の衝撃波が遠くの景色も瞬く間に吹き飛ばし、火の海も抉れた地面も何も残らず、真っ黒な奈落がずっと遠くまで出来上がっていた。
「万、止まれ——!」
崩壊は止まず、今度は空が硝子のようにひび割れ始めた。耳をつんざくような騒音と共に空が割れて空間ごと震え始める。その刹那、万の腕が緩んだ。——落ちてしまう。と、すぐに気がついた。
☽
その頃入佳は林の一本道を歩いていた。歩道は整備されていて湿った石畳の上を歩いていた。相変わらず人気はないけれど、昔より怖いと思うことはなくなった。これも成さんと万さんのおかげかも、と二人を思い浮かべた直後、懐に入れておいた小さな折り紙を思い出した。取り出したのは小さな金魚の形をした可愛らしい折り紙。うり姫の出した乗り物が可愛いと話になって、うり姫と一緒に折り紙で作ったもので、成と万の分も作ってあげていたのだ。けれど、渡す機会を逃して中々渡せなかった。今引き返せば間に合うだろうかと、入佳は慌てて元来た道を走っていった。
みんなと別れた場所に戻ってくる。そこで入佳が目にしたのは地面に倒れた成の姿だった。入佳は急いで駆け寄って成を呼びかける。
成はすぐに起き上がって入佳の方を向いた。何があったのか、汗だくで息を荒く切らしている。そういえば万さんとは一緒じゃないのかと、そばに万がいないことに気がついた瞬間、万は鈍い音を立てて突然地面に現れた。成とは反対に万はしばらく起き上がらない。今度は成が万に駆け寄った。
「——どっひゃ〜!じゃ!」
……驚かせる気だったのだろう。成がそばに来たのを見計らって、万は手を大きく広げて飛び上がった。しばらく沈黙が続いて、やがて成が万の胸ぐらを鷲掴んだ。
「わ、悪かった!怖がらせるつもりはなくての……じゃから場を和ませようとちょっと悪戯心が働いて……」
「お前は敵なのか——?」
成の声は普段よりずっと低く、怒りに燃えている。万は笑顔を崩さずに答えた。
「——制御が効かぬから封じておった。それだけのことじゃ。隠していたことは謝ろう」




