参ノ肆夜 三人目
少女の周りを回っていた金魚はやがて怪奇の方へ泳ぐ。怪奇の周りを泳ぎ回る金魚に、何故だか怪奇はなんの抵抗も見せはしない。やがて少女は静かに唱えた。
「余は天御母神なり。
現世に満つる悪しき穢れを祓ひ清め、汝らを元の穢れぬさまに還すものなり」
怪奇は金魚の大群と共に光の粒を纏いながら透けて消えていく。やがて怪奇の姿が完全になくなると、周りの景色は元いた紫陽花寺に帰っていた。焦げて黒ずんだ紫陽花畑をまたぐ太鼓橋の先では、先程の少女が本堂に身体を向けて立っている。「あなたが助けてくれたのよね」入佳の声に振り向くなり、少女は赤い瞳を僕らに向けた。
「そなたがそう思ったのなら、御礼として受け取ろう」
のんびりとした、子供をあやすような口調で言う。入佳も僕もその言葉の意味はよく分からなかった。助けるつもりはなかった……そういう意味だろうか。
ふと横にいた万を見てみた。「うり姫殿?」と呟く万の顔色はいつもより悪い。
「かしこまられるのは性にあわない。うり姫でいい」
「う、うり姫……何故ここにおるんじゃ?」
少女は「……観光?」と疑問符をつけ、それがどうかしたのか、なんて言いたげに首を傾げた。万の顔色は相変わらず優れない。
「この国は終わってしまうのか?」
「恐らく」
万の顔が遂に真っ白になった。その場で立ち尽くしたまま硬直している。
「万」と声をかけた。「知り合いか?」
「神々の母、つまり神の原点にして頂点に位置する最高位の神様——天御母神じゃ。その権力の強大さ故、余程の天変地異でもなければ下界に顔など出さないお方なのじゃが……」
「余程の天変地異なのか」
万は項垂れてしまった。その顔に万の大きな片手が覆って、表情は隠される。
「ええと……さっき、この国が終わってしまうかもしれないと言っていたわよね。何が起きているのかしら」
入佳は万に声をかけたようだったが、何も喋らなくなった万に代わってうり姫が答えた。
「日の力で封じていた冥界の結界が百年の歳月を経て脆くなり、本来そこに居るべき者たちが現世に溢れ出た。
このままでは世が乱れ、怪奇以外の生ける者が存在しない時代が訪れてしまう。それでは堪らない。余は溢れた者たちを浄化し、正しい在り方に還そうとしている」
「しかしうり姫。それでは地獄にいるべき怪奇が残らず浄土に向かってしまう。それはつまり……えっとじゃな」
「人の腹に宿る菌が死滅するのと同じ」言葉を言い悩んだ万にうり姫が呟く。
「それじゃ!地獄を制す者がいなくなって冥界の神の胃に穴が空いてしまう!」
僕らが怪奇を殺めているのも地獄にいた怪奇を失わせるのと一緒では無いのか、と、万に尋ねてみたが、どうやら僕らがやっていることは怪奇を冥界に送り、地獄に戻すことのようで、浄化するのとでは仕組みが別……らしい。
「殺しはつまり、生きとし生ける者の生きる為の手段。小さな生き物が草を食べ、大きな生き物が小さな生き物を食べるのと同じ。
けれど、余はそれを見届ける側。むやみな殺生は、慈しむべき全生命への侮辱になる」
万はまだ納得のいかない顔をしていたが、うり姫がそういうのならと姿勢を正した。
「……ところで、そなたたちは何者?先程まで別の服を着ていたようだけど」
変身の解けた普段通りの僕らを見てうり姫は顎に緩い拳を添えた。「こやつらは魔法少女じゃ」と万が自信満々に答える。
「魔法少女……妖術師ではないの?」
「別の国では妖術などといった超常的な力を魔法というそうじゃ。それに少女を付け足してみた造語じゃよ」
「それが現世の流行りというもの?」うり姫は質問を重ねた。
「流行ってはいないのう。なんせ、ワシが数ヶ月前に始めたことで、人数もご覧の通りじゃからの」
「そう……人数に困っているのなら、余も手を貸すけど」
「……良いのかの?」万は差し伸べられたうり姫の片手を見て目をぱちくりさせる。
「やり方は違えど、そなたたちと余の目的は一致している。協力関係を結ぶのは、人の世では戦略と聞いて」
それを聞いて一番に喜んだのは入佳だった。「とても心強いわ」と言って、伸ばされっぱなしのうり姫の手を両手で包みに行った。
「あたしは入間入佳よ。同じ魔法少女として、これからよろしくね」
魔法少女として加わるとは言ってない気がするが……けれど否定しないということは、うり姫もそのつもりなのだろう。
「常世うり姫——下界ではそう名乗っている」
うり姫はちらりと僕の方を見る。名前を知りたいといった様子だ。
「……日ノ出成だ」
☽
屋台に戻ってくると、紫陽花寺の騒動など知らない怪奇たちが仮面をつけ、喧騒のなかを楽しそうに行き交っていた。この祭りはいつ終わるのだろう。遊び疲れて親の背中で眠る子供の姿もまだ見当たらないほど、祭りは未だ活気に満ちている。
「仮面はつけないの?」うり姫が聞く。
うり姫は狐の面を被って我先にと人混みの中に今にも混ざろうとしていた。みんなの歩幅が自分より遅れているのに気がついて足を止めたのだろう。
その人混みの背景と狐の面をつけたうり姫が重なった瞬間、先程祭りですれ違った気になる人物を思い出す。あれはうり姫だったのかもしれない。……どうりで不思議な雰囲気を感じたわけだと、心の中で思った。
「これは怪奇が自分たちの姿を隠して楽しむ祭りじゃからのう。人間がお面をつける必要はないんじゃ」
「……なら、万はつけないと」
「うっ……お面は苦手なんじゃ……昔怪奇の憑いた面を誤って被ってしもうて取れなくなったんじゃ」
二人が会話しているうちに、いつの間にか消えていた入佳が人混みの中から帰ってきた。両手には全員分の鮎の塩焼きが二本ずつ握られている。
「突然はぐれてごめんなさい。さっき、向こうで鮎が売られているのを見つけたの。以前万さんから、成さんの好物って聞いたのを思い出して」
入佳は順番に塩焼きを差し出しながら語っている。僕の前にも差し出された鮎の塩焼きを入佳の手から一本抜き取ると、丁度全員に行き渡ったみたいだ。
ひと口かじるといつものしょっぱい味がする。いつもの味のはずだけど、祭りのせいか店や家で食べるのとでは何かが違って思えた。またこれも新鮮で良いのかもしれないと、そんなことを思っていた中、横から絶えず視線が向けられているのに気がつき、思わず手を止めた。「なんだ?」とうり姫を見る。
「そんなに美味しい?」
「そんなにって?」
そこへ万が口を挟んだ。「鮎の塩焼きに限っては、成ほど美味しそうに食べる人は見たことがないからのう」とからかうように言う。うり姫は「そう」とだけ呟いて、全く手をつけていなかった鮎の塩焼きを食べ始めた。
全員が食べ終わると、大きなため息が万の方から聞こえてきた。
「さて。成のためにもう一本買ってきてやるとするかのう」
「そんなにいらない」
「なんじゃ。祭りの日くらい遠慮せんでいい」
僕の返事も待たずに万は人混みの中へと離れていった。「余も一本」そう言いながらうり姫も後を着いていく。万の姿がまだ見失っていなければ、すぐに引き戻して、買ってやりたいならうり姫にあげてやれと言いたかった。
「成さん。あたしたちはあやとりをして待っていましょう?」
入佳に限っては、僕はあやとりが好きだと思われているようだ。
「……しないの?」
差し出した赤い糸を僕が一向に受け取らないのに気がついて入佳は首を傾けた。
「やらないとは言ってない」
僕は赤い糸を片方受け取った。




