参ノ参夜 化けの皮
幅の狭い石段を伝い、振り返りもしない万の後を着いていく。長い階段の両脇に咲いた紫陽花の大群を横切りながら最上段の山門を目指す。
上りきって、門の更に向こうには色の統一されていない紫陽花たちが湖を作る様に敷き詰められ、朱色の小さな寺を一周囲っていた。万は足を止めず、本堂へ続く太鼓橋を進み始めた。僕もそれを追いかける。ようやく、真ん中あたりで立ち止まった。
「もう良いかの。
いつまでも隠れられるとはおぬしも思っとらんじゃろう。
――のう?玉藻前」
なんの話か、と問うてみる。玉藻前という名はどこかで聞いた覚えがあるけれど、よく思い出せない。
「藤の森から憑いてきたのじゃろう。成が疲れたと言って寄りかかってきたり、興味もないお洒落を楽しんだり、ワシにりんご飴をくれるなど、おかしな話じゃと思わんか」
万は僕の目を見る。けれど、いつも僕に向ける目とは何かが違った。
「しかし、完全な憑依には至らなかったのじゃろう。なにせ、成は頑なじゃ。おぬしの得意技でも揺らがなかったのではなかろうか。
気持ちは分かるぞ。ワシも中々心を開いてくれず大変もどかしい」
「おい万。勝手に話を進めるな」
ずっと僕を見ていたはずの瞳は、僕が声を出した途端ようやく僕に目を向けたように僅かに目を見開く。しかし、やがていつもの笑顔で「大丈夫じゃぞ。成。」と言った。いや、何が?
「恐らく玉藻前の狙いはワシじゃろう。だからうまく付け入れなくとも問題はなかった。成を通してワシを誑かすつもりだったのじゃろうが……遊び事も限度が必要なことを、そろそろ知っておくべきじゃな」
「……万?」
近づいて腰に手を回してくる。万の怪しい笑顔と目が会った瞬間、万の手が僕を力強く引き寄せて、顔が万の体にぶつかった。
「玉藻前じゃ。相手を誘惑し呪い殺す怪奇。それに成は取り憑かれておったんじゃ」
「見えない。……あと苦しい」
息を吸う度に万の服が貼り付いてくるのだ。僕が言ってようやく手を退けてくれた。視界が解放され真横を向くと、目の前には十二単を着こなした背の高い狐が閉じた瞼から僕らを見ていた。
「たった今、成の身体から引きずり出したのじゃよ」
女狐が不吉な青白い炎を纏いながら空に浮かぶ。その炎は一斉に周りの風景を焼き尽くし、刹那、風景は僕らのいた場所から移り変わった。灰色の空。筆でなぞった様な赤く巨大な上弦。無数の鳥居が乱雑に浮かび、時間を止めたようにその場で停止している。
一面の彼岸花が足元を赤く染めている。……彼岸花。ふと万のことを思い出して彼を見る。
「不味いのう。異界に引きずり込まれてしもうた」と呟いていた。
「万さん!成さん!」
入佳が慌てた様子でやって来た。彼女も近くにいたのか、あるいは何らかの力でおびき寄せられたのか。入佳もこの奇妙な異界に巻き込まれてしまったみたいだ。
——火の玉が入佳を目掛けて降ってきた。本人は気づいていない。僕は反射的に駆け出して入佳を庇った。
「きゃっ」
落ちてきた火の玉は僕らが倒れ込んだ位置から一寸離れた彼岸花を燃やす。間一髪免れたみたいだ。けれど怪奇の襲撃は止まらず、妖刀が狐の周りを取り囲んだ。雷、炎、風……様々な自然の脅威を身にまとった刀が一斉に襲いかかってくる。避けた刀が次々に地面に深々と突き刺さり、遂に僕の右腕をかすった。「いたっ」と思わず声が漏れ出た。服に血が滲み、腕を伝って滴った血液から彼岸花が咲いた。
……攻撃が止んだ。何故か?周りを見渡すとすぐ後ろで万が跪いていた。「万?」と声をかけると「すまんのう」と返ってきた。万の足には何枚も連なった赤黒い札が巻きついて動きを封じているのが見えた。
「罠だとは気づいておったんじゃが……おぬしらを庇いに行こうとしたらこうなってしもうた」
「罠って……?」
「言ったろう?成にも入佳にも死なれては困る。その弱点を見事に突かれてしまった訳じゃ。
でももうワシはもう捕まった。ワシを置いていく選択を取ればおぬしらは助かるじゃろう——」
「そんな事、できるはずないでしょう!?」入佳が叫ぶ。
「冗談じゃ。言われるとも気づいておった」
万を置いていく——そしたら万はどうなるんだろう。怪奇に殺される?そしたら、万はいなくなって、二度と会うことはなくなる。
——それがとても恐ろしく思ったのは何故だろう。少し前まで厄介者のただの怪奇だった万が、当たり前に隣にいることを受け入れるようになったのはいつからだろう。
僕のことは置いてけぼりにするくせに……。
「成も入佳に賛成のようじゃな」万が言う。何故そんなことを呟いたのか。僕は一体どんな顔をしていたのだろう。
「成。入佳。思う存分戦ってくると良い。ただ、あまり無茶はするんじゃない」
「ええ。行きましょう、成さん!」
入佳が帯留めに付けた装飾品を取り外し、蝶番を開く。内部で飾られていた番傘が転がり落ちて入佳を隠し、その内に入佳は変身した。
少し迷って、僕も胸元の装飾品から刀を引き抜いた。刀を鞘に納め、衣装が入れ替わる。小刀で真正面に丸を描き召喚した鈴を頭につけた。
鈴を鳴らし、怪奇の時を止める。刀は僕を連れて怪奇目掛けて直進し切り裂いた。——時が動き出す。斬ったと思っていたものは霞になって消えてしまった。怪奇の作り出した幻影か。
「成さん後ろ!」
入佳の声に慌てて振り向くと、狐が目前まで迫ってきているのが見えた。と、その瞬間僕と怪奇の間に花火が咲き誇った。
怪奇の動きが一瞬封じられた隙を狙って、僕が落ちないよう腕を持ち上げていた刀が再び突進する。地面にいる入佳も応戦し花火を打ち上げる。
攻撃をかわしていた怪奇はやがて入佳の方に向かっていった。刀もそれを追いかけるが、間に合いそうにない。入佳は番傘を開いて身を守ろうとした。が——
「入佳……入佳……どうかお助け下さいませ」
入佳は番傘の隙間から狐の何色にも重ねられた和装を見た。怪奇は襲いかかってこない代わり、突然命乞いを始めた。
「これは全て誤解なのです。ワタクシはただ、人と仲良くなりたいだけなのです。
ワタクシは人とかけ離れている存在ゆえ、どのようにして人と接したら良いのか分からないだけなのでございます」
「でもあなたは……」言いかけて口をつぐんだ。明らかに動揺している。信じたい気持ちと以前それで騙された過去が入佳の中でぶつかっているのだろう。
「どうか、どうか、無礼をお許しください。ワタクシはまだ死にたくありません……」
「でも……」
目を合わせてしまえばきっと惑わされてしまう。入佳はそれが分かっていて番傘で顔を隠していた。けれど、遂に顔を上げてしまった。
「揺ライダナ」
やってしまったと、入佳の顔が恐怖で強ばる。怪奇の長い爪先が入佳の心臓を狙う。僕は後ろから刀を振り下ろした。
怪奇の白い手が刃を受け止めた。紫色の血が一滴、刀の刃をなぞるように伝っていく。
「草木を燃やした化け物がよく言う」
怪奇を鋭く睨むと、閉じた瞼が僕の方を向いた。表情は分からないがひどく怒っているように感じた。
「殺してみよ。我が死ねば、直ぐさま貴様らを呪い殺す石となろう」
「脅しか?」
僕の問いに答えたのは万だった。
「殺生石を知っているかの?成」そう言った。
「なんだ?」
「その昔、殿様を化かして不治の病に侵した狐が退治された。それ以来、狐の恨みは近づいたものを呪う石になったという伝説じゃ。
つまり、そやつの言うことは間違っておらぬ。ということじゃな」
ということ、じゃないだろ。殺してはダメならどうすればいい。まさか万はそれを知っていたから僕らを逃がそうとしたのだろうか。
「それじゃあ、どうしたらいいのかしら」入佳が尋ねる。すると突然、入佳の身体が遠くへ吹き飛んだ。かと思えば胸元にどん!と衝撃波が加わって視界がブレる感覚を味わった。直後、僕も入佳と同じ様に後方へ吹き飛ばされた。
「——不愉快
貴様らは貧弱であまりにつまらぬ。いっそのこと、貴様らをこの景色ごと燃やし尽くそう——」
その瞬間、鳥居も彼岸花も青白い炎に燃やされて辺りは巨大な炎が広がった。僕らを囲む焔はじわじわ中央へ近づいてくる。
——刹那。炎が消えた。花も鳥居も元の赤色に直り、空には黄金の光に照らされた雲があった。
列になった赤い金魚は空へ昇り、その先には少女が浮かんでいた。金魚は少女の周りを泳ぎ、腕や足の隙間を潜って遊んでいる。
「うり姫。そう呼んで」と、少女は言った。




