4話 相変わらず最悪
「よぉ、久しぶりじゃん。ユナ。」
リョウは、マスクと帽子をゆっくりと焦らすように外しながら、ぐっと距離をつめて、下を向いていたユナの顔を覗き込むように視界に入ってきた。
「……」
ユナは一瞬だけ目を見開き、声が出せなかったが怪訝そうに目を細めた。
9年ぶりの幼馴染は、昔と変わらない人を馬鹿にしたような口元と、鋭く光る切れ長の目に整った鼻筋。
そして、25歳らしい大人の色気を無駄に放った姿をして、ユナの瞳を捉えた。
ニヤニヤと喜びが隠しきれない顔で。
その顔を見た瞬間、ユナのこめかみにずんっと痛みが走った。
「………………はあ…頭痛い……」
「なに?9年ぶりに幼馴染にあってその反応?
ひっどいね、相変わらず。
俺がかっこよすぎてくらくらしちゃったとか?」
自然な手つきで肩に手を回してきやがった。
咄嗟に振り払ったがリョウは傷ついた様子を1ミリも見せない。
むしろその状況を楽しんでいるように見下ろしている。
「なに。そんなわけないでしょ。触らないでくれる?
9年前から何も変わって無さすぎでしょ。」
「まあこれが俺だし。当たり前じゃん?つーか顔やばいんだけどお前。寝てないだろ。」
ユナの目の下のクマを確認するように、ずいっと顔を近づけた。
ユナは怪訝そうに距離を取る。
「寝てるけど」
「嘘つくの下手すぎ。俺ん家で寝る?寝具こだわってるよ?」
ヘラヘラと挑発的な笑みを浮かべて冗談めかして言うが、瞳の奥に映る熱が隠しきれないような感覚があった。
「寝るわけないでしょ。変なこと言わないでくれる?」
「なに?寝るだけだけど?変なこと想像してんのはどっちな訳?ユナちゃん。」
少しでも反論すればこの調子だ。
また頭痛が酷くなる。ちゃん付けやめろ。イラつくから。
それ以上は反論する気もわかず、振りかぶりかけた拳を下げた。
ドンフンとミンジュがそれぞれ運転席と助手席に乗り込むと、ドンフンが静かにエンジンをかけた。
「佐藤さん、本日は先に宿舎までご案内させていただきますね。オリエンテーションは明日グローバル事業部の方で行いますので、本日は宿舎にて荷解きされてください。」
助手席から優しい笑顔と声色でミンジュが呼びかけた。
「はい。ありがとうございます。」
ミンジュは優しく微笑み、ユナから目線を外すと、報告のメールを打つ為か、PCを開いてタイピングした。
ドンフンが静かに車を発進させると、前を向きながら呟いた。
「佐藤さん、巻き込んでしまってすみません。このバカが佐藤さんの赴任が決まってからというもの、絶対に行くって駄々を捏ねて暴れたもので。」
ルームミラーから覗くドンフンの顔には明らかな疲労が写った。
いや、謝るのはこっちの方だ。うちのバカがすみません。
「は?バカってなんだよ。オフなんだから会いに行くって言っただけだろうが。」
「オフの日に自分の車で変装もせずに、空港に佐藤さん迎えに行こうと本気で目論んでただろうが。
バカ以外の何があるんだ。散々駄々こねやがって……全く。」
ドンフンが本気で怒っていることを察したのか、うっせ。と一言だけ言って大人しくなった。
リョウが伸びをしながらそう体重を少しだけユナに乗せ呟いた。
それなりに大きな車の後部座席。
肩が触れるほど近くなる必要は無いのだが、何かおかしいですか?という顔をして、飄々としている。
リョウのスパイシーな香水の香りがやけに鼻につく。
少しだけ距離を取るために体をずらすと、即座にその隙間を埋めるように侵食してきた。
「………近いんだけど。」
目を合わせずに淡々と忠告する。
すかさず噛み付いてきた。獲物がかかったぞ、と言わんばかりの目で。
「え?何?近いからドキドキしてるって?」
飄々とした態度の上で、顔を覗きこんできた。
何も言わなきゃ良かった、と後悔するには遅い。
リョウはもう完全に獲物を捉えた猫のような目をして、ニヤニヤとユナの目を見つめている。
「いい加減殴られたいの?あんた」
「おー、怖い怖い。別にいいじゃん。9年ぶりだよ?仲良くしようよ。」
ヒラヒラと手を振って、目の奥に宿る熱は隠すつもりがないらしい。全く怯んでいない。
「仲良くしに韓国に来たんじゃないんだけど」
「へえ、俺は仲良くしたいけど。たっぷり。」
そう呟く目がやけに真剣で、たっぷりという語尾にやけに重みがのしかかっていた。
リョウがこちらを射抜くような眼差しで見つめてくる。冗談めかした声音とは裏腹に、その瞳には獲物を逃がさないという確固たる執着が宿っていた。
「気持ち悪い」
「はは、その顔最高。マジでかわいい。」
リョウが身を乗り出し、ユナの耳元に触れようと指を伸ばす。ユナは反射的にその手を振り払ったが、リョウは痛くも痒くもないといった様子で肩をすくめた。
「あーあ、全然可愛くない。つかさ、お前明日からどうすんの?お前の推しと同じ屋根の下じゃん。……会っちゃうかもね。」
からかうように呟いたが、さっきまでの口調よりも温度が3度ほど低くなったような声色だった。
目が笑っていない笑顔を貼り付けたまま、リョウはコーヒーを1口飲んだ。
「ッ……やめてくれる。そういうこと言うの」
ユナはスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
やめろ、本当に。リョウに接触したことで既に胃薬をがぶ飲みしたいというのに、変に推しに会うかもしれない環境を意識させることを言うんじゃない。今度は心臓が爆発するだろう。
リョウは私がジュニルの熱狂的なオタクであることを知っている。
知ってはいるがリョウからジュニルの話をすることはほとんどない。私からジュニルの話を振ることがあっても、素っ気ない態度を取って話をはぐらかす。
それなのに明らかにジュニルのことを指している。
何か意図があるというのか。
「ふーん。まだ好きなんだ。あいつのこと。」
ユナとは目を合わせず、コーヒーの入ったプラカップをゆらゆらと揺らしている。
その目線はさっきよりも明らかに冷たく、低く声を落とした。
案の定無表情である。
こいつから表情が消える時は、だいたい不機嫌になっている時だ。
「なんなの。別にいいでしょ。」
「別にいいんじゃない。素敵なことじゃん。
9年も好きってさ。まあ俺は15年お前のこと好きなんだけど。」
空気が凍った。
他の人間もいると言うのにこういった爆弾発言を平然とした顔でやってくる。
あっさりと、いいんじゃない。
なんて言ってくることがユナには逆にひっかかった。
何かを企んでいるのか勘ぐった目でリョウを見た。
私の記憶が正しければ、リョウはこういった場合、
「やめろよ」「俺を見ろ」なんて強気な言葉を使ってくるところだ。
だが今回はリョウにしては大人しい気がした。
強引なやり方以外にもお前を落とす策は色々あるぞ、と言わんばかりに。あるいは本当に少し大人になったのか。
前方座席の2人はは空気を読んでいるのか、静かに運転を続けて何も言わない。
車内には妙な沈黙が落ちた。
エアコンの風の音と、ウインカーの規則的な点滅音だけが耳につく。
ユナは窓の外へ視線を逃がした。
ソウルの見慣れない街並みが流れていく。
だが隣から刺さるような視線が消えない。
「何。」
「別に。」
即座に視線を逸らしたリョウは、
ムッとした表情を隠しきれていない。
いじけた子供のように窓を見つめている姿は、何となく幼き日のリョウと影が重なって、少しだけ頬が緩みかけた。




