2話 アイツからの電話
———辞令を告げられた翌日。ユナは提出書類を上司に手渡した。
「よし、不備はなさそうだね。そしたら来月から行ってもらうから。ビザと飛行機のチケットはこちらで用意する。宿舎に関してはSTARZ側が用意してくれてるみたいだから、着いたら現地スタッフの指示に従うように。」
そう言って上司はいつものようにPCに向き直り、
呆気なく私の韓国行きが決まってしまった。
それからしばらく韓国行きの準備をしていると、
スマホのバイブレーションがポケットの奥から響いた。
名前は見ていない。ゾクリとした感覚が背を這い、鳥肌が立った。
特に根拠は無いのだが、なんだか非常に嫌な予感がした。
業務連絡だったら直ぐに出ないとまずい。
何となく胃がさらに痛む気がしてなかなか画面を見れなかったが、ゆっくりとスマホ取り出した。
スマホに映し出される名前は
———RYO
アルファベット3文字が冷たく光っていた。
嫌な予感が的中した。もう嗅ぎつけたのか。
出るか出ないか数秒迷っている間に、バイブレーションが途切れた。
「おい、無視すんな。」
追い打ちをかけるようにメッセージが飛んでくる。
「出るまでかけるけど。いいわけ?」
冗談で言っているのではない。
10年以上この男を相手にしてきているのだ。出るまで本当にかけ続ける。
そうこうしているうちに、再びスマホが震え出す。
なんなんだこの男は。もはやほぼストーカーだろう。
このまま出なければ余計に面倒なことになる。
ユナはため息混じりに応答ボタンに指を触れた。
スピーカーの奥から聞き慣れたくもない低い声が耳を貫いた。
「出んの遅すぎ。俺も暇じゃないからさ、すぐ出てくんないと困るんだけど。」
暇じゃないからさ。と言う割に出るまでかけると言ったのはどこのどいつだ、と言いかけたがやめておいた。
「何。なんか用でもあるわけ。」
「ハハッ、相変わらず可愛くねえ態度。
なあ、お前STARZ来るんだってな?」
まるでお前実家帰るんだろ?と兄が言うようなテンションでその言葉を口にする。どこで嗅ぎつけたのだ。
いや嗅ぎつけられるのは時間の問題だとは思っていたが、
早い。想像よりもずっと。
「……」
「おい、何黙ってんだよ。もう情報回ってんだってば。
諦めろよ。俺に9年ぶりに会うの楽しみだろ?ユナちゃん。」
ヘラヘラと低く笑いながら冗談めかして言うが、お前に逃げ場はないぞ、という確固たる執着心を電話越しにヒリヒリと感じる。
わざとらしくちゃん付けで呼ぶあたりも、心底ユナの心を煮えたぎらせる。
「だから何。仕事で行くだけだし、部署が違うからあんたと関わることなんてほぼないんだけど。」
そうだ。STARZと言えどもデカイ。20階以上の高層ビルだぞ。実際アーティストと関わる機会なんてそんなに無いはずだ。多分。
「ほぼ、ね。それが俺に通用するとでも思ってんの?」
通用するとは思ってない。いくら階数が違えど何かと理由をつけて接触を試みるだろう。
ユナはもう既に胃薬に手をつけていた。
「で?いつ来んの?迎えいくけど。」
「は?来なくていいけど。ていうか来ないで。」
来るな。いくら変装してようと世界的人気アイドルだ。
週刊誌や周囲の人間にバレたら、ろくな事にはならない。
そのことを自覚して言っているのか、いや、この男は自覚した上で言っているに違いない。
「教えないならこっちで調べるまでだけど。ふーん。14日の17時着、ね。ちょうど俺の貴重なオフの日だわ。なんの運命だろうね?」
通話越しにPCのタイピング音が響いた。”運命”という言葉がやけに重く感じたが、わざとだろう。
何かの業務資料を覗いているのだろうか。そんなものにアクセス出来るほど、事務所の看板のトップアイドル様は権限があるというのか。
「…………」
ユナはギリッと奥歯が潰れるほどに噛み締めた。
どう転んでも接触は免れそうにない。
分かってはいた。分かってはいたのだが。
「ていうか、あんた一応アイドルなんだから空港とか来るのやめなよ。あんたみたいなのが個人的に女性を迎えに来たなんて知られたら……私もあんたも————」
間髪入れずに答えてきた。
「別に変装して行けばよくね?つか個人的にじゃないし。”仕事仲間”を迎えに行くのに何が問題な訳?
なに。俺との熱愛出ちゃうかもって?俺は別に出てもいいけど。心配してくれてるんだ?かわいい。」
電話越しでニヤニヤとしている顔が容易に思い浮かぶ。
腹立たしいあの顔。そして無駄に整っている。
お前に可愛いなんて言われても1ミリ足りとも嬉しくは無い。お前が困らなくても私及び周りの人間は困るんだよ。
「……あんたねぇ……」
低く苛立ったトーンで答えると、またもや被せるようにリョウは口を開いた。
「はは。怒った声も可愛いな?まあ安心しろよ。マネージャーには話つけとくから。よかったね。お姫様。」
低く笑ったようなトーンで話す。
全てが計算されている。わざとユナがイラつくような言葉をスラスラと吐く。ユナはもはや反論する気も起きなかった。
「はあ………。」
またもや深くため息をついた。この男はいつもそうだ。
私が嫌な態度をとればとるほどに燃え上がる。大人しく引き下がる以外に選択肢はなかった。
「でもさ、俺めっちゃ楽しみなんだよね。9年ぶりに会えるの。ずっと寂しかったから。」
ごく自然に、真剣なトーンで話す。
先程の挑発的で余裕な態度とは裏腹に、唐突に真剣なトーンで素直になるのが、この男の特に厄介なところだった。
「じゃ、楽しみにしてるから。逃げんなよ?」
それきり通話が途切れた。ツーツーという音だけが響く。
はあ、もう頭が痛い。
こんなのと3ヶ月過ごすとか絶対正気じゃない。
寂しかったとかマジで知らないし。暇さえあれば一方的に連絡をよこしていたくせに。
でも——
ユナはコーヒーを片手に、推しであるジュニルの動画を眺めた。SONICの公式コンテンツだ。ジュニルへの10の質問という内容。
『僕がステージに立つ理由ですか? 皆さんが見ていてくれるからです』
カメラに向かって微笑む。
『だから、これからもずっと僕の隣にいてください』
あまりの尊さにユナは思わずスマホを裏返した。
「ジュニル……ッ……愛してる………ッ……」
ユナは天井を仰ぎ、顔を隠した。
その呟きは誰にも聞こえていない。聞こえていないはずだ。一瞬同僚がゴミを見るような目でこちらを一瞥した気がしたが、気のせいだ。
先程の幼なじみのムカつく態度など全部どうでもいい。推しさえ笑ってくれればなんでもいい。
ふと、ユナは韓国行きのことを思い出し我に返る。
——————これが、同じ屋根の下に……?
本当に言ってる?ガチで無理なんだけど。心臓発作で初日から搬送みたいなことにならない?これ。
だが、オタクとしての高揚感は抑えきれないでいた。
口角が緩みきったニヤニヤを隠しきれないなんともいえない表情で、ユナはPCに向き直った。




