90話 攻防戦の開始2
また一冊読み終えたレティシアは、座っている傍らに本を置き、大きくため息を吐きながらソファの背に凭れかかった。
魚に書簡は送った。夜会の予定はしばらくない。なので今レティシアができることと言ったら、過去の儀式について調べることだ。
なのであれを星授の儀だと仮定して、それについて書かれていそうな本を邸の書庫から探したのだが、つまらない。胡散臭い。
ちなみに内容はどれも、星詠が星堂で説いていることか、初代国王の英雄譚で、レティシアが求めているものはなかった。
宗教学者が書いた文献が置いてあるような書庫があれいいが、そんな都合のいいものがあるわけがない。
(これは専門家に聴いた方がよさそうだけど)
いつぞやかに会った、ラインベール領の星詠を思い出す。
(そんなことしたら、義兄様から堅物軍人に報告がいって、詰められるのがオチね)
ちなみに今も宗教以外の他の本をいくつか混ぜて、ただの暇潰しの読書に見せかけている。きっとリベルトには些細な情報でも報せるよう、命じているはずだから。
(さて、どうしよう)
レティシアは小さく唸る。何も得られないのであれば、これ以上本を読む意味はなく、この時間を別のことに充てるべきなのだが。
(別のことと言っても、あとは宝物のことくらいしかないんだよな……)
鳥の仮面を被ったジジイに渡された小箱の隠し場所は、いくつか候補を出しているものの、直接目で見ないと決められないし、ペーパーナイフ擬きに関しては、何をどう調べていいか全くわからない。
(刃物に詳しい人に、なんで切れないのかって聞いたところで、研いでないからとしか言われないだろうし……ん?)
そう思ったが、ふと武器の扱いや手入れについて事細かに言っていたヴァッセが、ペーパーナイフ擬きに関しては何も言っていなかったことを思い出した。つまりこれは刃物ではないのだろう。
いや、そもそも特殊文字を書いて使うのだから門の鍵と同じ、古の何かなのだ。これは元々ナイフの形をしていたのか、それとも後でこの形にしたのか。そしてナイフの形になっているのは、武器として使うためなのか。
(ますますわからない……)
レティシアは顔を両手で覆った。カイに聞いたらきっとすぐわかることなのにと、連絡が取れない状況に苛立ちを覚える。
(もし調べるなら、これが刃物かどうかを特定させることからか……)
特殊文字は凶賊でも限られた人しかわからないので、それしかない。でも調べるにしても誰にも知られるなと言われているから、口の固い人物でなければならないし、そもそも刃物に詳しい知り合いなんていないーー
(……いや)
はたと閃いたレティシアは、にやりと笑った。
◆◆◆
ヴィンセントはメモを書き終えると、小さく折りたたみ、蝋で封した。そして窓際に置いた鳥かごから小さな灰色の鳥を出すと、腹の羽毛を掻き分け、現れた袋にメモを詰め込んだ。
難しいと思われていたモンテアーノ家との協定は、思いの外あっさりと通ったのだ。ただし信用できると判断されたからではなく、今現在の時点で打てる有効な手がほぼないためだ。
『魔女と貴族、凶賊が国家を滅ぼそうと共謀している可能性が高い』
その言葉から始まった、国営軍の元帥と五大将、そして星詠が集められた会議は終始緊張と焦りに満ちていた。
おまけに敵は既に第五区をほぼ落とし、凶賊という兵力と古の力という武器も手にしており、いつでも戦争を起こせる状態だ。
緊迫した状況にも関わらず、今把握している情報では、手立てを講じようにもほぼ何もできないというのが現実だったからだ。ただでさえ反逆者の特定も、敵の規模を推測することも難しいのに、そこに魔女が加わったことで何が起こるのか。敵が魔女の力を得てどのような戦略を立ててくるのか予想できなくなってしまっていた。
『唯一推測できることは、敵が事を起こす時期か』
イーツカルツェ公爵の言葉に、皆険しい顔をした。例え魔女が絡もうが、戦争というものがその性質上、己が優位に進むように行うことに変わりはない。そうなると国内の貴族が一堂に会する秋の建国記念の祭典か、軍行が難しくなる冬のどちらかを狙ってくることは皆が予想できた。そして三ヶ月後の祭典までに戦争の備えを完全に整えることはできないことも。
『事を起こさせないことが最善だが、現状の最善策は敵に自ら秋の開戦を避けさせるように誘導することだろう』
リーズで凶賊が暴れたことは記憶に新しい。それを利用して軍から五老院が壊滅した可能性を示唆し、警備を強化する。秋に祭典が行われることは周知の事実なので、警備を強化しても不思議はない。それにだ。
『傍系だろうと王族が凶賊に狙われた以上、軍が祭典を警戒することは当然であり、まさか敵も別の思惑があるとは思うまい』
なにせ凶賊が暴れた裏にはレティシアの誘拐という、公にはできない事実がある。黒幕しか知りえないその事実を逆手に取り、表立って警備を強化する裏で、戦争を見据えた準備をするのだ。
そこまでは全会一致で決まった。しかしどのような戦略を立てるべきか。今は敵の情報が少なすぎるせいで、考え得る限りの手段を講じておかなければならないのが現状だ。
その状況を共通認識としたうえで、イーツカルツェ公爵はモンテアーノ家の残党と手を組むことを提案したのだ。
彼らを信用したわけではなく、また彼らが倒した凶賊からどれだけ情報が得られるかは不透明で、そもそも情報を提供するとも限らない。しかし第五区で凶賊同士で争い続けてくれれば、少なくとも敵の勢力を削れるだろうし、敵の計画に狂いが生じるかもしれない。
そういう理由からモンテアーノ家と協定を結ぶことが決まり、彼らとの交渉兼連絡役にヴィンセントが任命されたのだ。
(この内容でカイは飲むだろうか。いや、それよりもこの小さい鳥は、無事にカイの元に飛んで行くだろうか)
ヴィンセントは大型の鳥にすぐにでも捕食されそうな鳥を掴んだまま、窓際まで行くと窓を開けた。そして手を開いて連絡鳥を放った。その途端、鳥はあっという間にいなくなった。
飛んで行ったのだと思うが、全く目で追えなかった。これは消えて行ったという表現がしっくりくるほどの速度だ。
(……この鳥も古の力が影響しているのか? そもそもあれは鳥なのか?)
不可思議なものは十分見たと思っていたが、そうでもなかったようだ。ヴィンセントが窓の外をしばらく見えていると、扉がノックされた。
「入れ」
「失礼します。レニードアン伯爵家の夜会の報告に参りました」
入ってきた部下は中尉、つまり貴族子息だった。
レティシアはつい先日、レニードアン伯爵家の夜会に出席していた。誘拐前に決まっていたものだから、当初の予定通り出席してもらったが、王都に戻ってすぐのことだったため、ひとまず中央部隊に所属している貴族子息のうち、レニードアン伯の夜会に呼ばれていた彼にレティシアの警備を任せたのだ。
「特に不審な動きをする人物は見当たりませんでした。ラインベール公爵親子に挨拶していた貴族ですが、夫婦を一として考えて六名で、レティシアお嬢様個人に近づいた者は二人。どちらも男で、彼女も好意的な様子でした」
引っ掛かるところはあるものの、ヴィンセントは表情を変えずに仔細を聞く。
「……なるほど、ご苦労だった」
報告を終えて出て行く彼の背を見遣り、執務室に誰いなくなったと同時に、ため息を一つ吐いて額を押さえた。レティシアは大の男嫌いだ。そんな彼女が男と親しくしていた理由など考えるまでもない。
(大人しくはしないと思っていたが、まさか、手当たり次第に調べる気か。いや、これを足掛かりに社交界の情報源を得るつもりか)
情報を集めるには情報を持っている者が必要となる。しかしレティシアは最近貴族社会に入ったばかりで、ファンルドー男爵家とハインカルツェ公爵家以外、親しくしている家門はない。だから情報源となり得る者を探し出そうという魂胆だとわかる。これは早いうちにレティシアの方も手を打たないといけないようだ。




