89話 攻防戦の開始1
「疲れていますので、私はこれで。義兄さまはごゆっくりなさってください」
夕食を終えるとすぐ、レティシアは席を立った。
「今日はありがとう。おやすみ、レティ」
「……おやすみなさい、義兄さま」
レティシアは無表情のまま挨拶して食堂を後にする。その姿はフェンゼン家にいたときと全く変わらない。ラインベール公爵を徹底的にいない者として扱っていることを除いて、だが。
「……では私たちも移ろうか」
ラインベール公爵に促され、二人で談話室に移動する。食事中の殺伐とした空気を考えるとレティシアを引き留めるという選択がなかったのだが、もしかしたら引き留めた方がよかったのかもしれないと思う。
「すまない。かえって君に気を遣わせてしまってしまったね」
食事中、リベルトが頻繁にレティシアに話を振っていたことを言っているのだろう。クラリスの結婚式の話以外、レティシアは相槌も打たなかったので、公爵の目には自分が間を取り持っているように見えたのかもしれない。
「そんなことはありませんよ」
リベルトは眉を下げて首を振った。
「フェンゼン家でもレティシアが自分から喋ることは滅多になかったので」
「そうなのかい?」
「ええ。クラリスのお喋りに巻き込まれるので話してはいましたけど、そうでなければ一日中黙っていたと思います」
あれは喋りたくて喋っていたというより、致し方なく喋っていたように思う。レティシアは必要なことは聞いてくるが、それ以外は喋らなかった。
「……そうか……。クラリス嬢はずっとレティシアを気にかけていてくれたんだね」
「そう言っていただけると聞こえはいいのですが……実のところ、同年代の従姉妹ができたことが嬉しかっただけでして。それにレティシアが数ヶ月先に生まれているクラリスを『義姉』と呼ぶものだから、気合いが入ったようで、毎日レティシアを振り回していました」
クラリスはレティシアのその日のドレスから髪型までコーディネートして、お茶をしたり、観劇に連れて行ったり、夢中になってる小説についてお喋りしていた。ちなみにその間、レティシアは嫌な顔もせず、黙々と付き合っていた。
リベルトも父も、レティシアが無理しているのではないのかと気が気ではなかったが、親類を含めて他者が来る場には嫌がって断固として出なかったので、あれは嫌ではなかったのだと思う。
「クラリスはレティシアに本当に世話を焼かせっぱなしでしたね」
そんな妹もついに花嫁になった。レティシアが誘拐されていた最中のことだ。
「彼女の結婚式が恙無く終わったようでよかった。ファンルドー卿はきっと感無量だったことだろう」
体裁を気にして涙を我慢して、けれど結局は耐えきれずに涙をこぼしていた父を思い出し、リベルトは苦笑いする。
「でも寂しがっているだろうな。君もしばらくフェンゼン家から離れてしまっているから」
「僕がいても大して変わらないでしょう。それに今までも軍の任務で、しばらく帰らないなんてこともありましたから」
リベルトは他愛ない会話をしながら、心の中で公爵に謝った。自分の任務はレティシアの護衛であるが、それとは別の任務も任されていた。レティシアに近づく者、レティシアが近づこうとする者を調べること、そして親子関係についての調査だ。
実際のところ、リベルトに期待されているのは後者の任務だろう。こういうことは対象者の懐に入り込むことが必要になるので、その点でいうと従兄であるリベルトは適任というわけだ。
リベルトは黙って調べることの心苦しさを感じつつも、これがレティシアの安全のためになるのならと、静かに己の仕事に徹した。




