88話 懸念3
あれだけストレスだった馬車移動は、帰りはそれほど苦ではなかった。相変わらずローレンスは鬱陶しかったが、舞踏会でそれなりの成果があり、今後のことを考えるのに忙しかったのだ。
ちなみにそれなりの成果というのは、グラスを片手に現れた令息と、その後、ローレンスに見つかって広間へ戻された直後に声を掛けてきた令息の二人である。
(十分に餌も撒けたし、まあ上出来ね)
レティシアが男と二人きりで親しそうにしていた。
いよいよ婿探しに本腰を入れたようだ。
あの夜、外でも中でも遠目からこちらの様子を見ていた客がいたので、間もなく彼らの口からその手の噂が回るだろう。そうすれば肩書や地位が欲しい男は焦って行動に出てくるはず。次の釣りが楽しみだ。
(っと、その前に。釣った魚に餌を与えないと)
昔、一家の女たちが言っていたことを思い出す。客を逃さないためには会っていない時にこそ、自分の存在をアピールすることが重要だと、それはもう力説された。
アピール方法はそれぞれ違ったが、貴族なら文通が無難だろう。男が喜ぶ言葉を適当に並べておいて、その気にさせようと考えて、
(ん? 男が喜ぶ言葉? ……男が喜ぶ言葉?!)
思考が完全停止した。そんなの知らない。
レティシアは頭の中で必死に言葉をかき集めるが、男は碌でもないモノでしかないという認識のため、何も思い付かない。あのとき女たちの言葉をちゃんと聞いておけばよかったと、今さらながら思う。
(……よし、侍女に頼もう)
きっと喜んで考えてくれるだろう。自力での解決を放棄したレティシアは、再び今後の作戦を練ることにした。
そうして王都の邸に着き、ローレンスのエスコートを無視して玄関に入ったレティシアは、唖然とした。
「お帰り、レティ。元気にしていたかい?」
「……義兄様?」
執事のマクシミリアンと共に出迎えてくれたのは、従兄のリベルトだった。レティシアは状況が読み込めず、人の好さそうな笑みを浮かべているリベルトを見つめたまま、その場に立ち尽くす。その間に後から来たローレンスがレティシアの横に立った。
「君の方が先に着いていたか。せっかく来てもらっているのに、出迎えられなくてすまない」
「いえ。僕の方こそ、公爵がご不在中にお邪魔してしまい、申し訳ございません」
目の前で繰り広げられる二人のやり取りに、レティシアは眉を顰めた。
(知っていた?)
リベルトが客として邸に来たこと自体は決しておかしくはない。おかしいのは義兄が来ることを知りながら、レティシアには伝えていなかったことだ。つまりローレンスがマクシミリアンたちに口止めしていたことになる。一体なんのために。なんて考えなくても、嫌な予想しか出てこない。
「……義兄様、もしかしてここには任務のためにいらしたのですか?」
レティシアが尋ねれば、リベルトは一瞬驚いた顔をし、けれどすぐに眉を下げて「レティは本当に聡いね」と肯定の言葉を発した。
「レティが凶賊に狙われていると聞いて、今日から護衛に就くことになったんだ。僕がとりわけ腕が立つ訳ではないけれど、見知った人間が傍にいる方がレティが安心出来るだろうからって、イーツカルツェ公爵が配慮してくださったんだ」
(あの堅物軍人)
レティシアは眉間に皺を一本足した。これがイーツカルツェ公爵ではなくヴァスバード侯爵の仕業なのは明白だった。あの男のことだから内側にも監視をつけてくると思ってはいたけど、まさかこう来るとは。
レティシアは煮えくり返った腸を黒焦げにさせないようにしながら、口を開く。
「その程度のことで大げさね。家のこともあるのに、義兄様に護衛を頼むなんて」
レティシアがモンテアーノ家の一員だったことをリベルトに伝えているかわからないし、自分から明かす必要もないので、ひとまず一般的な文句を吐き捨てた。心の中では、もちろん堅物軍人を罵倒している。
あの堅物軍人がリベルトを寄越したのは、レティシアの監視が目的ではない。見張りならば客観的な立場で冷酷な判断ができる第三者を寄越すはず。けれどそうではない人物をレティシアの傍に置いた。その目的は一つしかない。
(私への牽制か)
見張りがただの軍人なら、レティシアは情け容赦なく利用した。邪魔ならば社会的に抹殺しただろう。しかしリベルトにはそんなことはできない。彼は血縁者で恩人でもあるうえ、純粋にレティシアを心配しているのだから。
ヴァスバード侯爵はそれを利用し、黒幕への報復を計画しているレティシアの良心に訴えて、計画そのものを止めさせる魂胆のようだ。あるいは躊躇わせている間に、自分たちが黒幕を暴き出して捕まえようとするつもりかもしれない。
ーーただ、あの男は勘違いしている。
そういうことが通用するのは母のような心優しい人であって、自分のような利己的な人間には何の意味もなさない。例え兄に恩義はあろうと、凶賊には凶賊の、譲れない信念があるのだ。
(元凶賊をなめるな)
再び腸がふつふつと煮えてくる。むしろこれは好機だ。内側に監視をつけたことで、他にも付けられているだろう監視役は気を抜いてくれるかもしれないし、義兄の性格では例えレティシアが不審な行動を取ろうと、強行手段には出られないのだ。リベルトに迷惑が掛からないように、絶対目的を遂行してやると、レティシアは静かに息巻いた。
◆◆◆
応接室に場所を移したリベルトは、改めてラインベール公爵に任務内容などについて一部を伏せて説明した。
「既にご承知だと思いますが、これはあくまでレティシアを守るための最善策が決まるまでの一時的な対応になります。期間は未定ですが、我々国営軍は最善を尽くす所存です」
実はレティシアの護衛のために国営軍から派遣されたのはリベルト以外にもいて、他は姿を出さず、邸の外での警備にあたっている。基本的に外の不審な動きや攻撃は彼らが、レティシアに極秘で接触しようとしている者の監視はリベルトが行う手筈だ。
「すまないが、よろしく頼む。……それと、今夜はレティシアも呼んで皆で食事にしようと思っているのだけど、構わないだろうか? あの子も久しぶりに君と話したいだろうし」
「お心遣い、ありがとうございます」
公爵の言葉に少し引っかかりながらも、礼を言う。
「しばらくこちらで生活するのにあたって、何か足りないものはないだろうか? 見落としているかもしれないから、何かあったらいつでも言ってほしい」
「いえ、まさか、不足などありません! むしろ色々と気を遣わせてしまい、申し訳ありません」
リベルトは慌てて首を横に振った。
「僕は任務で来ていますので、どうかお気になさらないでください」
自分のために用意された部屋は、レティシアの部屋の隣で、家具や敷物、ペンや紙などの備品は最上級のものだというのに、さらにはワードローブには、自分にぴったりのサイズに仕立てられた服までもが入っていたのだ。レティシアとの外出時に必要だからとは言われたものの、こう何着も用意されると引け目を感じてしまう。そのうえ今もこうして香茶まで出され、もてなされているのだ。これでは完全に客である。
「ーーこれは私の我が儘に付き合っていると思ってほしい。ヴァスバード侯爵から君を護衛にと提案された時、君に負担が掛かると知りながら断らなかったのだから」
「いえ、むしろ断らないでいただいたことに感謝いたします。あの子の身に何かあったと知りながら、報告を待つだけなんてことはできませんから」
リベルトははっきりと言い切った。これは紛れもない本心だ。例え三年にも満たなくても、リベルトにとってレティシアは大切な妹だ。可愛い妹のためならば、力になりたい。
「そう言ってもらえるとありがたい。……君が来てくれて一番安心しているのは、私かもしれないね」
力なく笑う公爵の顔は血色が悪く、以前会った時よりもやつれていた。きっとまともに寝食ができていないのだろう。レティシアが凶賊に攫われただけでもショックなのに、彼女が凶賊だったなんて。父親である公爵のショックは計り知れなかった。
きっと父なら彼の心を軽くする言葉を掛けただろうが、父親である二人とは立場が違う自分にはそれはできない。だからリベルトは代わりの言葉を告げた。「夕餉を楽しみにしています」と。




