84話 嵐の予感2
国営軍本部の敷地が見えて来た時、一台の馬車が出て行ったところだった。横目で車体にラインベール公爵の紋章が見えたので、レティシアの聴取は無事に終わったようだ。
ヴィンセントは馬を預けると、国営軍の最高権力者の執務室へ向かった。
大方のことは七日前に駐屯地に寄ったときに、早馬でイーツカルツェ公爵に報告している。だからこれから報告することは、それらの補足とモンテアーノ家への援助の説得、そして書簡には記さなかった魔女のことだ。
「失礼します」
「ご苦労だったな」
部屋に入れば、イーツカルツェ公爵が笑いながら労わってきた。その顔はどことなく疲れているように見える。
「……もしやレティシア嬢の処遇の件で何か問題がありましたか?」
「いや。彼女の顔に大人しくするつもりはないと書いてあったから、どうしたものかと考えているだけだ。ローレンスがどうこうできるような相手ではないからな」
レティシアの態度が目に浮かぶ。椅子にふんぞり返って、敵意に満ちた笑みで受け答えしていたのだろう。自分にしたように。
「その対応は私の方で既に考えています。十日以内には彼が来るかと」
「ほう」
ヴィンセントが手の内を明かすと、イーツカルツェ公爵は面白そうに笑った。
「それなら問題ないだろうな。彼女の処遇に関しても。以前なら彼女が元一家と共謀して何かを起こすことを懸念しただろうが、五老院が崩壊してその可能性はなくなった。そのうえ彼女の当時の生活状況を考えれば、一家にいたのも致し方ないと思ってくださるだろう。だが」
「モンテアーノ家への援助の件ですか?」
これは自分でも悩んだことだ。敵の敵は一時的な仲間にはなるものの、相手は凶賊。当然リスクがある。
しかし黒幕が予想通りに国家転覆を狙っているのだとしたら、第五区で戦争の準備を行うはず。その動きを知るにはあちらを監視する目が必要だ。
「混乱している今、一家は家を立て直すことと敵への報復に集中していて、国を狙う余裕はありません。
それに我々はある意味、レティシア嬢を人質に取っているような状態ですから、彼女を危険に曝すような真似はしないでしょう」
「まるでレティシア嬢が一家の弱点のような言い方だな」
「弱点でしょう。あの一家はボスが不在となってなお、ボスの命令を忠実に守っています。ですからその点は信用しても良いかと」
ヴィンセントは断言した。
◆◆◆
「……テメェは一つ勘違いをしてる。ボスはアイツを助けたんじゃねェ。自分の不始末の責任を取っただけだ」
取引が成立した直後、カイは苦い顔で口を開いた。自分の不始末の責任とは一体どういうことだろうか。ヴィンセントが黙って見ていれば、
「……ボスが泳がせていた裏切り者が、アイツの母親を襲った」
裏切り者が市井で何かをしていたことは知っていたが、あえて泳がせていた。そしてその男を捕らえるために動いたちょうどその日、レティシアの母を襲ったのだ。口達者で見た目だけは紳士的なその裏切り者は、レティシアの母が貴族だとわかっていて前々から目を付けていたのだろう。
「未遂でも、既に限界に近かった母親の心を壊すには十分すぎた。すぐに医者に診せたが、回復するかどうかもわからなかった」
「それで彼女たちを一家に入れたのか」
未遂ということはその直前に始末したということ。ならば一応責任は果たしていると言えるのに、それ以上の責任を取ったことに驚いていれば、
「いくら悪党でも、倒れた母親を守るためにナイフ一本で立ちはだかるガキを見て、なんとも思わねェほど冷血じゃねェ」
「ナイフ? レティシア嬢が?」
「……男を殺ったのはアイツだ。母親の跡を付けてたと言ってたから、これまでも似たようなことがあったんだろう」
「!!」
ヴィンセントは愕然としてカイを見た。彼女が一家に入ったのは五、六歳の頃だと聞いていた。まさかそんな幼い子どもが母親を守るためとはいえ、人を殺めていたのかと思うと、強い衝撃を受けると共に、やるせない気持ちになった。
「母親の回復の見込みが出て来たのが、三年くらい前か。それから母親に話を聞いてアイツの父親と生家を探した」
「……公爵まで探したのはなぜだ?」
生家に帰した時点で彼女たちの生活は安定したはず。そのうえラインベール公爵は当時、彼女たちを探すために身元を隠して市井で暮らしていたというから、いくら市井に諜報を放っていても彼を探すことは非常に骨が折れたはずだ。
「父親がいなきゃ、戸籍のないアイツがこっち側に来る可能性がある」
「なるほど。つまり母親の回復を待つ間に彼女を育て、さらに貴族社会に戻すところまでが責任ということか」
「アイツから母親から奪ったこと、母親から奪った時間を考えると、それでも十分とは言えねェだろうが」
ヴィンセントはずっと気になっていた。素のレティシアの食べ方や所作が、凶賊で育ったとは思えないほど綺麗だったから。もしかしたら娼婦として売るためではないかという考えも過ったが、レティシアやスファンの話からその可能性がないこともわかり、いよいよボスの真意がわからなくなっていたのだが、これで理解できた。ファンルドー男爵もラインベール公爵も強請らなかった理由もすべて。
◆◆◆
「話を聞くかぎり凶賊とは思えないほど、義を通す男だとは思うが……そこまで彼らの援助を進めたい、本当の理由はなんだ? 目が必要なだけだからではないだろう」
レティシアを保護していたことを評価しての話だと思われているかもしれない。ヴィンセントは息を整えると、固い表情で口を開いた。
「……第五区の襲撃に魔女が関わっている可能性があるからです」
「報告書にはどこにもなかったが?」
「ええ。魔女がどこに潜んでいるかわからないうえ、確実だと言えない以上、書けませんから」
イーツカルツェ公爵は赤茶色の瞳を鋭く光らせていた。魔女の存在を信じていないからではなく、女性の寿命が延びて来たこと。さらに加護のないレティシアが十八歳まで無事に育ったことで、七十年前の魔女の今際の言葉は最後の悪あがきだという認識に変わっていたからだ。そんな中で魔女が黒幕などという話は、可能性がなくはないとはいえ、信じることは難しいだろう。
「……根拠はあるのか?」
「物的証拠はありませんが、第五区には魔女の力を検知する術があります」
第五区自体に魔女と同じ力が宿っていて、魔女が力を使えば土地の力も連動し、異変が起きること。それが先の戦争の時に起きたことを話す。
「私もその異変の一つをこの目で目撃しました。ですから嘘ではないでしょう。モンテアーノ家のボスは不審な動きが出始めた時点で、国家の仕業でなければ魔女の可能性を示唆していたようです」
イーツカルツェ公爵は依然として険しい顔をしていた。
「ところでリーズで捕らえた凶賊たちの供述はどうなっていますか?」
レティシアの誘拐に関与した凶賊は黒幕と面識があったのだから、もしかしたら誰か一人くらいは魔女の話を出してはいないか。そう思って尋ねたのだが。
「難航していると聞いている。口を割らぬのではなく、供述が誰一人ーー」
公爵が話している途中、扉が開き、護衛の兵が入ってくる。
「星詠が訪れております」
「通せ」
護衛が扉を開けるや否や、星詠が入ってきた。よほど急いでいたのか、肩で息をしている。ヴィンセントがやはりと思っていれば、
「し、失礼します。ヴァスバード侯爵がお持ちになられました、瓦礫から魔女の力の反応がありました!」
「何?!」
イーツカルツェ公爵は椅子から立ち上がった。星詠は急いで机の上にヴィンセントが渡した遺跡の一部を置いた。
「この黒いものはインクではなく魔女の血です。かつての星堂を利用して、こちらの星堂で加護していた魂に呪いを掛けていたと思われます」
星堂は星を刻み、加護を掛ける場所であり、建物そのものにも力がある。恐らくはその神星な性質を悪用し、加護を効かなくさせたか、加護を反転させる呪いを掛けたのではないかと推測されているという。
「これが魔女の痕跡、か。……魔女はまだ生きているのか?」
「生きています。魔女の血に宿る力は、魔女の生命と連動していますゆえ、確実に、どこかで生きています」
星詠は緊張した面持ちで、けれどはっきりと断言した。途端に空気が張り詰めた。
「嵐が起こるな」
イーツカルツェ公爵は低い声で呟くと、ベルを鳴らした。すぐに副官が入ってくる。
「国王陛下へ緊急の面会を申し出ていると知らせてくれ。それと緊急招集令だ。伝令4名を中央部隊以外の各部隊に送れ」
「はっ」
副官はすぐさま部屋を出て行く。緊急招集令とは、各部隊の大将以上の者だけを集める命令で、その名の通り、緊急事態の際に行われるものだ。そして最後に緊急招集令が出されたのは七十年前。魔女の再来が確認された時だった。
「すまないが、国王陛下への報告に同行してもらえるか? 恐らく陛下は見解を求められるはずだ」
星詠は「もちろんでございます」と深く頷いた。
「ヴァスバード侯爵。一家と連絡する手段は持っているか?」
「ええ」
三日前にカイから自分専用の連絡鳥という伝書鳩が来ていて、使い方も教わっている。だから確実に、そして安全に連絡できる。
「緊急招集までに援助の件の具体的な内容をまとめておくように」
「承知いたしました」
ヴィンセントは一礼すると部屋を出た。一番遠い北部の基地までは早馬で四日ほど掛かるので、最短で九日後には会議が開かれることになる。それまでにカイにも連絡を取らなければなるまい。




