78話 地下の奇跡1
幸いにも足場がそれなりにあったため、思ったよりも早く穴の底に降りられた。あとは向こうの道に行くために、再び登らなければならないのだが。
「どうするの? 鉤縄とかないと厳しそうだけど」
岩場を見上げながら、まるで他人事のように言うレティシア。登るはずの岩場は途中、切り立った崖のようになっていて、到底登れそうになかった。
「ならばそこの道を進もう。崩れてはいるが、どうやらここも旧道のようだ」
ヴィンセントは岩の切れ目を指差す。落盤の影響で少し塞がれているが、人一人なら通れそうな隙間がある。
「あそこから風が吹いてきているから、どこか外に通じている場所があるはずだ」
風上を目指して進めば外に出られるかもしれない。
「その穴が人が出られる大きさとは限らないんじゃない?」
「そのときは門を作って戻ればいい」
「だからそれは」
「店側にも新たに記号を書かなければならないというのは嘘だろう? 門を消した側だけ書けばまた使える。だから君は王都へ帰ると言ったんだろう?」
レティシアが考えを変えたのは鍵を受け取った直後。あのときはアビの気遣いに心が動かされたのだと思ってしまったが、よくよく考えれば彼女は感情で目的を諦めるような人ではない。
「それはあなたの憶測でしょう?」
「そう思っているならそれで構わないが、実際に試せばわかるだろう。ああ、門を作るのに必要な記号は知っているから、そのつもりで」
返事の代わりに舌打ちが聞こえてきたから、図星だったようだ。
「このまま進むが、疲れていないか?」
「この程度で疲れるって、私を見くびらないでくれる?」
「それは失礼した」
まだ精神的な疲労が残っているはずのレティシアからは、大変素っ気ない返答がきた。少しは調子を取り戻したらしい。
ヴィンセントは持っていた蝋燭の火を消すと、レティシアから燭台を受け取った。
「では進むぞ」
岩の切れ目を抜けると、その先は予想通り旧道が続いていた。そうして風を頼りに進んでいれば、左側に微かに光が見えてきた。
「……この先、外に出られるかもしれないが、敵がいる可能性もある。警戒してくれ」
「それなら私にも武器ちょうだい。丸腰じゃ何もできないわよ」
ここぞとばかりに武器の要求してくるレティシア。しかし彼女に剣を振るわせるわけにはいかないので、要求は聞かなかったことにする。
恨めしそうな視線を背中で受けつつ、光の見える分かれ道に近づくと、岩影からそっと様子を伺った。
「?!」
ヴィンセントは思わず目を見張った。王城の吹き抜けのよりもはるかに高い頭上から光が差し込み、地下とは思えないほどの空間になっていた。
(人為的に創られた場所か)
地面は円形に整えられていて、三カ所ある出入り口は綺麗な曲線を描いている。それに劣化していても床や壁の表面が、平らに磨かれていた形跡が見て取れた。
敵がいないことを確認したヴィンセントはレティシアを手招きして呼び寄せると、光が差し込む中央へと進んだ。光源は頭上に空いている穴らしく、風もここから流れてきていたようだ。
とにかく地上には出られないことはわかった。光を見たせいで残像が残る目を戻すために、ヴィンセントはしばらく下を向いて目を瞑り、再び目を開けたところで足元のそれに気づいた。光源の真下の床に、黒い円形の模様が描かれていた。
(もしや星堂か?)
形こそ違えど、紋様の描かれた床と、その真上から光が差し込む幻想的な景色は星堂とほぼ同じだ。
第五区は建国前、古の昔に人々が暮らしていた場所。そして伝承によれば、初代国王陛下は魔女と戦う前に人々の星を刻んだという。だとすると星堂の原型とも呼べる施設があったとしても不思議ではない。なのだが。
模様を観察していたヴィンセントは、ふいに黒い模様のその下に、微かに薄茶色の紋様があることに気づいた。
(黒い模様とは違う柄……?)
描き直したわけではないそうだ。それに薄茶色の模様は消えかけているほど劣化しているのに、この黒いインクはそこまで劣化していない。
(凶賊たちがやったのか? いや、奴らはこんなことをする必要がない)
ならば初代国王が人々を連れて表に出た後にも、第五区に残り、ここで何かをしていた人物がいるということだ。
星堂で一体何をしていたのか。当時は初代国王陛下が加護を与えていて、星詠はいなかったというのに。
(まさか魔女……!!)
背中に冷や汗が流れる。かつて愛人として伯爵家へ潜り込んだ魔女は、凶賊が運営する娼館の娼婦だった。ならば魔女の可能性は十分にあり得るだろう。
ということはこれも呪陣の一種かもしれない。ヴィンセントは急いでメモにこの模様を書いた。それから黒いインクが付着しているひび割れた床の一部を取ると、布に包む。
「レティシア、今すぐここを離れるぞ」
魔女が潜伏している可能性もある。そう思って振り向けば、レティシアは中央の光を見たまま、立ち尽くしていた。
「レティシア? レティシア!」
ヴィンセントが近寄れば、ようやく我に返ったらしい。彼女の青紫色の瞳がやっとヴィンセントを捉えた。
「どうした? 何かあったのか?」
「え……? いえ、何かってわけじゃないけど……」
やけに歯切れが悪い。
「……ここはたぶん古の時代のものだと思う。確か昔、そういう話を聞いーー」
「下がれ!」
突然強い殺気を感じたヴィンセントは、レティシアの腕を引き、己の背に隠す。それと同時に長剣を抜いて右前方の出入り口から飛んできた何かを叩き落とした。それが矢だと確認する間もなく、目の前の出入り口の一つから、マントを被った十数人の集団が現れた。
弓と長剣を構えてこちらを威嚇している。
(こんなところまで残党狩りか)
門を書いてもらうにも、この状況では書けない。
背後の出入り口までは少し距離があるが、レティシアなら走り抜けれられるだろう。
「合図したら、元来た道へ」
そう囁けば、後ろから「わかった」と小さな返答がくる。矢を叩き落としながら後退すれば、逃げる時間は稼げるだろう。
そのためにヴィンセントが敵との間合いを計っていれば、コツコツとこちらに近づいてくる足音が響いた。
「……まさかこんなところまでネズミが紛れ込んでくるとはな」
彼らの後ろから余裕をうかがわせる台詞とともに現れたのは若い男だ。しかし一目でこの連中を統べる者だとわかるほどの貫禄があった。
(上位の凶賊一家か)
当たりが悪すぎる。交戦になる前にレティシアを逃がそうと、合図を出そうと腕を動かそうとして、
「動くな。動けば矢が」
「サフスエニア!」
突然レティシアが大声を上げたと思えば、ヴィンセントの背後から飛び出した。
「待て! あぶなーー」
「カイ!」
「?!」
「カーーーーイっ!」
彼女の思わぬ反応に、追いかけようと一歩踏み出したヴィンセントは立ち止まり、敵はどよめいた。
(まさか……モンテアーノ家か……?)
敵襲を逃れて生きていたとは。子どものように、頭領らしき若い男に飛びついたレティシアを、ヴィンセントはただ見つめていた。
サフスエニア : モンテアーノ家で使っていた仲間だと知らせるための暗号。言葉に意味はない。




