74話 現実5
レティシアはまるで糸の切れた人形のようにガタリと崩れ落ちた。その体をヴィンセントは受け止めてその場に座ると、急いで彼女の脈と呼吸を確認した。どうやら気絶したようだ。
(……心が限界だったか)
いくら死と隣り合わせの場所で生きていたとしても、ボスが死んだという現実をすんなりと受け止めきれるはずがない。彼女にとっては命の恩人以上の存在だったのだから。
ひとまずベッドに寝かせようとレティシアを抱きかかえるために右腕を動かし、その動作に合わせてレティシアの左手も動いた。見ればほつれた糸が彼女の指に絡まっている。先ほど暴れていたときに爪を引っかけたのだろう。
ヴィンセントは一旦彼女の体を自分に寄り掛からせ、糸を外そうと左手を動かした。が、体勢に無理があるのか簡単には糸は外れてくれない。
そうこう苦戦しているうちに彼女の体が小さく反応した。一時的に気を失っただけだから、このまま動かしていたら起きてしまうかもしれない。眠れるときに眠った方がいい。心は癒せずとも、頭と体を正常に動かすためには休息が必要だから。
ヴィンセントはレティシアをベッドに寝かせるのは諦めて、彼女を右側に抱き寄せると壁に寄り掛かった。そしてローブから左腕を抜いて右側に回し、レティシアの肩に掛けてやる。右袖はヴィンセントの腕が通ったままだから微妙な状態だが、ないよりはいいだろう。多少なりとも彼女の肌を隠さねば。
(それともう一つ)
ヴィンセントは彼女の右手を持つと、親指に嵌めていた指輪を取った。
(……仕掛け指輪か)
指輪から突き出ている針を見ながら、彼女が執拗に右手を動かしていた理由を悟る。無茶苦茶に動いているように見えて、目を狙っていたとは凶賊らしい。それだけではない。娼婦の真似事をして敵の懐に入ろうという行動もだ。あれは一見すれば我を忘れた末の無謀な行動に見えるが、敵の弱点を突いた実に冷静な作戦だった。恐らく阻塞内に入り込むだけなら、成功していただろうと思う。己の心身が傷つくのと引き換えに。
(……普通に育っていれば、感情のままに涙枯れるまで泣き叫べただろうに)
ヴィンセントはレティシアの青白い頬をそっと撫でる。こうしてみると彼女は至って普通の娘で、元凶賊には到底思えなかった。
(……モンテアーノ家のボスは何を思って、レティシアとその母を保護したのだろうか)
ヴィンセントは思考に耽る。保護というのはスファンから状況を聞いたうえでの推測だが、その推測に間違いはないだろう。そしてレティシアが一家を追放されたのも彼女のためであり、最初から決められていたことだと思っている。
(レティシアが貴族の娘だとわかっていたから)
星導士も母親の静養所も、まるで貴族社会に返すことを想定して用意されていたとしか思えなかったし、彼女の身分をごく一部の人間にしか教えていなかったのだから、それは確定だろう。
ただそれだと矛盾が生じる。もしもボスが本当に貴族との関わりを避けていたのなら、いくらレティシアに諜報の才能があったとしても、第五区には連れて行かずに市井の星詠に預けていたはず。けれどそうはしなかった。
(レティシアを第五区に連れて行く必要があったのか、市井では育てる方法がなかったのか、あるいは彼女の口から巡回兵に漏れることを危惧したのか……)
ヴィンセントは小さく唸る。考えてみてもどれも理由としては弱い。そしてファンルドー男爵はともかく、市井にいたラインベール公爵公爵まで探し出して母娘の居場所を報せた理由も。
(二人の元に届いたという、送り主不明の手紙は十中八九、モンテアーノ家のボスがやったことで間違いない)
凶賊は人探しに長けているのでラインベール公爵公爵を探し出すことは可能だっただろう。ただ二人の居場所を既に身元引受人に教えているのだから、ラインベール公爵を探し出した理由がわからなかった。彼を探すにはそれなりの労力と時間が掛かっただろうに。
(考えれば考えるほどわからなくなるな)
モンテアーノ家のボスの目的が全く見えず、ヴィンセントは小さな溜め息を吐く。ただこれ以上手持ちの情報だけで考えていても仕方ない。
ヴィンセントはレティシアの肩を抱き寄せると目を瞑った。自分も休まなければ。明日、レティシアが暴れようと泣き叫ぼうと、王都に連れて帰らなければならないのだから。




