64話 上層階へ1
固いパンに兎の肉の燻製、微かに何かの味がするコトリ豆の粥。レティシアは目の前に並ぶ豪勢な食事を堪能する。
(……胃に優しい味)
第四区の四等地の料理よりも質素だろうが、食材にも香辛料にも乏しいこちらでは、これがご馳走なのだ。
(まぁ、お貴族サマには家畜の餌を食べてるようにしか思えないだろうけど)
レティシアは黙々と食べる目の前の男をちらりと見た。決して組みたくもないヴァスバード侯爵と手を組むことになってしまったが、多少のメリットはあった。金に困らなくなったことと、食堂でも食べられるようになったこと、あとは物取りに狙われなくなったことだ。そのくらいしかないが。
そうして一階の食堂で早い夕食を終えると、早々に部屋へと移動する。他人との接触はできるだけ減らしておきたい。のだが、彼と共に階段を上がったところで宿の女主人に声を掛けられた。
「掛け布団は二枚置いといたよ」
「それはありがたい」
「いくらベッドが大きいからっていっても、男二人だと手狭じゃないかい?」
「二部屋取れるほど手持ちがなくてな」
「個室じゃなくて共同部屋にすればよかっただろうに」
「そうしいのは山々なんだが……弟の寝相と寝言が悪すぎて、前の宿で苦情を言われたんだ」
やれやれと肩を竦めるヴァスバード侯爵。女主人はそりゃ大変だわと豪快に笑い、レティシアは静かに睨みつけた。
「寝言はとにかく、寝相が気になるのなら、布団で簀巻きにしとくといいかもしれないねえ」
女主人は暢気に助言しながら去っていく。商売してるな、ら説得してもう一部屋取らせるべきだろうとレティシアは心の中で難癖をつける。個室を一つしか取らなかったのはこの男の勝手だというのに、なんで自分のせいにされなくえはならないんだ。
(というかなんで私がこの男の弟なんだよ)
どんな懲罰だ。腹立つ。イライラして部屋に入ってもレティシアが無言でいれば、
「どうした? 食事が口に合わなかったのか?」
トンチなことを言ってきたので、余計いらっとした。
「それはこっちの台詞ね。あなたの繊細な舌には合わなかったんじゃないのかしら?」
「懐かしい味だったな」
「懐かしい?」
「今の立場を継ぐまで各地の駐屯地にいたから、似たような料理を食べたことがあるんだ」
レティシアは目を丸くする。生まれながらにして中央部隊の大将の座を約束されている男が、駐屯地を転々としていただなんて信じられない。
(もしかしてこの男、堅物な顔して、そんなところに行かされるような行為でもしたんだろうか)
可能性はある。人は見かけによらないから。
「早期に跡を継ぐとわかっていたから、現場に出た方が何かと都合がよかったんだ」
レティシアの邪推を察したのか、ヴァスバード侯爵は淡々と説明する。確かに現場に出た方が何倍も早く身につくし、周囲の信用も得られるだろう。特にこの男は、通例よりもはるかに若い年齢で部隊の頂点に立ったのだから。そうなると気になることが。
「代替わりを急いだのは何か事情でも? あなたの父親が病だったという情報は聞いたことなかったけど」
「事情という程のものではない。至極個人的な、早期に隠居したいという父の希望だ」
レティシアは疑いの目を向ける。代々国王に仕える五大侯爵の当主が、そんな理由で引退するとは思えなかった。
「父は長年、元帥の補佐も兼務していたから多忙を極めていてな。それで何年も前から早期の隠居を仄めかしていたんだ」
「なぜそんな重要な職務の兼務を? 補佐はどうしたのよ?」
大将などの役職には補佐官がつくことになっているはず。だというのに元帥の補佐に大将がつくなんて、よほどのことがない限りはあり得ないことだ。
「補佐はいた。だがそれでは不十分だったんだ」
彼は一拍おくと語り出した。
「公爵家の当主がご逝去されて間もなく、跡取りだった長男も重い病に倒れ、療養することになった。そのためにまだ成人していなかった今の公爵が、その座に就くしかなかった。それで周囲の不安を払拭するため、王都に一番近い場所にいた父が補佐に就いた。……それが表向きの理由だ」
「……ということは長男は死んだのね?」
「ああ。当主の死から間もなくだった」
当時、大混乱を極めただろう情報にレティシアは目細めた。国の防衛のことを考えると、空席の期間を作るわけにも、長男の死を公表するわけにもいかなかっただろう。だからあからさまなお飾りでも、長の座を埋めるしかなかった。だから中央部隊の前大将を補佐に置き、脇を固めたようだ。
「でも補佐に回ったとしても、せいぜい五年くらいなものじゃないの?」
次男だろうと、あの家に生まれたのなら当然エリート教育はされているはずなので、そこまで手厚く補佐する必要はないだろう。
「通常の任務だけならよかったんだがな」
彼は小さくため息をこぼす。
「イーツカルツェ家には代々当主だけに継承している物があったのだが、それを先に継いでいた長男が亡くなり、継承していた物も、その行方もわからなくなってしまった。それが一つ目の問題だ」
(ただのお家騒動じゃん)
恐らく当主の正当性を示すためにやっているのだろうが、それがかえって問題を引き起こすなんて本末転倒もいいところだ。
「それで二つ目は?」
「こちらが少々厄介だったのだが……未成年の次男が家督と軍の座を継ぐという状況になったことで、前の元帥が色々主張をして、面倒事に発展した。それを解決するのに十年近くかかってしまったんだ」
「ちょっと待って! 前当主って亡くなったのよね? それなのにその言い方……もしかして前当主と前元帥って別人なの?!」
レティシアは唖然とした。国の最重要役職には当主が就くと決められているからだ。
「そうだ。前の当主が女性だったから、元帥の座には彼女の夫が当主代理として就いていたんだ」
「?!」
レティシアは我が耳を疑った。この国では女に力を持たせることはない。それは王妃でも王女でも同じだ。
「これも少々複雑な話なのだが」
ヴァスバード侯爵はとんでもない話を語り始めた。
前当主が女性だったのは、彼女の兄である前々当主が後継ぎに恵まれないまま亡くなったため、唯一の兄妹で、既に二人の男児生んでいた彼女に白羽の矢が立ったからだという。
実際に欲しかったのは長男だったが、彼はまだ十歳になったばかりで家督を継がせるには早すぎる。それ故に彼女は当時の夫と離婚して子を連れて生家に戻り、長男が成人するまでの間、一時的にイーツカルツェ公爵家の当主となった。
しかし元帥の座はそうはいかない。国営軍の元帥の座に就くには、軍を指揮できる人間でなければならないからだ。だからその条件を満たす、軍の役職に就いている男を新たに婿として迎え、彼を一時的な元帥にした。ただ正当な当主でないため、大きな権限は国王に移されていて、こちらもあくまで繋ぎのお飾りだったらしい。
「本っ当、くだらない」
すべての話を聞いたレティシアは吐き捨てた。家のために夫と別れさせられた挙げ句、すぐ別の男と結婚させられるとは。女がいかに男の道具に過ぎないのかを物語っていて、他人事ながらムカムカして仕方なかった。
「そんなことになるんだったら、最初から遠縁でも血筋の家の男と結婚させておくべきだったわね。そしたら余計な問題は起きなかったでしょうに」
ムカつくついでに嫌味を口にする。先ほどヴァスバード侯爵は婿とのいざこざを面倒事の一言で説明していたが、そんな簡単なものでないことくらい想像がつく。
大方、婿がその座にしがみ付こうとごねたのだろう。次男が成人するまでの数年あれば、周りを固めて、次男に継がせないための支持基盤を作り、自分が正式に権力を持てるかもしれないから。
「前の元帥、つまり前当主の再婚相手はイーツカルツェ家の遠縁の者だ」
「所縁の人間が婿なのに当主になれなかったの?」
「あの家は王家と同じく直系が継ぐと決まっている。だから血縁者であっても、直系ではない彼は当主として認められなかったんだ」
うわあ、面倒くさい。思わず喉元まで出かかったが、頑張って飲み込んだ。顔に出たのは仕方ない。
「そういった問題が色々あって、父が対応してたんだ。当主になったばかりの現公爵では解決するには難しかったし、何より長引けば国の防衛に関わるからな」
「貴族って面倒くさいわね」
実力ではなく血やら正当性やら、無意味なものにこだわる面倒な生き物だと再確認した。
「それにしても、そんな内部の極秘話を部外者に漏らしていいのかしら?」
レティシアは口元を片方だけ歪める。過去のことだから情報としての価値はないが、醜聞に飢えた社交を騒がせるには十分だろう。いくらイーツカルツェ公爵家が不動の地位にいたとしても、さすがに無傷ではいられまい。
「ああ、君なら他言はしないからな」
なぜか自信たっぷりに言い切った。その自信はどこから湧いて来たんだ。というかいったい私の何を知ってるというんだ。
色々言いたいことはあったが、あまりにもはっきり言い切ってくれたために、すっかり毒気が抜かれてしまって、冷めた視線を送るだけになった。




