59話 予期せぬ邪魔者2
あと一歩のところでレティシア嬢を保護し損ねたヴィンセントは、その場で一つの決断を下した。それはヴィンセントが一人、スファンの手を借りて第五区へ行ったレティシア嬢を追うというものだった。
「オレは反対です! もしものことがあったらどうするつもりですか!」
真っ先に反対したのはエレンツィオだ。司令官が動くなど通常はあり得ない。それも凶賊の巣窟に単身乗り込むなど、以ての外だ。
それはヴィンセントも重々承知している。しかし作戦を立てずして複数人で行くことは危険すぎて、では他の者に任せられるかと言えば、無理があった。レティシア嬢の性格を考えると、保護対象者が後ろから撃ってくる可能性も否定できなかったからだ。
それを告げればエレンツィオは唸った。彼女は公爵家の令嬢。伯爵家のエレンツィオでも、身分の高い彼女に強く出られずに任務が難航することも、連れ戻した後にその時のことを持ち出されて、ひと悶着起こることも想像できたようだ。
「しかしあの男を信じるのはいかがかと」
副官も懸念を口にする。
「先ほどから妙な用語でそれらしく言っていますが、入り口とやらはあの男が消してしまっていますし、そもそもその穴が本当に北部の山脈の向こう側へ繋がっているのか、確証はないのです」
レティシア嬢が飛び込んだ屋根の穴は、彼女をおびき寄せるために作ったものだからと言って、何かをして消してしまっている。なぜ消したのか、そもそもどうしてあんな穴ができていたのか、自分たちにはわからなかったし、新たに用意するという道が彼女が落ちた先に続いているのかも判断できなかった。だから皆警戒しているのだ。もしもスファンが嘘を言っていた場合、ヴィンセントが単独で動くことは自殺行為でしかないのだから。
しかしヴィンセントは彼らの懸念とは反対に、スファンを信じていた。正しく言えばスファンの、レティシア嬢を助けたいという意思をだ。モンテアーノ家に不測の事態が起こった可能性がある中でも、例えボスの命令だとしても、スファンは市井に留まってレティシア嬢の安否を確かめようとしていたし、なんとも思っていないのなら、ラインベール公爵を非難するような言葉を言わないはずだから。
そうしてスファンと共に第五区に足を踏み入れたヴィンセントだったが、彼らが真っ先に向かったのは、モンテアーノ家の隠し拠点だった。レティシア嬢を追いたいのは山々だが、ここは敵地。夜に動くのは危険というスファンの言葉に従い、一旦避難したのだ。
「まァ、焦んなくてもアイツがどこいんのかはわかるってっから」
余裕の表情を浮かべるスファンは、山積みにされている箱の中から何かを取り出すと、ヴィンセントに差し出した。見たところ懐中時計のようだ。
「こいつァ羅人盤っていう、特定の人物の居場所を示す特別な道具だ」
聞き慣れぬ名に眉を顰めながら蓋を開ければ、昔使われていた日時計のようなものが現れた。鈍い光を放つ三角形の指時針が文字盤の中央から垂直に立っている。しかし日時計と違い、盤の目盛りは羅針盤と同じく三十二等分されているうえ、指時針は盤の中心部分だけしか固定されておらず、指時針全体と、三角形の頂点から垂れ下がる針は自由に動く仕様のようだ。
「盤の文字は読めなくていい。これを見るうえで重要なのは、盤の位置と指時針が差す位置だ」
スファンは羅人盤を指差しながら説明する。
「この羅人盤には特定の人間を記憶させている。その人物がいる位置がこの針の先が差す場所になる。ああ、自分の現在地は指時針が固定されている場所だな」
盤の頂点である赤い目盛りは北を指していて、特定の人間が自分の位置より北にいるなら指時針全体が赤い目盛りを、東なら右側に傾くのだという。
「対象者との距離は指時針の先、この尖った部分を見る」
針の先が指時針を固定されている盤の中央を差せば自分の近くに、遠ければ距離があるということらしい。スファンから説明を聞いたヴィンセントは、再び盤に目を落とした。
「今レティシア嬢がいるのは、ここより離れた西側の町ということか」
「そういうこった。とにかくこの針の先が中央に来るように動けばいい。その場所にアイツがいる」
原理はともかく、便利なものだと関心すると同時に、こんな重要そうなものを敵であるヴィンセントに預けることに対して疑念を抱く。しかしスファンはヴィンセントの視線を気にすることなく、また別の道具を差し出してきた。
「これは?」
一見すると羅針盤のように見えるが、南北を示す針はなく、代わりに鏃のようなものが盤の右上に垂直に浮いているので、羅針盤ではないようだ。
「これは現在地から一番近い隠しアジトの位置を示すモンだ。鏃が指している方向に進めば隠し拠点に着く。そこに門があるから、アイツを見つけたらこの場所に行って市井に戻れ」
つまりここから先は別行動になるから、特殊な道具をヴィンセントに渡したらしい。彼女の無事を確認できたスファンがモンテアーノ家の状況を確認するために別行動になることは想像していたし、ヴィンセントとしては彼女を確実に保護できるのであれば、スファンがどう動こうと問題はなかった。ただ気になることが一つ。
「これもボスの指示か?」
「……いいや」
態度に出てなくとも、ほんの一瞬遅れた答えが、ボスの指示であることを示していた。
「なぜモンテアーノ家のボスはレティシア嬢をここまで気に掛けている? 彼女はもう一家と無関係なのではないのか?」
ヴィンセントは疑問を口にする。凶賊から足抜けすることはできないので、恐らくレティシア嬢は追放されているはず。だというのになぜ追放の判断を下したボスが、彼女をここまで気に掛けるのだろうか。そもそもなぜレティシア嬢を材料に、ラインベール公爵とファンルドー男爵を強請らなかったのか。
「さァな。まァボスは他の家と違って、貴族と癒着することを敬遠してるからなァ」
先ほどと違い、即答するスファン。
「なぜ敬遠するのだ?」
「得られるものよりも、リスクが高すぎるってよ」
本当にそうだろうか。それだけでは貴族であるレティシア嬢を追放した理由としては弱いのだが、これはスファンに問うてもわからないだろう。凶賊も軍も上官の命令は絶対なので、理由を聞くことはしないからだ。だからヴィンセントは別のことを聞くことにする。
「レティシア嬢についてお前が知っていることを教えてくれないか? なんでもいい」
本人がいないところで過去を聞くのは彼女が嫌がるだろうが、彼女のことを知っておかなければ、市井に連れ帰ることはできない。
「アイツのことって言われてもねェ……。アイツが一家に来た理由も、ボスがどこでどう拾ったのかも聞いたことねェ。まァ、アイツも市井でそこそこ物騒なことをしてたんだろうから、そこで見出されたんじゃね?」
スファンは軽い口調で話す。
「物騒なこととは?」
「盗みや薬の密売や売人、殺しとか。ああ、盗み以外のことはオレの推測だから。でもそんなに間違ってねェんじゃないと思うけど。うちに来たときのアイツの目が、裏社会で生きてる奴と同じだったから」
スファンは口元を歪ませて話し始める。母親がいつから病んでたかわからないが、唯一の保護者があんな状態では、彼女が稼ぐしかなかった。けれど子供に金を払う仕事なんかないから、なんでもしてたのだろう。そうしているうちに市井で活動する凶賊と縁ができたのだと。
「アイツを見出したのがボスだったのは幸運だったな。もしアイツに目を付けたのが他の家の連中だったら、薬漬けにされて母娘仲良く客取らされてたぜ」
ラインベール公爵に言ったときよりも強めの言葉。しかしそれは事実だろう。ヴィンセントは仕事上、凶賊が営業する違法な娼館を取り締まることがあり、スファンの話は誇張ではないと知っていた。
「……レティシア嬢は最初から諜報として育てられたのか? 母親の治療費を稼ぐにしろ、戦力になるまでにかかる時間や手間を考えれば、すぐに金になる仕事をさせそうなものだが」
例え娼館に売らなかったとしても、女の諜報の中には娼婦もいる。それを暗に問えば、
「娼婦は無理だからじゃねェの? アイツ、男は全員殺すものだと思ってるからさ。あれで客を取った日にゃ、役に立たねェどころか足を引っ張るだけだ」
スファンはとんでもないことをさらっと言う。確かにレティシア嬢は男を軽蔑しているきらいがあるのは知っていたが、まさかそれほどまで憎んでいるとは思わなかった。
「母子二人きりで生きてたんなら、男たちから相当イヤな目に遭わされてたんだろう。ただでさえ未婚の母と父親不明の子どもってのは周囲の人間から軽蔑されてっから」
そう言ってスファンはヴィンセントに隙のない目を向ける。
「アンタ、ボロ着て抜き打ちで領地のを歩いたことあるか?」
「いや」
「なら一度やってみるといい。お貴族サマが視察しないような場所で、商人や富豪たちが、未亡人や孤児、天涯孤独の奴らを、鼠のクソみてェな賃金で朝から晩まで、馬車馬以上に働かせてっから」
ヴィンセントは返す言葉がなかった。ヴィンセントも領地を治める身として、自ら市井に足を運び、己の目で街の状況を確認している。しかし労働者を隅々まで見ることはなかったし、彼らの声を直接聞いたことがなかったからだ。
「暴力は日常茶飯事だし顔体がちょっとでも良けりゃ、性欲のはけ口にもされたりする。けどそんな扱いを受けてても、誰も逃げ出せねェし、声もあげれねェ。逃げたところで行く先がなけりゃ、声を上げようものならどんな目に遭うかわかってるからな。だからそこで生きるしかねェんだ」
ヴィンセントは強い憤りを覚える。奴隷のような扱いをしている者たちへもそうだが、そんな状態が日常化しているのなら、その周辺に暮らす者なら知っているだろう。だというのにそんな告発は自分たちの耳には届いていない。それはつまり、彼らの悪事がどこかで握り潰されているということだ。恐らくは役人や地方の有力者がーー。
「そうとは限らねェぜ。市井で一番幅を利かせている富豪や町長たちが、訳ありのことを『星の教えを蔑ろにした人間の末路』とか『星の教えに背いた罰』だと教え込んでるからな。だからその現場を見かけたところで誰も何とも思わねェんだろう」
「……冒涜も甚だしい」
ヴィンセントは吐き捨てた。星の教えとは、初代国王陛下が老若男女すべての人を救うために説いた言葉。それを悪用するなど、代々国王陛下に仕えている身としては到底見過ごせるものではなかったし、その歪んだ環境を放置し続けた、自分たち貴族の責任にも苛立ちを感じた。
「……彼女にとってはボスは英雄なのだろうな」
ヴィンセントはポツリと零す。モンテアーノ家のボスは自分たち母娘に手を伸ばした唯一の人物だ。例え助け出された先の世界が裏社会だとしても、救われたことに変わりはない。
「英雄ってそりゃ当然だろう。まァ、だからアイツを説得するのは諦めて力ずくで行った方がいいかもな」
スファンは笑いながら言った。まるで面白がるように。
◆◆◆
(スファンの言葉通りの状況になりそうだな)
ヴィンセントは蜂蜜酒を飲みながらため息を零す。先ほどもそうだが、リーズで見た彼女の能力の高さは、ヴィンセントの想像をはるかに超えている。圧倒的に不利な状態だろうとわずかな隙を逃さず、敵に対して的確に反撃して逃げ出す攻撃力と判断力の高さ。それだけでなく、躊躇うことなく刃を突き立てられる冷徹さ。きっと彼女はどんな状況下だろうと、己の目的を遂行するためなら何でもやるだろう。ヴィンセントを殺す可能性だってある。こちらで起こっていることは、軍には届かないのだから。
(彼女をどうにかして説得するしかない)
ヴィンセントが行動を誤れば彼女は間違いなく牙を剥くし、王都へ連れ戻せなくなるのは目に見えている。これは思った以上に長期戦になりそうだと、ヴィンセントは蜂蜜酒を呷った。
【羅人盤】特定の人物の居場所を示す特別な道具




