44話 誘拐事件3
ヴィンセント視点
中央部隊の管轄地内のローニエの旧道で、無人の高級馬車が見つかった。
ヴィンセントの元にその報せが飛び込んで来たのは夕刻だった。車体にある紋章は削り取られていたが、馬車の型から富豪以上の家の馬車だと判断できたこと。さらに王都周辺では四、五日前から、凶賊による暴行事件が数件発生していたこと。そのため緊急事態と現場が判断し、部隊の長であるヴィンセントに一報が届けられたのだ。
その報せを聞いたとき、真っ先にヴィンセントの脳裏に浮かんだのはレティシア嬢だった。彼女が関わっているのではないかという嫌な予感を抱きながら現場へ急行すれば、残念ながらその予感は現実のものになってしまった。
ヴィンセントが現場に到着してまもなく、馬車があった場所からは少し離れた森の中で、二人の男が保護されたのだ。ロープで縛られて昏睡していた二人のうち、片方の男の顔に見覚えがあった。片方の男が王立庭園でも見た、レティシア嬢の従者だった。ならば見覚えのない一人は御者だろう。つまり馬車はラインベール公爵のもので間違いない。
彼らを乗せた馬車が基地へと運ばれるのを見ながら、ヴィンセントは兵に発見時の状況を問う。けれど昼前の見回りの際に馬車はなく、また庶民からの通報もなかったという。
「明日の朝から聞き込みを行う予定ですが、有力な情報は期待できないかと」
それはそうだろう。ここは道が整備されていないうえ、すぐそばに主要道があるために時々通行人がいるくらいで馬車が通ることはまずない。巡回も朝と夕の二回のみになっているくらい、人通りがないのだ。だからこそこの場所を犯罪の現場に選んだのだろう。人目がなければ発見も遅れ、足が付く可能性は低くなるから。
ヴィンセントは引き続き付近の捜索をするよう部下に指示を出すと、己は王都にあるラインベール公爵邸へと馬を走らせた。
保護されたのは使用人の二人。しかしあの馬車は使用人が使うものではない。ということは彼らの主がどこかにいるはずなのだ。そしてその主は恐らくーー。
王都に到着したときには、もう夜になっていた。こんな時間に、約束もなしに訪問することは失礼なのだが、事情が事情だ。無礼を承知でラインベール公爵の邸に足を踏み入れれば、邸内は蜂の巣をつついたかのように騒然としていた。ラインベール公爵は突然の訪問者に驚きつつも、「娘が観劇に行ったきり帰ってこないんだ」と訴えた。やはり予想通り、発見されていない一人は彼女だったようだ。
「ラインベール公爵、落ち着いて聞いてください。三刻前、北東のローニエの旧道で、ハインカルツェ公爵の馬車が発見されました」
「なんだって?!」
「現場付近で倒れていた男性二人は、治療のために中央部隊の基地の医療棟へ運んでいます」
「二人?! 娘は?! 娘はいないのかっ?!」
ひどく取り乱しながら、ヴィンセントに詰め寄るラインベール公爵。その様子を見て、やはり彼は何も知らないのだと確信する。
「こんな時に申し訳ありませんが、公爵に幾つか聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
執事は控えてほしそうな表情をみせたが、公爵は娘の捜査に役に立つならと了承してくれた。そして彼の案内で応接室に移動する途中、使用人の中に見覚えのある顔を見つける。確か大星堂でレティシア嬢を迎えに来た女性だ。
「なぜ侍女が邸に? お嬢様の観劇に同行していなかったのですか?」
応接室に入ったヴィンセントは真っ先に尋ねた。
「鳥が戻ってくるかも知れないからと、侍女は留守番させていたんだ」
「鳥?」
愛玩動物だろうか。
「レティシアが母鳥とはぐれた鳥を拾ってね、可愛がっていたんだ。だけど数日前に飛んで行ってしまって。それで娘がひどく落ち込んでしまっていたから、気を紛らわせるために、観劇を勧めたんだ。……それが、まさかこんなことに……」
公爵は嘆くが、ヴィンセントは違和感を持った。前にレティシア嬢と話したとき、彼女は歌劇に興味がないと言っていた。例え落ち込んでいても、興味のない歌劇を観に行くだろうか。
もしかしたら彼女には何か別の目的があって、そのために劇場に足を運んだのではないか。そうなると鳥がいなくなって落ち込んでいたというのは、外出の口実を作るための彼女の演技か。そう考えて、ふとあることに気づいた。
「先ほど拾ったと仰っていましたが、お嬢様がどこでその鳥を拾ったのかご存じですか?」
「王立庭園だったと思う。雪イバラで手を怪我したと言っていたから」
王立庭園、雪イバラ。そこで拾った鳥。ヴィンセントの頭の中で、点と点が繋がっていく。
「……それがいつの出来事だったか覚えていらっしゃいますか?」
「領地からこっちに来てすぐだったから、確か十日前だ」
これで確信に変わった。第五区の男が雪イバラの花壇で間接的にレティシア嬢に渡したのは、いなくなったという鳥で間違いない。
(鳥が原因か……いや、鳥は伝書鳩という可能性もあるか)
ここまで来たら公爵が隠している件について、はっきりさせなければ。
「ラインベール公爵。あなたが市井にいた十六年間、本当は何があったのですか?」
「何がというのは……」
「公爵がお嬢様と暮らしていたというアンサルドの町を調べましたが、親子三人が暮らしていた事実は確認できませんでした」
ヴィンセントはラインベール公爵とレティシア嬢にトラブルがあったかを確認するため、私兵を調査に行かせていた。しかしその結果は「そんな親子は見たこともない」という、そもそもの前提を覆すものだった。あの報告書は国王直属の諜報が作成したというのにだ。
つまりあの報告書は国王陛下の命で作られた、偽装の経歴ということ。市井生まれのレティシア嬢が貴族として認められたのだから、身辺調査はクロではなかったはず。しかし公にするには躊躇われる『何か』があったために、偽りの報告書が作成されたのだ。
ヴィンセントに問われたラインベール公爵は、驚いたような表情を見せる。まさか調査しに行く人間がいるとは思わなかったようだ。
「公爵に呪陣事件についての警告をする前、実はお嬢様にも、お父君が狙われているかもしれないという話をしました。状況はわからなくても狙われていると聞けば、多少はあなたを心配したり、恐怖を感じるはずです。特にお嬢様は事件の第一発見者でもあるのですから。
ですがお嬢様はまるで他人事のような、無関心に等しい態度でした。ですから失礼だと思いつつも、何があったのかを調べたのです」
無関心とは、怒りや嫌いを通り越した感情だ。例え貴族社会に来たくなかったとしても、それだけが父を恨む理由とは思い難く、さらにラインベール公爵の娘に対して妙な気遣いにも違和感があった。だから思ったのだ。もしかしたら彼らは親子としての関係が成立していないのではないかと。
「無関心か……。そうだろうね、それで当然なんだよ。私はそれだけのことをしたのだから」
「旦那様……」
自嘲するように力なく呟くラインベール公爵を、執事が案じる。
「私がレティシアと暮らし始めたのは、いや、顔を会わせたのはお披露目の一ヶ月前なんだ」
彼が口にした事実は衝撃的なものだった。
「つまり駆け落ちして市井で暮らしていた、というのは作り話なのですね?」
ヴィンセントは確認するように問う。
「ああ、駆け落ちはできなかった。先に市井に飛び出したマリアンヌと会えなかったんだ」
彼は力なく語り始める。
「あの子はファンルドー卿に引き取られるまでのおよそ十六年間、マリアンヌと共に星導士の援助を受けながら、ノーツェルという村で生活していた。僕が二人の居場所を知ったのは二年前。生家へ戻ったマリアンヌが亡くなった後だった」
彼が社交界に再び戻ったのは、戸籍のないレティシア嬢を正式に貴族にするため。国王陛下に全てを告白し、数か月間に渡る彼女の身辺調査を行った上で、その条件が提示されたのだという。
「母娘を援助していたという星導士に会ったことは?」
「二年前に礼に行った時に会った。そのあと准司祭になったようだが、一年前に倒れてから静養中だそうだ」
(そういうことか)
ヴィンセントは即座に理解した。困っている母子に手を差し伸べたという星導士は凶賊の関係者、恐らく市井で活動する諜報だろう。彼女は凶賊と通じていたどころか仲間だったのだ。恐らく王立庭園で会っていた男は、当時の仲間の可能性が高い。
(これで偶然、彼女の馬車が襲われた線は消えたな)
あの型の馬車は長距離には不向きなもの。だというのに王都の外、それも馬車が移動するには不便な旧道にあった。彼女が外に出るよう頼んであの場所に行ったのか、それとも彼女の正体を知る何者かに脅されて行ったのか、そのどちらかだと思われる。
(前者の可能性が高いが……)
しかし断定するには材料が足りない。
「もしかしたら、これから犯人から公爵へ身代金要求などがあるかもしれません。こちらに部下を待機させても構いませんか? 中央部隊の極秘任務に当たる者たちですので、このことが口外されることはありません」
「ああ……頼む……」
ひどく痛々しい面持ちの公爵に、ヴィンセントは再び来ることを告げると邸を後にした。




