43話 誘拐事件2
三刻は経っただろうか。レティシアは男に腕を掴まれ、馬車から引き摺り下ろされた。頭から麻の袋を被せられたうえに後ろ手に縛られていて、思うように身動きが取れない。転ばないようにバランスを取るのに精一杯だ。しかし男はレティシアの様子を気にすることなく、引っ張り歩く。
(屋内に入ったか)
足音と感触が変わり、背後で扉が閉まる音がした。恐らく連中のアジトだろう。
前方に放り出されたレティシアは、バランスを崩してつんのめるように倒れ込み、けれど地面ではなく少し固めのクッションのようなものにぶつかった。肌触りはそこそこの質の布だが、藁の匂いがする。
(人質は丁重に扱えっての!)
心の中で男を罵倒していれば、乱暴に袋が外され、それから猿轡と手を縛っていた縄も解かれた。ようやく開けた視界に映ったのは、脅してきた細面の鋭い青の目の男ではなく、髪が薄くて痩せぎすだが身なりの良い、中年の男だった。
「手荒い真似をして申し訳ありません、お嬢様。我々はあなたに危害を加えるつもりはありません。知っていることを教えて欲しいだけ。それさえわかればすぐに解放いたしますゆえ、少しの間、辛抱願います」
瘦せぎすの男は、怯えるレティシアに穏やかな声色で話し掛ける。言葉遣いといい、振る舞いといい、貴族や富豪の使用人だろう。
(私の肩書を知った上で誘拐したってことは、原因はアレで決定か)
まぁそれしかないのだが。
(他にもいるな)
この二人以外の気配がする。怯えながらも周囲の様子を窺っていれば、開けっぱなしの扉の向こうに影が見え、そのままズカズカと部屋に入ってくる。エラの張った四角い輪郭に鉤鼻、暗くギラギラとした目つき。どう見ても第五区側の人間だ。この男はレティシアを脅した細面の男よりも上位らしく、細面の男は入れ替わるように部屋から出ていった。
(入り口に男が二人。私を縛らないということは、そこ以外に出口がないってことか)
男たちがいる手前、部屋を見渡せていないが、たぶんそういうことだろう。
扉を閉めると痩せぎすの男は、レティシアに近づき、床に座った。鉤鼻男は監視役なのか、扉の前に陣取り、腕を組んでレティシアを睨みつけていた。
「五日前、あなたが王都の西の端にある広場に出掛けていた日のことを覚えていますか?」
レティシアはブンブンと首を横に振る。目には涙を溜めておく。
「月はじめの市があり、街がにぎやかだった日です。そこであなたは黒いコートを着た男とぶつかったでしょう」
「そ、そんな人、し、知らないわ……っ」
「よく思い出してください。あなたはぶつかった時に、その男が落としたメモを拾っているはずです」
「知らない……っ、何も拾ってない……っ」
レティシアは男の質問にか細い声で「知らない」「覚えてない」と繰り返す。そして時々「お願い、家に帰して」も混ぜる。バリエーションに欠けるが、お嬢様の言いそうな言葉はこんなものだろう。男が飽きるまでずっと言い続けるつもりでいたが、それに痺れを切らした男がいた。
「女ァ。テメェ、しらばっくれてねえで、どこにやったか吐け!」
「……ッ!」
扉の前で腕を組んでいた鉤鼻の男は、詰め寄ってくるなり、片手でレティシアの首をグッと絞め、ドスを効かせた声で脅してくる。レティシアは首に掛けられた男の手に爪を立てて抵抗する。本当に苦しい。
「おい!! 何をする!」
痩せぎすの男が慌てて割って入ってくる。解放されたレティシアは、床にへたり込んでゲホゲホとむせた。
「あ?! 一体誰の尻拭いしてやってると思ってンだァ?」
痩せぎす男に食ってかかる鉤鼻男。
「テメェの部下が失くさなけりゃァ、世話なかったんだぜ?!」
「それとこれとは話が別だ! これ以上手を出して、公爵家が黙っていると思うのか?!」
誘拐はしても暴力なしの尋問だけなら、嫁入り前の娘の世間体を気にして表沙汰にはしないと見込んでの犯行らしい。どうやらこの男は貴族社会のあれこれをよく知っているようだ。となると富豪の使用人より、貴族の使用人の可能性が高い。
「テメェらが生温ィんだよ!! アイツが言った連中にゃ片っ端から当たったが、どいつもこいつも知らねェと来た! したらこの女以外、他にいねェだろうが!」
レティシアそっちのけで言い争い始めた二人の様子を見ると、この誘拐は決して満場一致で起こしたものではないようだ。痩せぎすの男はどちらかといえば消極的に感じる。十中八九、この計画はあっち側の連中に押し切られたのだろう。重要なメモを紛失するというミスに付け込まれる形で。
(にしてもこの鉤鼻男、ちょっと短絡過ぎやしないか?)
というか焦りを感じる。
(ああ、あのメモを書いて渡したのは、コイツか)
印血は情報の信頼性の証であり、重い責任が伴うものだ。メモを失くしたのが表の人間だとしても、メッセージを書いて渡した凶賊も頭から何らかの制裁が課されたのだろう。だからこの男はもし誘拐したことで軍が介入する可能性が考慮できないほど、必死なのかも知れない。
「おい。何をしている」
白髪交じりで顔に特徴はない男が部屋に入ってくる。なりこそ市民っぽいが、姿勢の良さと口調から予想するとこの男も使用人らしい。そして痩せぎす男よりも上らしい。鉤鼻男はその男を一瞥し舌打ちすると、ドタドタという足音を立てて部屋を出て行く。その後を追うように、男二人も部屋を立ち去った。
気配が完全に遠ざかったのを確認し、レティシアは首や肩を回した。予想通り途中で馬車を移したのだが、それが荷馬車だったし、長いこと縛られて窮屈な体勢を取っていたので、体があちこち痛い。それに涙流すために目を開けっ放しにしてたから目が痛くてしかたない。
(でもこれであいつらに、ただのお嬢様という印象は植え付けられただろう)
レティシアは何も知らない、無力なお嬢様でなければいけない。それが自分を守る、何よりの武器なのだ。
一人きりになったレティシアは、入り口付近に置かれた手持ちの蝋燭が照らす部屋を見渡す。どうやら一般的な部屋の造りで、乱雑に壁に寄せ置かれた荷や藁から推測すると、物置として使われていた部屋だろう。
(出口はこの扉だけか)
外は暗いとはいえ、微かな光が壁の隙間から入ってきている。恐らく雨戸を閉じた状態で木で塞いでいるのだろう。となるとそれを破って外に逃げ出すことはできない。
(王都からそこまで離れてはいないか)
レティシアは頭の中に地図を思い浮かべる。馬車ジャックされて四半刻ほどで馬車を乗り換えてからは、袋を被せられていたので方向はわからないが、振動からなんとなく検討はつく。一刻近くは荒い舗装の道を進んでから再び大通りに出て一刻ほどは舗装された石畳の通りを走り、それからまた荒い舗装の道を進んだ。だから今いるのは、第二区か第三区の三等地か四等地あたりだろう。
(場所の特定はできないけど、中央部隊の管轄を出たのは確実だろうな)
軽くため息を零す。馬車を乗り換えた際に落としたブレスレッドを軍が発見したとしても、管轄が違う場所に監禁されていれば、軍の動きは鈍くなるだろう。してやられたと思いつつも、第五区に連れかれなかったことに安堵する。いくら勝手知ったる土地とは言え、特別な入り口ーーアトロプーーで繋がれた先は連中のアジトだ。そこに連れて行かれれば、成す術がない。
(手足が自由なのはツイてたな)
レティシアは右手首につけたバングルの、装飾になっている金色のリングを外して人差し指につけた。パッと見は何の装飾もない指輪だが、これにはちょっとした細工が施されていて、親指の腹で指輪の外側を擦るようにスライドさせると、指の腹側から湾曲した毒針が飛び出してくる仕様だ。
(なんだか王都に来てから、運が悪すぎね)
見合いだと思って王都に行けば養子に出されるわ、貴族社会に入れられたら魔女だと疑われて軍人に嗅ぎ回られるわ、敵に拉致監禁されるわ、話が二転三転しすぎだろう。このままいけば五転六転くらいしそうだ。
(とりあえず明日の尋問に備えよう)
判断力を鈍らせないためにも、休まなければ。レティシアは布が掛けられた藁の山に凭れ掛かかると目を瞑った。




