30話 疑惑の親子1
薬飲んでおけば良かった。
眼下の舞台で繰り広げられる芝居に、レティシアは後悔していた。視界に移していなくても耳から入ってくるセリフだけで胸やけがする。
(こんな割りの合わない仕事はないわ)
そう、観劇は社交だ。劇場が建設されたなんとか記念だとか言っていた気がする。ちなみに今回の劇は一番人気だという古典作品で、悪い魔女に連れ去られたお姫様を救いに行く騎士との恋愛物語らしい。前回の無謀すぎる愛に酔った物語に比べればまだマシだが、何刻もローレンスと狭い個室空間に押し込められなければならないので、イライラして仕方ない。
(もうムリ。限界)
レティシアは立ち上がった。
「レティシア、どうしたんだい?」
「……涼んできます」
「具合が悪いのかい? 外に休憩室があるから一緒に」
レティシアは席を立とうとしたローレンスを一瞥して怯ませ、個室を後にした。
適当な理由をつけてずらかろう。今は皆、舞台に釘付けだし、これだけ人間が集まっているんだから、一人くらい消えたってわからないだろう。御者には馬車を二往復させることにはなるが、往復したところで大した距離ではないからきっと大丈夫。
レティシアは足早に廊下を歩き、大階段へ延びる階段付近まで来たところで、今一番会いたくない人物に遭遇した。
「レティシア嬢? いかがされましたか?」
なんでこういう時に現れるんだ。絶対監視してるだろうそんな心の叫びは押さえる。
「あら、ヴァスバード侯爵。ご機嫌よう。それでは」
高飛車な態度なのは、おととい大星堂でいろいろあって、お嬢様演技をする必要がなくなったからだ。挨拶も雑に通り過ぎようとすれば
「休憩室ならあちらですよ」
当然、堅物で有名なヴァスバード侯爵が見逃す訳がなかった。
「もしお一人での中抜けを考えているのなら、諦めた方が賢明でしょう。今日は国王陛下がいらっしゃっているので、警備が普段よりも厳重ですから」
「そう。とてもゆうう……有益な情報、感謝するわ」
中抜けができないとなると、劇場内で時間潰をしなければならないらしい。レティシアは心の中で舌打ちをする。
「もし時間を潰すのなら、奥の休憩室を使われた方が良いでしょう。奥は小さい部屋なので、人はいないでしょう」
「それはご親切に」
心のこもっていない礼を言って、さっさと移動しようと踵を返したのだが。
「では親切ついでに、私がお相手いたしましょう。レティシア嬢は私の目がなくなれば、またどこかへ行かれるつもりでしょうから」
どうやら尋問するつもりらしい。結構と断ったのだが、そこはさすが中央部隊の大将。問答無用で強制連行してきた。
(やっぱり薬を大量に飲んで倒れるべきだった……)
ローレンスの次は天敵と同じ空間にいる羽目になったレティシアは、自分の運の悪さを恨んだ。というかこの男との遭遇率高すぎるだろう。市井に足を伸ばせば会うわ、大星堂に行けば会うわ。そういえば義姉と王都を歩いた時にも会ったっけ。
なんだか養子に出されてからロクなことがない。そもそも養子に出されたこと自体、ロクなことじゃないが。イライラしながらも、極力彼をを視界に入れないようにしながら、レティシアは澄ました顔を保つ。
「レティシア嬢は観劇にご興味がないのですか? 前に人形芝居にご興味があると仰っていたと記憶していましたが」
「そんなことあったかしら?」
「ええ。王宮の舞踏会の少し前、お忍びで従者と共に市井に出掛けられていた時ですよ」
「舞踏会の前……ああ、そんなこともあったかしらね」
あのときこの男は一等兵を装っていたのに自ら明かすなんて、きっと裏があるはず。そう考えてレティシアはさらりと流す。
「私は人形に興味があるのではなく、『夜な夜な』『ひとりでに』『動き出しそうな』『気味悪いモノ』を、どうしてああも平気で見ていられるのか、それに興味があっただけ。本当、信じらんない」
ちなみにこれはレティシアの本音である。今でこそ視界に入るだけなら耐えられるようになったが、人形は不気味な存在でしかないのだ。
「……男の私には人形のことはわかりかねますが、あなたが人形が苦手なのは過去に嫌悪を抱いたり、恐怖を感じた出来事があったからではないでしょうか」
なぜとは聞かず、至極真面目な答えを返すヴァスバード侯爵。
「むかし人形に、ねえ」
全然記憶にない。唯一人形に思い出があるとしたら、母が人形をレティシアだと思い込んでいたことくらいだが、別にトラウマになるものではなかった。
「歌劇は人間が演じているのに、観る気にならないのですか?」
「物語に拒絶反応があって」
「どんな物語が苦手なのですか?」
「吐き気胸焼け胃もたれする、ドブ甘な恋愛物語とか。……あれを考える脚本家は、女の頭が夢と菓子でできていると思っているのかしらね」
貴族の女たちが好むという歌劇や小説は、どれもこれも現実をまるっきり無視したご都合主義で、作り物だとわかっていてもうんざりする。
「……好みは人それぞれですが、今回の歌劇は創作部分はあるにせよ、建国神話を元にしているので、視点を変えてご覧になるのも一つの方法だと思います」
「視点を変えたとしても、超人的な力を持つ魔女を人間が殺すなんて、夢物語すぎるでしょう。だいたいお姫様の相手が騎士じゃ、身分が合わないし。そう思わない?」
レティシアはあえて自分から魔女の話を持ち出す。一昨日はこの男の方から試してきたのだ。魔女だと疑っている相手から魔女の話をされたら、どう反応するのか。
「確かに騎士よりも王子にした方が、より現実的になりますね。ただ演出としては少々盛り上がりに欠ける気がしますが」
劇としての話が返ってきた。うまく躱されてしまったと心の中で舌打ちする。
「ちょうど魔女の話が出たので、不躾ながらあなたにお聞きしたいことが。市井にいた頃、お父君がトラブルに巻き込まれた、あるいは誰かに恨みを買われたような記憶はありますか?」
「恨み? さあ、どうでしょうね。なぜそんなことを?」
恨みなら十五分に買っていると言いたい気持ちを押さえ、その質問の真意を問う。
「思い出したくないでしょうが、あなたが領地で発見された事件の件です」
ヴァスバード侯爵は上着の内ポケットから手帳を取り出し、レティシアに見せた。そのページに記されていたのは、円型の不思議な紋様と日付と場所だ。
「これは……魔法陣、だったかしら? これが一体なにか?」
「もしかしたらあれはあなたとお父君に対する挑発や、これから事件を起こすという犯罪予告の類いではないかと思いまして」
「犯罪予告? いったい誰が、何のために?」
「それはわかりません。あなたやお父君に非がなくても、貴族というだけで恨みの対象になることがあるのです」
特にレティシアの生い立ちは非常に稀で目立ちやすいので、市井で育った人間が貴族になったと知った者が、妬みからああいう暴挙に出た可能性があると告げられる。
しかしレティシアの中では、それはないと思っている。まだ勘でしかないが。
「少々考えすぎかとは思ったのですが、実は他にも似たような事件が起きているので、注意すべきだと思いまして」
そう言って前のページを捲ってみせる。また魔法陣が記されていたが、レティシアが見つけたものとは紋様が違うし、日付と場所も違う。ということは、これが他にも起こっている事件の柄なのだろう。レティシアは手帳を手に取ると、パラパラとページを捲りながら軽く目を通す。あのとき抱いた疑念が勘違いだったのかを確かめるために。
(……クロか)
どうやら勘違いではなかったようだ。十一個中、五個だけだが、紋様の中に見覚えのある特殊文字があった。レティシアが発見したものは死骸の腸を使っていたため、たまたまの可能性は十分あったのだが、このメモを見る限りその可能性はなくなった。巧妙に模様の中に組み込まれていても、知っている者が見れば十分にわかる。
(でもそれじゃあ……)
レティシアは思考を巡らせようとして、
「どうかされましたか?」
ヴァスバード侯爵に邪魔される。レティシアとしてはは顔態度を変えたつもりはなかったが、部隊の大将とだけあって、わずかな挙動の変化に気がついたようだ。
「何か思い当たることでもありましたか?」
「……いえ、何も」
そう言いながら、言い訳になりそうな何かがないかと考える。
「どんなことでも構いません。もしかしたら解決の糸口になるかも知れませんので」
ヴァスバード侯爵が圧を掛けてくるので、レティシアは観念したように言葉を続ける。
「勘違いかも知れないけれど、なんとなく星を刻んだ方の星堂の床の模様に似ている気がして」
星授の儀の時に見た、大きな円の中に複雑な模様が幾つも合わさった不思議な柄。それは本当に思ったことでもあるのだが、目の前の男は少々怪訝な表情をしていた。
「あー……さすがに不敬すぎたようね。今のは聞かなかったことにしてちょうだい」
突拍子のないことを言って気を逸らすことには成功したが、星と絡めるのは良くなかったらしい。これ以上追求されては堪らないと、レティシアは大人しく客席に戻ることをヴァスバード侯爵に告げ、さっさと部屋を後にした。
ーーこのときレティシアは夢にも思っていなかった。まさか国家を揺るがす大事件に既に巻き込まれていたなんて。
薬を大量に飲むのは止めましょう




