22話 魔女は禍のもと4
今から八十四年前。当時は今ほど監視の目は厳しくなく、貴族の男は庶民の妾や娼婦の愛人を作ることが多々あったという。
処刑されたグトール伯爵もその中の一人だった。彼は絶世の美女といわれた、ガレーテという名の娼婦を囲っていて、相当に入れ込んでいたといわれいる。別にそれ自体は咎められることではない。問題は、正妻と愛人の出産時のことだ。
正妻と愛人は同時期に懐妊し、奇しくも同じ日に出産したのだが、正妻は難産の末に赤子と共に亡くなってしまった。
正妻と嫡子を同時に失った伯爵は、そこで禁忌を犯した。あろうことか、無事に生まれた愛人の子を嫡子として表に出したのだ。愛人を作っても、非嫡子を貴族と認める行為は蛮行とされていたのにも関わらず。そのうえ、この件を知る者は伯爵を憐れんで、誰も彼を止めなかったのだ。
そうしてガレーテの娘のヘレーナはグトール伯爵家の嫡子として星を刻み、貴族の一員となった。愛人の目論見通りに。
絶世の美女と言われた愛人ガレーテは、実は滅んだはずの魔女の生き残りだったのだ。魔女は王族への報復を果たわんと、好色家の伯爵に近づき、愛人になったのだ。己の娘を王子に近づけるために。
やがて成長した娘ヘレーナは、母に似たその美貌から一躍社交界の花となり、野望通り、王子の婚約者となった。けれど魔女の報復が果されることはなかった。
王家に嫁ぐ者には儀式が課されるのだが、その中の一つ、『試練の儀式』というものを行ったことで、ヘレーナの正体が露見したのだ。
この一件が平穏だった貴族社会を震撼させたのは言うまでもない。滅んだはずの魔女が生きていただけでなく、まだもう一人が生き残っていると判明したのだから。そしてこの事件以降、貴族社会における婚姻は厳格なものになった。
そういう経緯があるため、例え血筋がわかっていても、出産時に立会い人がいないレティシアは非嫡子とされる可能性は十分にあったのだ。
「君の娘に付けられた異名を知っているか?」
「『奇跡の令嬢』だろう? ファンルドー卿から教えてもらったよ」
愛娘は貴族の間で『奇跡の令嬢』と呼ばれているという。理由は百年以上ぶりに生まれたプラチナブロンドの髪を持つ娘で、加護なしで十八歳まで成長したからだそうだ。
「色はともかく、女性でありながら星を刻まずに成人したというのは前代未聞だ。これは奇跡以外の何ものでもないだろう」
フィリウスは感慨深げに告げる。
公には言われていないが、この国の貴族の女は、呪いを掛けられているせいで、星を刻んでも短命なのである。特に王家の血筋の女性はその影響が大きく、その昔は二十歳を迎えられれば長生きだと言われるほどだったという。それを考えるとレティシアが十八まで無事に育ったことは驚きを禁じ得ないのだ。
「陛下は『君がもっと早くに戻っていれば』と、惜しんでいたぞ」
ローレンスは冗談交じりに笑う。その言葉を直接国王陛下聞いているローレンスは、苦笑いする。たぶん、あれは半分本気だった。既に結婚している二人の王子はともかく、結婚自体はしていない第三王子の婚約を破棄しかねない雰囲気だったので、非常に焦った。
「ともあれ、父君にとっても吉報になっただろう。君が帰ってきただけではなくて、孫娘まで見られたのだ」
「そうかもね。兄に言わせたら、驚きすぎて十歳は若返ったらしいから」
「それは喜びすぎてだな。よかったじゃないか君も、父君も」
その言葉にローレンスは曖昧に笑ってみせた。嘘でも「そうだ」と肯定するには、あまりに失ったものが大きかったから。代わりに別の言葉を呟く。
「これまで僕の身勝手で多くの人に迷惑をかけてしまった。その分、これから償っていかないと」
こういうことは他人に言うべきではないだろう。しかし、いくらマリアンヌとレティシアのためとはいえ、真実とあまりにかけ離れた都合のいい噂を真実だと言っていることに、罪悪感が強すぎたのだ。
「……それでも君は戻ってきた。それだけで、ファンルドー卿も君の父君も十分だろう」
ローレンスは顔を上げて、旧友を見た。
戻って来ただけで十分。それは二十一年前、未成年でありながら家を、そして国の防衛の頂点を背負わねばならなかった者だからこその重みがあった。
元々、イーツカルツェ家を継ぐのは、次男のフィリウスではなく四歳上の彼の兄だと決まっていた。ローレンスの友人であり、よき相談相手だった彼は、自分と二歳しか離れていないとは思えないほど、落ち着いていて、人格者で頭脳明晰。非の打ち所がなく、誰もが認める優秀な人物だった。彼が後を継げば安泰だと、誰もが信じて疑わなかった。
しかし、彼が家を継ぐことはなかった。当時の暫定当主であった彼の母が亡くなった直後に、彼が姿を消してしまったからだ。
当時、元帥だった養父と何かあったとか、重圧に耐えきれなかったとか、色々憶測は流れたが、彼の身に何があったのかはわかっていない。一族の醜聞といえるこの件は、一部を除いて病に倒れたことにし、混乱を防ぐために空白になった当主の座と元帥の座に、当時まだ未成年であったフィリウスを据えることになったのだ。
「兄が何を考え姿を消したのか、ついに聞くことも叶わなかった。けれど私も年を取ったせいか、なんとなく判ったような気もするがね」
「辛いことを思い出させてしまってすまない……」
「いや、いいんだ。そもそも我が家は軍を司る家。その家に生まれた時点で、別れが普通よりも早く訪れることも、死に目に会えないこともわかっていたのだから」
そう話すフィリウスの顔は非常に穏やかだ。時間が薬になっただろう。
「家のために大事な人のために気負うのはいいが、気負いすぎは禁物だ。人は全てを完璧にこなせるものではないのだ。急がず、ゆっくりとやればいい」
今は平穏だ、肩の力を抜く程度がちょうどいいとフィリウスは軽く言ってのける。今日は噂のことだけではなく、それを言いにローレンスの元に来てくれたのだろう。
その心遣いがありがたく、同時に旧友を欺いている事実にローレンスの心はざらついていた。
【ガレーテ】84年前にグトール伯爵の愛人となった魔女。絶世の美女だった。出産後に衰弱死。
【ヘレーナ】ガレーテとグトール伯爵の娘で魔女。美貌を武器に王子の婚約者になるが、バレて処刑される。




