21話 魔女は禍のもと3
「もう六日か……」
ローレンスは領地からの報告書を握り締めたまま、机に突っ伏した。
何が六日かというと、もちろんレティシアと顔を会わせてからの日数だ。しかもあの日は狩りだったので、レティシアと一緒にいる時間が短かった。だからどうしても心残りがあるのだ。
(顔を見られるだけで、十分幸せなのだけど)
ローレンスには娘と会う資格すらなかったのだから、心残りなどと思うこと自体、おこがましいことだ。それはわかっている。しかしああして顔を会わせると、もっと娘の顔を見たい、側にいたいと願ってしまう。
ため息が一つ溢れたところで、扉がノックされ、顔を上げた。
「旦那様、イーツカルツェ公爵がいらっしゃいました。……また、お嬢様の報告を読んでいらっしゃったのですか」
おやおやと眉尻を下げるマクシミリアン。己の有能な執事は、書簡の中身を見なくてもそれが何かわかったようだ。
「さすが、鋭いね」
「昔を思い出す光景ですから」
はて何のことかと首を傾げる。
「旦那様がお嬢様と正式に顔を合わせるまで、ファンルドー男爵からの手紙を毎日、くり返し読んでは同じように物思いに耽っていらっしゃいましたよ。まるで恋人の返事を待っているようでしたから、よく覚えております」
マクシミリアンの言葉にローレンスは苦笑する。レティシアを正式に引き取るにまで、ファンルドー卿は頻繁にレティシアの近況を報せてくれていて、ローレンスは毎日のように一人書簡を眺めては娘の姿を想像して、仕事に精を出していた。なのだが、その様子を見られていたとは思わなかった。
「幾ら親しい間柄とはいえ、お嬢様恋しさにくれぐれも上の空にならないようにしてくださいませ」
「肝に銘じておくよ」
ローレンスは襟を正すと応接室に向かった。
応接室では、客人であるフィリウスが寛いでいた。
「待たせてすまない」
「いや、私の方こそ昨日の今日で申し訳ない」
国防を司るイーツカルツェ家の当主であるフィリウスは、ローレンスと旧知の仲だ。ローレンスが放浪の末に貴族社会に戻ってきた最初の社交界の日、彼は真っ先に自分の元に来ると、まるで昨日ぶりに会ったくらいのように接してくれた。あれのおかげで相当緊張が解れた。
長年貴族としての務めを放棄していたローレンスが、社交界での信頼を得るまで想定したよりも時間がいらなかったのは、彼がいてくれたからに他ならない。
「書簡にも書いたが、先日、君の愛娘に調査協力してもらったよ。君を通さずして申し訳ない」
「悪戯でも呪陣となれば、当然の対応だろう? それにあの子や使用人が許可しているのだから気にしないでくれ」
使用人からは、事件を発見した当時の状況を聞いただけだという報告を受けているし、父が主催した狩りに出席したときも、そのことを引きずっている様子はなかったので、問題はない。
「それより、わざわざあの子に贈り物をくれたそうで、逆に気を遣わせてしまって悪かった」
「なに、挨拶が遅れた詫びだと思ってくれ。先に言ってくれていれば舞踏会に行ったのだがな」
フィリウスは悪戯っぽく笑いながら、何も知らせなかったこと文句を言う。
「それは申し訳なかった。娘は直前まで足を怪我していたから、出られるかわからなかったんだ」
言わなかった理由はそれではないが、実際怪我はしていたので、そういうことにしておく。
「彼女と少しばかり話したが、君の娘はなかなかに面白いな。見目は君によく似ているが、性格は少々違うようだ。フェンゼン家の方に似たか?」
多忙なフィリウスがわざわざ時間を作って来た理由を理解する。
「……そうか、君の耳にも噂が届いたんだね」
ラインベール公爵はフェンゼン男爵家の妹君と駆け落ちしていたらしい。
社交界は今、その話題で持ちきりだという。ローレンスが一人で夜会に顔を出せば、皆レティシアがいないことを残念がりながらも、噂の真偽をそれとなく聞いてくる。だからその都度、肯定はせず、けれど否定しないで濁している。当初の予定通りに。
公爵家でありながら駆け落ちしたなど、醜聞どころの話ではない。しかしマリアンヌとレティシア、そしてフェンゼン家の名誉を守るため、現実には叶わなかった希望を表向きの真実だとする筋書きを用意したのだ。
想定した以上の早さでそれが広まったが、計画は順調に進んでいる。今はレティシア本人から、母親がマリアンヌだと認めた話が、親類の娘たちの口から広がるのを待っている状態だ。そういうわけで特に噂を気にはしていなかったのだが、この男にとってはそうではなかったらしい。
「元はといえば国営軍に所属する者が、君の娘の母親を探し出したのが原因だ。だから噂に収拾をつけるのならば手伝うが」
フィリウスの申し出に、ローレンスは首を振る。
「それなら僕の方で対応するよ。娘を表舞台に出すと決めた時、いろいろな噂が立つことは予想できていた。むしろおかしな噂が出回る前に、正しい情報を明かしてくれたので助かったくらいだ。さすが国営軍の軍人だな」
「それならいいのだが。もし何か手伝えることがあれば気兼ねなく言ってくれ」
「ありがとう」
「余計なお世話だと思うが、結婚相手の候補はいるのか? 十八歳なら、今年か来年には結婚するのだろう?」
公爵令嬢でありながらレティシアに婚約者がいないのは、市井生まれだからという理由ではなく、王族の結婚適齢期の男はみな既に結婚しているか、婚約者が決まっていたからだ。その次に結婚できる年齢の男は、ひ孫までいる高齢者か、十歳前後の少年のため、レティシアの結婚相手候補からは外れた。その結果、公爵令嬢としては異例の、婚約者なしでのお披露目となったのだ。
「それは僕の方では決めていない。明日だろうと五年後だろうと、あの子が心から好いた相手と結婚してくれればいいと思っている」
レティシアが幸せになってくれることが一番だと言えば、フィリウスはそうかと笑う。
「それなら気を付けた方がいい。貴族社会に慣れていないことに付け込んで、良からぬ考えを持って愛娘に近づく輩も出てくるだろう。君のことだから、そんな輩を近づけさせることはしないと思うが」
「それはもちろん」
ローレンスが気合を入れて即答すれば、フィリウスは呆れた目を向けた。しかしすぐに穏やかな表情に戻る。
「……君の娘が、正式に嫡子だと認められて良かった。王家の証であるプラチナブロンドの髪を持って生まれたのは、本当に幸運だったな」
国防の長である、彼からこの言葉を聞くと非常に重みを感じる。この国では王侯貴族は出産時に立会い人を付けること、さらに生後すぐに星を刻まなければならないという決まりがある。だからレティシアは例に漏れず、嫡子として認めらることはなかったかも知れないのだ。これだけ厳密なのは庶民の血を入れないためではない。災厄、即ち魔女を、二度と再び貴族社会への侵入させないための対策だからだ。




