18話 災難3
穏やかな昼下がりに再び災難は訪れた。
「イーツカルツェ公爵が?」
「ええ、レティシアお嬢様にぜひご挨拶をと。ただ、ヴァスバード侯爵もおられまして」
イーツカルツェ公爵は代々国営軍の総司令官を務める一族だ。その男が中央部隊の司令官と共に来ている。つまり挨拶という名の、四日前の事件の事情聴取ということなのだろう。
どうりでそれを伝えにきた使用人オルトの顔が、いつにも増して無愛想になっているわけだ。
「恐らく旦那様には通っていない話なので、お断わりいたします」
「いいえ、伺うわ。せっかくお見えになったのだもの、無碍にはできないでしょう」
事件が起きたら、その証言を聞くのは当たり前のこと。けれど書簡という形であちらが求める情報は提供したというのに、こうして現れるとは只事ではない。追い返したところで、また理由をつけて来るだろう。それならば早いうちに原因を知っておいた方がいい。
「では、私も同席を」
「侍女だけで大丈夫。それにあなたに同席してもらったところで、理由を付けて外させるでしょう」
「ですが……」
「心配しなくとも、あちらにも立場があるから馬鹿なことは言ってこないはずよ。もし何かあったら追い出すから」
女は男のような力はなくとも、涙という最大の武器がある。うまくやるからと伝えれば、オルトは承知してくれた。そうと決まれば支度が必要だ。レティシアは侍女に手伝ってもらい、ちゃんとしたドレスに着替え、髪を結い直し、化粧をして完全武装した。
「……お待たせして申し訳ありません。イーツカルツェ公爵、ヴァスバード侯爵」
つゆほど思ってもないことを口にしながら、レティシアは青灰色のドレスの裾を広げ、嬢様の挨拶をする。顔には緊張した表情を張り付けておく。
「突然の訪問で申し訳ない。私はイーツカルツェ家のフィリウスという。可憐なご令嬢に会えて光栄だ」
(さすがは元帥。隣の中央部隊の大将の圧が翳むわ)
穏やかそうな口調だが、ヴァスバード侯爵以上の威圧感だ。視界の隅で侍女が緊張しすぎて卒倒しそうになっているのが見える。喋らなくていいと言ったが、同席自体、させなかった方が良かったかも知れない。
「本来ならお父君に話を通すべきなのだが、近くに用があってね。先日の舞踏会で君がお披露目するとは知らず、欠席してしまってね。これはお詫びも兼ねての品だ」
イーツカルツェ公爵から小包を手渡されれば、侍女が「これはお嬢様へお祝いですから、この場で開けてください」と、こっそり耳打ちしてくれる。
「わざわざお気遣いいただき、ありがとうございます」
これまた思ってもないことを口にして、手際悪く包みを開ければ、中には紫と青の宝石をあしらった銀の髪飾りが入っていた。見るからに高価な品に、レティシアは目を丸くして彼を見た。賄賂にしか思えなかったが、貴族にとってはこれはごく普通のことらしい。戸惑うレティシアとは対照的に、侍女がせっかくだからと、レティシアの髪に髪飾りを付けてくれる。
「いや、噂には聞いていたが、君は本当にお父君によく似ている。彼の若い頃を思い出すよ」
聞き捨てならない言葉が出てきたが、我慢して適当な笑顔を張り付けてる。こうして、腹も探らぬ世間話が一通り終わったところで、ようやく切り出されれた。
「先日はとんだ災難に見舞われたそうだが……大丈夫かい?」
「……ええ、だいぶ。邸の者には迷惑をかけましたけれど」
とんだ災難は今だよ今、という本心は心の中に留めておき、返答を言い淀ませて無力さを演出しておく。微妙なことではあるが、小細工は大事だ。
「実は私がこちらに来たのはその件のことでね。……もし話せたらでいいんだが、怪しい人を見た、音を聞いたなど何か憶えていることがあったら教えてくれないかい? 無理にとは言わないが」
怯えながらも断ろうとする侍女を、レティシアは制した。いま受けて立たなければ、ずっと付きまとう。なので頑張って思い出しながら喋っている風を装い、書簡に記した内容をぽつりぽつりと話す。いったい真意は何なのかと思いながら。
「再び思い出させてしまってすまなかった。君の協力に感謝する。……それともう一つ、このような紋様を見たことはあるだろうか?」
イーツカルツェ公爵は紙をテーブルの上に置いた。そこに描かれていたのは不思議な円状の紋様だった。
「何かしら、不思議な柄ね」
昨日の犬の死骸の下にそれっぽい模様があったので知らないわけではないが、面倒なので知らないフリをする。すると公爵ではなく、ヴァスバード侯爵が口を開く。
「これは俗にいう魔法陣です」
「……ま、まほう、じん?」
聞き慣れぬ言葉に、レティシアが間抜けた声を出せば、
「魔女が呪いを使う際に描く紋様のことですよ」
顔を強張らせながらも、侍女はそっとレティシアに耳打ちする。自分の主人に恥をかかせないために頑張ってくれた。
「魔女って、物語に出てくる魔女?」
「そうです」
レティシアも侍女にこっそり確認を取る。テーブルを挟んだだけの距離なので、このやり取りは目の前の二人にバレバレだが、もの知らずのお嬢様を装うにはちょうどいい。
「ごめんなさい、私、そういうことに明るくなくて」
「いえ、気にすることではありません。これは世間では不吉の象徴という認識ゆえに、教えない家庭もありますから」
ヴァスバード侯爵はそうフォローする。が、その薄緑色の目が、こちらの挙動を逃さないとばかりに観察しているのをレティシアは見逃さなかった。
「実は市井で、この紋様を落書きして周囲の人々を怖がらせる、悪質な事件が度々あってね。もしかしたら君が市井にいた時に、こういう悪戯を聞いたことがあるか、聞きたかったのだ」
「まあ、そんなことが……。私のいた町では、そういう悪戯はなかったと思います」
(ああ、そういうこと)
ようやく合点がいった。たぶん、以前レティシアが身分を隠したヴァスバード侯爵に鉢合わせしたあのときも、今回と同じような事件があったのだ。
古の一族はかつての敵。例え悪戯であっても、魔法陣とやらが発見されれば出動するのだろう。だから軍の頭が約束なしで尋ねてきたのだ。
恐らくレティシアは、恐らく容疑者の一人なのだろう。二度も事件現場付近にいたから。
(でも、こんな明らさまにやるか、普通)
内心舌打ちをする。男にとって女は、そういうことを堂々と言っても判らない生き物という認識なのだろう。
(いや、違うな)
元帥の隣で気配を潜めている男を見ると、ワザとやっている気がしてならない。こちらの反応を窺うために。
(本当、災難だわ)
奇妙な死骸を見たことよりも、こうして軍人の頭たちと相見える羽目になったことの方がレティシアにとっては災難だった。
◆◆◆
「ははは、なかなかに面白い娘だったな。堅物でそちらに縁がないおぬしが気に掛ける理由がよく判った」
邸を後にしたイーツカルツェ公爵は、面白そうに笑う。
「さて、レティシア嬢への疑念は晴れたかね?」
「呪陣の件については関与はないと感じましたが、違和感までは拭えませんでしたね」
呪陣を見せた時の反応を見るに、レティシア嬢は呪陣どころか魔女という存在も信じていないようだった。それに先日のようなあの視線は一度も感じなかった。しかし、どこか引っ掛かるのだ。
「確かに、ただの娘にしては肝が座りすぎているな。私を見ても怯えない娘は初めてだ」
「それが規準ですか」
イーツカルツェ公爵の持つ威圧感は、軍人の中でも群を抜いていて、社交界でも、自分の妻子以外の女こどもがほとんどが近づかないという逸話で有名だ。それを思えば、緊張の色は見せていても、全く臆することなく話していた彼女は珍しいかもしれない。
「この事件、過去のものも含めて私の方で調査しても構わないでしょうか? もちろん、ご令嬢やラインベール公爵に迷惑を掛けるようなことは致しません」
「わかった。人選はおぬしに任せる」
イーツカルツェ公爵から許可が下りた。これで正式に事件の調査に乗り出せる。これはヴィンセントの勘でしかないが、この事件はレティシア嬢が繋がっているような気がしていた。




