99話 それは突然の1
お茶会から四日後。
馬車に揺られながらレティシアは目を瞑り、思考を巡らせていた。
もしも星を刻むという儀式が、古の力を利用して行われるものだとしたら。星詠でなくとも星授の儀と同じようなことができるのではないか。過去のことを思い出したレティシアは、そう推測した。そしてそれを確かめるべく、面通しの対価に学者が書いた書物も収めている、書庫の自由閲覧を要求し、了承された。そしてそのが今日だ。
(それにあの言葉)
マナ、アマイレ。ヴァッセと鳥顔爺が話していた言葉の中に出てきた、聞きなれない音の一部を頭の中で繰り返す。あれが宗教用語なのか、国外の言葉なのかわからないが、これから行くところには、宗教に関することはもちろん、国外の書物も多くあるはずだから、何かしらヒントが得られるかもしれない。
推測が確信になるのか、はたまた謎が深まるだけなのか。それは全く予想できないが、それでもヴァッセのことを知ることができるような気がして、レティシアの心は逸る。
しかしそれを表に出してはいけない。なぜなら目的の場所は、国営軍本部の敷地内にあるからだ。恐らくレティシアが対価として書庫を選んだ時点で、監視を幾つ準備しているはずだ。レティシアが探しているものを悟られないようにしなければならない。
レティシアは馬車が停まるまでの間、どうにか気持ちを落ち着かせたのだが。
「お待ちしておりました、レティシア嬢。夜会とは違った可愛らしいお姿を見られるなんて、僕はなんて幸運なのでしょう」
「……お元気そうで何よりです……」
馬車を降りるなり出迎えに現れた男を見て、レティシアは出鼻を挫かれた気分になった。
目の前でムダに爽やかな笑顔を見せているのはエレンツィオだ。この男の職場は国営軍本部ではないのに、この男が案内役とは。レティシアがこの男を苦手だとわかったうえでの人選な気がしてならない。
「書物がお好きとは、レティシア嬢は知的ですね」
その程度で知的の枠に入るのかと思うが、つっこんだら負けだ。ただ、こちらについてはつっこんでおかなければ。
「その腕はなんですか……?」
「もちろん、エスコートですよ」
「……ここは社交の場ではないので結構です」
なぜ社交界でもないのに、男なんかの腕に掴まり歩かなければならないのだ。一人で歩けるっての。「ところで書庫はどちらの方面ですか?」と暗にさっさと案内しろと促す。なお、エレンツィオが「エスコートしたかったのですが」と残念そうに呟いたのは、聞かなかったことにした。
「書庫では色々禁止事項があるからお伝えします。まず書物は全て持ち出し禁止です。書庫内部に席が設けてありますのでそこで読んでください。次に荷物の持ち込み。刃物はもちろん、ペンや紙類、アクセサリーもですので、バッグとネックレスは預けてもらうことになります。……ちゃんと宝石を扱える者を用意してますから、ご心配なく」
歩きながら書庫の利用方法を説明をしていたエレンツィオは、レティシアが首からぶら下げているネックレスを見ると付け加えた。
「それと書庫内では飲食が禁止です。なので喉が渇いたら書庫を出てください。隣の談話室でお茶をご用意していますから、案内します」
「え、ええ……」
なんでそんなに力が籠っているのだろうか。よくわからないが少し不安になる。
「あとこと……書物を探す時は、ここを管理している司書に尋ねてください。彼らに聞けばだいたいはわかりますし、本に手が届かなければ取ってくれますから」
そうして歩くうちに一つの建物が見えてきた。国営軍の本部内にありながら、見張り以外は兵の姿がほとんどない。やはり書物の保管場所であって日常ではあまり使わないようだ。
建物入り口には見張りの兵の外に、執事のような出で立ちの人物が立っていた。この男が宝石を扱える者だろう。彼が兵に剣を渡している間、レティシアもそれに倣って男に小さなバッグとネックレスを預けた。
エレンツィオは気づいていなかったが、実は胸元の内側に後付けしたポケットがあり、そこに母の形見のペンダントが入っている。ただこれは預けるわけにはないので、黙っておいた。
そして手ぶらになると扉が開けられる。こじんまりした玄関広間があり、その奥には兵が警備している大きな扉があった。
「ご苦労」
エレンツィオは警備の兵を労うと大きな扉を開けた。
その途端、思わずわあ、と声を上げそうになった。優雅さどころか窓すらないシンプルな内装だが、王宮の広間のようにだだっ広い空間には、天井に届くほどの高さの本棚が中央の通路を挟んで左右ぎっしり並んでいて、それはもう壮観だった。これで重要機密の報告書が見られれば最高なのに。
「書物を読むときは、ところどころに設けられた席を使ってください。今日は貸し切りなので、どこを使っても、机に書物を置きっぱなしにしても大丈夫ですから。それではごゆっくり」
エレンツィオは無駄に爽やかな笑顔で一礼すると、レティシアから離れた。読書中、至近距離から監視はしないらしい。そしてここに窓はないので、外から監視することもないだろう。ということは司書を通じて読んだ本を報告される仕組みのようだ。
(さて、文献を探さないと)
閲覧時間は六刻。その時間で調べられるとは限らない。レティシアは中をパット見渡し、四十路くらいの司書を見つけると、彼の元に歩いていった。
「何刻も真剣にお読みになっていたのでさぞお疲れでしょう。これは癒しの効果があるとい香辛料をブレンドした香茶です。慣れない香りだと思いますが、疲労回復に効くと言われているんですよ」
エレンツィオは説明しながら、慣れた手つきで香茶をカップに注ぐ。この男は貴族だから、給仕される方だというのになぜ慣れているのだろう。
(というか、この空間は一体何なんだ)
書庫の隣にある談話室の一角。テーブルクロスと同じ、紫を基調とした花が飾られ、菫の砂糖漬けが飾られた焼き菓子の皿が置かれたテーブルを前に、レティシアは固まっていた。軍の施設の一部というより、どこかの邸宅のように感じてしまう。もしかしてこの男が全て準備したのだろうか。
「よろしければ、菓子もどうぞ。疲れを回復するのに甘いものは効果があるようですよ」
「……ありがとうございます……」
なんだろう。なぜかデートの席にいるような錯覚に陥っている。ちゃっかり目の前に座っているエレンツィオが、きらきらした何かを振りまいているせいだろうか、それとも読書と情報処理で脳が疲労しているせいだろうか。
(いや、どっちでもいいか……)
レティシアはひとまず香茶を一口飲む。口に含んだ途端、花の香りがふわっと広がり、同時に喉を潤していく。
「今日一日で足りましたか? もしまた閲覧希望なら、僕が口添えを――」
「いえ、そこまでしていただかなくて大丈夫です」
顔を引き攣らせながら、レティシアは断る。そんな気遣いはいらないから、キラキラしいその何かを振りまくのをやめてほしい。
「なにか気になる書物はありましたか?」
そんなこと誰が言うかと思いつつ、ふと別の言葉を口にする。
「気になることといえば、意外と大勢の学者が他国へ渡られていたんですね。あんなにたくさんの学者がいるとは思いませんでした」
他国の文化についての文献の中に、宗教を調べた書が数多くあったのだ。今とは比べ物にならないほど命懸けで船で海を渡っていた時代に、結構な人数の者が他国へ行き、宗教について調べていたことには驚いた。
「ああ、他国の文献を書いたのは学者ではなく、星詠の一族ですね」
「星詠が? わざわざ他国に?」
「他国のことについて調べることも、彼ら一族の役目ですから。……レティシア嬢は魔女の呪いの話はご存じですか?」
「女が短命だという呪いのことかしら?」
「ええ、それです」
その昔、気貴族の女が短命なのが『呪い』のせいだと考えた星詠が、呪いを解くためのヒントを求めて、他国に渡ったのだという。
「例え星詠の血筋に生まれても、星詠としての力が弱い者は星職者にはなれません。そういう者たちが研究者として国外へ行っていたのです。星詠は王族ですので、一般の学者では目に触れられないような貴重な資料を見たり、話を聞くことができますからね」
どおりで宗教の中でも『呪い』という超マニアックな分野についての記述が多かったわけだ。レティシアが探していた答えらしきものが、その中にあったので非常に助かったが。それよりも、レティシアの推測の前提が大きく覆った。まさか星詠の一族が国外へ行っていたとは思わなかった。
ええと。ということはつまりーー。
レティシアが疲れた頭をなんとか回転させようと試みるも、邪魔が入った。
「ところでレティシア嬢はーー」
エレンツィオが言いかけたところで、談話室の扉が開いた。レティシアはそちらを見て、思わず半目になった。やっぱりエレンツィオを送り込んだのはこの男だったらしい。
「……」
ヴァスバード侯爵は入るなり、無言でエレンツィオを見た。その薄緑色の目が「なぜ寛いでいる」と言っている。
「護衛ですよ、護衛」
「護衛しているようには見えないが?」
「女性をおもてなしするのも護衛としての任務ですから」
エレンツィオは上官の呆れた視線をもろともせず、キリッとした顔で言い切る。とはいえ、小言を言われる前に尻尾を巻いて退散する方が得策だと判断したらしい。
「それではレティシア嬢、ごゆっくり」
(いや。愛想はいらないから、上官も連れてって)
去って行くエレンツィオの背を、レティシアは恨みを込めた目で見送った。




