第7話:不動峠の変態たち
筑波山の南側に位置する「不動峠」。
全長約三・八キロメートル、平均勾配約七パーセント。サイクリストの聖地と呼ばれるその峠のふもとに、土曜日の早朝、奇妙な集団が集結していた。
サイクルショップ・カジの常連たち――梶オーナーが「変態ども」と呼んだ大人たちだ。
「おいオーナー、こいつが部活クビになったっていう例のボウズか?」
駆の魔改造クロモリをじろじろと見て豪快に笑ったのは、建設会社を経営しているという五十手前の男、岩田だった。スキンヘッドにビール腹というおよそレーサーには見えない体型だが、跨っている高級カーボンバイクのタイヤは限界まで擦り切れており、そのふくらはぎには恐ろしいほどの毛細血管が浮き出ている。
他にも、無口なシステムエンジニアの男や、普段は物静かな公務員の青年など、およそ「エリート」とは程遠い、だが全員がどこか異様な眼光を放つ大人たちが四人、そこにいた。
「駆、今日はこのおっさんたちの後ろについて不動峠を登る。一本目だ、遅れずについてこい」
梶の合図と共に、岩田を先頭にしたトレインが峠へと突入した。
「――っ!?」
登り坂が始まった瞬間、駆は己の認識の甘さを思い知らされた。
岩田のあのビール腹はどこへ行ったのか。登りに入った瞬間、彼はまるで平地を走るかのように滑らかなペダリングで、ぐいぐいと斜面を駆け上がっていく。ダンシング(立ち漕ぎ)すらしない。シッティング(座ったまま)で、凄まじいトルクをかけて坂を「潰して」いくのだ。
カチャ、カチャ。
駆も必死に変速レバーを叩き、型落ちのデュラエースを動かす。金属的なカチッとした精密な変速音が響き、チェーンが確実にスプロケットを捉える。梶の整備指導のおかげで、機材の伝達ロスはゼロだ。
だが、いかんせん「重い」。
勾配が十パーセントを超える激坂区間に差し掛かった瞬間、十・五キログラムのクロモリフレームが、容赦なく重力という名の足枷となって駆の肉体を痛めつける。一ノ瀬たちの乗る軽い最新鋭のカーボンバイクならひらりと越えられるはずの坂が、駆にとっては文字通り「壁」だった。
「ほらほらボウズ! ギアが重すぎるぞ! 鉄のしなりを使え、力任せに踏むな!」
後ろからついてくる公務員の青年が、息も切らさずにアドバイスを飛ばしてくる。
肺が焼ける。心臓が耳元でドクドクと爆音を立てる。
必死に岩田の背中にしがみつこうとするが、残り一キロメートルを残したヘアピンカーブで、ついに駆の足は完全に売り切れた。
「あ、が……っ!」
踏み込めない。
岩田たちの背中が、ゆっくりと、しかし確実に遠ざかっていく。高校の部活のときと同じだ。やっぱり自分は登りじゃ使い物にならない。絶望感が脳裏をよぎった、その時だった。
「バカ野郎、下を向くな!」
最後尾から並びかけてきた梶が、駆の背中に向かって怒鳴りつけた。
「クライマーみたいにヒラヒラ登ろうとするんじゃねえ! お前はルーラーだろ! 自分の限界の出力を頭の中で計算しろ! 奴らが時速二十キロで登るなら、お前は時速十五キロの『一定のペース』を死んでも崩すな! 坂の頂上はゴールじゃねえ、そこからがお前の戦場だ!」
一定のペース。ヘッドワーク。
駆はちぎれかける意識の中で、梶の言葉を反芻した。
引き離されるライバルの背中を見て焦り、ペースを乱したから自滅したのだ。駆は遠ざかる大人たちを見るのをやめ、自分のサイクルコンピューターの数値と、自身の足の感覚だけに集中した。
これ以上上げたら足が終わる。だが、ここまでは耐えられる。
時速十四キロメートル。駆は機械のように正確に、その速度を維持し続けた。
大人たちから遅れること約二分。駆はボロボロになりながらも、不動峠の頂上へとたどり着いた。
そこには、すでに呼吸を整え終えた変態大人たちが、自動販売機の缶ジュースを片手にニヤニヤしながら待っていた。
「よおボウズ、お疲れさん。まぁ、最初の不動にしてみちゃ上出来だ」
岩田が缶コーヒーを駆の胸に押し付けてくる。
「だけどよ、オーナー。本当にこいつ、使い物になるんかい? 登りは見ての通りカメさんだぜ」
梶はコーヒーを飲み干し、不敵に笑った。
「岩田、お前ら登りで脚を使い切ったろ。ここからの『下りと平地』、このボウズに全員すり潰されるから覚悟しとけよ」
峠の頂上から、霞ヶ浦へと続く長い下り坂と平坦路。
そこから、駆の魔改造クロモリが、大人の変態たちを戦慄させる本当の地獄が始まる。




