第22話:それぞれの岐路
十一月。木枯らしが霞ヶ浦の水面を荒々しく叩く季節、高校二年の駆と佐藤は、進路という現実の前に立たされていた。
城南高校の進路希望者面談を終えた放課後。佐藤は学校の駐輪場で、オークションで小遣いをはたいて手に入れた古いアルミのロードバイクのサドルに跨り、駆を待っていた。
駆の群サイでのリザルトは九位。公式に「昇格」の文字を刻み込み、ついに最低カテゴリーのE3を突破してみせた。その泥臭い執念の報告を、佐藤は駆本人から聞いていた。
「駆、これからちょっとりんりんロード、付き合えよ」
佐藤に促され、二人は夕暮れのサイクリングロードへとペダルを踏み出した。
駆の漆黒のカーボンバイクの後ろに、佐藤のアルミバイクが必死についていく。まだ綺麗なフォームとは言えないが、佐藤のペダリングには、この数ヶ月間サイクルショップ・カジの練習で走り込んできており確かな力強さが宿っていた。
十キロメートルほど走った湖畔の休憩所で、二人は自転車を止め、自販機の温かい缶コーヒーを握りしめた。
「お前、マジでE2に上がったんだな」
佐藤が缶を開け、不意に切り出した。
「……ああ」
駆は苦いコーヒーを喉に流し込み、自分のフロントフォークを見つめた。
「どれだけ先頭で風を引いても、結果を出さなきゃ上がれない。でも、梶さんが教えてくれた通り、伊豆での二ポイントをドブ板みたいに踏みしめてきたから、群サイでみんなが俺を引いて昇格させてくれた。あの九位は、俺一人の力じゃない。俺はまだE2に上がったばかりだけど、この泥臭い走りのまま、絶対に世界まで繋げてみせる」
親友の真っ直ぐな言葉に、佐藤はフッと笑い、缶コーヒーを駆のトップチューブにコツンとぶつけた。
「それでこそ駆だ。お前はちゃんと、自分の走りを証明したんだよ」
佐藤は夕焼けに染まる霞ヶ浦を見つめながら、一呼吸置き、寂しげに、しかし決意の籠もった声で続けた。
「でさ、駆。俺、進路希望票、就職って書いて出して先生に驚かれたよ。うち、下に妹もいるし、経済的に大学進学なんてそんな余裕ねえからさ。高校を卒業したら、地元の工場で働くことに決めた。」
「佐藤……」
駆は言葉を失った。佐藤は成績も良くどれだけ勉強を頑張ってきたかを知っているからこそ、環境という現実の壁の残酷さが胸に刺さった。
「そんな顔すんなよ」
佐藤は笑って駆の肩を小突いた。その目には、諦めや腐った気配など微塵もなかった。そこにあったのは、凄まじいハングリー精神と執念だった。
「俺は、環境のせいで進学や人生を諦めたって、一生言い訳しながら生きるのだけは絶対に嫌なんだ。だから俺、働きながら、ホビーレーサーとしてロードレースを本気でやろうと思う。まずは『ツール・ド・おきなわ』などの市民レースで実績を作って、いつか……いつかプロに混ざって、あの『全日本選手権』の出場枠を勝ち取ってみせる」
佐藤の目が、オレンジ色の夕陽を浴びて獰猛に輝いていた。
「俺はプロになんてなれないし、平日は仕事が終わった夜の限られた時間しか練習できないと思う。暗い部屋で一人でローラーを回すだけの練習になるかもしれない。だけど、趣味だからこそ、人生を賭けて本気でプロのバケモノどもを全員ぶち抜いてやるんだ。そして、いつかお前と同じ全日本選手権の舞台に立って、足切りラインを越えて最後まで走り抜いてみせる。お前が公式記録の底から這い上がったなら、俺はアマチュアの執念ってやつを、あのプロとのレースで証明してやるよ」
それは、数年後に訪れる「平日は遅くまで残業し、深夜一時間のローラーで汗の海を作る」という、社会人ホビーレーサーとしての過酷な未来を選択した、男の最初の誓いだった。
「……佐藤」
駆は、親友の胸の奥にある熱い塊に、胸が震えるのを感じた。
自分はリザルトの出にくいルーラー。親友は厳しい現実を背負う未来のホビーレーサー。エリート街道を突き進む一ノ瀬のような華やかさは、自分たち雑草の二人には一ミリもない。
だが、だからこそ、負けられない。
「約束だぞ、佐藤。俺はそれまでに、ヨーロッパでも通用する『最強の人間機関車』になっておく。全日本の舞台で、絶対に待ってるからな」
「おう。絶対に追いついてやるよ、駆」
冷たい筑波颪が吹き荒れる中、二人の高校生は力強く拳を突き合わせ、再びそれぞれの自転車へと跨った。
公式の記録に残る、最小で、しかし最も重い足跡。
茨城の夕闇の中、二人の雑草の物語は、ここから静かに、そして確実に世界の頂点へと繋がっていくのだった。
(第2章:国内JBCF・最強のアシスト編 完)




