↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄屑と人間機関車  作者: 森のくまさん
第2章:国内JBCF・最強のアシスト編
PR
16/26

第16話:時速80キロのプロテクター

 「……本当に、ここを自転車で走るのか?」

 日本サイクルスポーツセンター(CSC)、五キロメートルサーキット。

 スタートラインに立った駆は、目の前に広がる高低差に圧倒されていた。

 日本一過酷とも称される山岳サーキット。視界を遮るようにそそり立つ激坂と、胃袋が浮き上がるような急下りしかそこにはない。平坦と呼べる場所は、ホームストレートのわずかな直線を除いて、一ミリも存在しなかった。この五キロの地獄を、計七周。総距離三十五キロメートルのサバイバルレースが、幕を開けようとしていた。

 JBCF(実業団)E3の号砲が鳴り、数百台のロードバイクが一斉に滑り出した。

 しかし、去年の秋の草レースのような、最初からの派手な爆発(アタック)は起きなかった。

 集団(プロトン)を支配していたのは、不気味なほどの「静寂」と「牽制」だった。

 「十位以内に入れば一発でE2に昇格できる」というルールを前に、ここにいる実業団の大人たちや、スポット参戦している一ノ瀬のようなエリートたちは、全員が冷静に計算していた。激坂を何十回も登るのだ。序盤から無駄な風を引き、アタックの応酬に付き合えば、後半の坂で確実に脚を失ってタイムアウト(足切り)になる。

 一周目、二周目、そして中盤の四周目。

 集団は誰も先頭に出たがらず、泥をすするようにして体力を温存し合っていた。ペースは決して遅くはないが、決定的な動きはない。しかし、平坦がゼロの伊豆の地形は、ただ集団の中にいるだけで、選手たちの太ももの筋肉を確実に、ジワジワと削り取っていった。

 駆は、集団のちょうど中ほどに位置取っていた。梶オーナーに叩き込まれた通り、前を走る大きな選手の背中にピタリと張り付き、チームのエースである岩田先輩の前に自分の身体を滑り込ませて、一ミリの無駄な風も受けさせないように守り続けていた。駆自身の脚も、伊豆の坂を登るたびに重くなっていたが、脳内コンピューターはまだ冷静に作動していた。

(全員、脚を溜めてる。勝負は、最終周回の最後の激坂だと思ってるんだ……。だったら――)

 六周目。残りはあと二周。

 集団が、最も大きな上り坂を終え、崖のように切り落ちた長い下り坂の入り口に差し掛かった。誰もが「最後の坂」に備えて呼吸を整え、ブレーキに指をかけながら、安全に下ろうとしたその瞬間だった。

 集団の心理に生まれた、一瞬のエアポケット(隙)。

 誰も動かないはずの、時速六十キロメートルを超えるダウンヒルで、駆の漆黒のバイクが、突如として集団の右側から弾け飛んだ。

「――っ、新堂!? 何を考えてるんだ!」

 集団の中で脚を溜めていた一ノ瀬が、驚愕して目を剥いた。

 まだ最終周回でもない下り坂での奇襲。ロードレースのセオリーを無視した駆の暴挙に、集団の誰もが「あいつはバカだ、下りで自滅する」と一瞬、追撃の手を緩めた。

 だが、それこそが駆の計算だった。

「岩田さん、離れないでください! ここで千切ります!」

 駆は下ハンドルを限界まで深く握り、トップチューブに顎がつきそうなほどのエアロフォームをとった。

 下り坂の重力と、駆の体幹の質量が、一気に爆発的な推進力へと変換される。

 ごう、と鼓膜を破らんばかりの風切り音が鳴り響く。

 時速は一瞬にして七十キロメートルを超え、さらに八十キロメートルへと突入した。

 普通の軽量クライマーたちは、この超高速のダウンヒルでは車体が風にあおられて安定せず、落車の恐怖からどうしても無意識にブレーキを当ててしまう。それが人間の心理だ。

 しかし、駆は違った。

 深く、低く伏せた駆のぶ厚い身体は、時速八十キロメートルの暴風を完璧に切り裂く「最速のプロテクター(盾)」と化していた。駆が最速のライン取りで風をすべて受け止めてくれるため、背後にいる岩田の受ける風圧は完全に消失している。

「うお、すっげえ……! 完全に無風だ!」

 岩田が驚愕の声を漏らす。岩田はノーブレーキのまま、恐ろしいほどのハイスピードで下り坂を滑り落ちていく。

 誰もが脚を休めていた下り坂。そこで命懸けのダウンヒル牽引を敢行した駆の人間機関車は、下りきったわずかな平坦区間に突入した瞬間、後ろのメイン集団に対して「十五秒」という、決定的なリードを奪い去っていた。

「クソッ、追うぞ! 逃がすな!」

 メイン集団の大人たちが慌てて追撃体制に入るが、時速八十キロメートルで一気に視界から消えた駆と岩田の二人は、すでに最終周回、七周目の地獄の激坂のふもとへと、単独で突入しようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。