第11話:エリートたちの計算違い
ロードレースにおける「上り坂」は、軽量なクライマーたちの独壇場だ。
コース中盤に位置する、全長一キロメートルの急坂。先頭では城南高校の一ノ瀬たちが、軽量カーボンのアドバンテージを活かしてヒラヒラと軽快に加速していく。集団は一気に縦に長く引き延ばされ、後方にいたパワーが弱く重い選手から次々とふるい落とされていった。
「おいおい、クロモリのボウズ! 早くも置いてけぼりか?」
すれ違いざま、他チームの選手が駆を鼻で笑って追い抜いていく。
駆の魔改造クロモリは、重力に引っ張られて確実に失速していた。だが、駆の心は冷静だった。
ここで焦って一ノ瀬たちを追えば、足が売り切れて自滅する。それは不動峠で変態大人たちに嫌というほど叩き込まれた教訓だ。
「……十四キロ。時速十四キロをキープだ」
駆はメーターの数値だけを見つめ、機械のように正確に一定の出力値を刻み続けた。ダンシングで無駄な体力を消費することなく、深く身を伏せたまま、重いギヤをじわりじわりと踏みしめて坂を登る。
一ノ瀬たちトップ集団からは、みるみるうちに三十秒以上の大差をつけられた。普通なら「勝負あり」の絶望的なタイム差だ。
しかし、坂の頂上を越えた瞬間、駆の目が獰猛に細められた。
「ここからだ……!」
下り坂に入った瞬間、十・五キログラムの質量が牙を剥く。駆は下ハンドルを限界まで深く握り、顎をトップチューブに擦り付けるほどのエアロフォームをとった。
重力と、梶オーナーがミリ単位で調整した極上のベアリングが、駆を異次元の速度へと導く。時速七十キロメートルオーバー。下り坂のカーブを、鉄のしなりを活かしてノーブレーキでクリアしていく。
坂の上で貯金を作ったはずの軽量なクライマー勢が、下りの恐怖でブレーキを当てる中、駆の重戦車は爆音の風切り音を立てて猛烈な勢いで追いすがった。
そしてコースは、このレースの勝負どころ――遮るもののない、五キロメートルに及ぶ「吹き晒しの平坦ストレート」へと突入した。
正面から激しく吹き付ける、あおるような向かい風。
先頭を行く城南高校のトレイン(集団)に、明らかな「焦り」が生じていた。
「クソッ、風が強すぎる! ペースが上がらない!」
一ノ瀬が顔をしかめて先頭を交代する。軽量なカーボンバイクは風に煽られやすく、向かい風の中では速度を維持するだけで体力を凄まじく削られるのだ。時速は三十五キロメートルまで落ち込んでいた。
そこへ、後方から「それ」はやってきた。
ごう、と風を切り裂く重厚な駆動音。
時速四十五キロメートル。集団が風に苦しむ中、一人だけまるで別の物理法則の中にいるかのようなスピードで、ネイビーのクロモリバイクが突進してきた。
「な……んだ、あれは!?」
一ノ瀬が驚愕して振り返る。
駆は上半身を完璧に水平に保ち、霞ヶ浦の暴風の中で磨き上げた「人間メトロノーム」の走りを爆発させていた。重いクロモリは、この向かい風の中ではむしろ「風に押し負けない推進力の塊」へと化けていた。
駆の後ろには、脚を完全に温存したショップの大人たち、岩田たちがピタリと張り付いている。
「一ノ瀬! 風の計算が甘いぞ!」
すれ違いざま、駆の鋭い眼光が一ノ瀬を射抜いた。
エリートたちの「カーボンは絶対」という考えを、鉄屑のハングリー精神とヘッドワークが、根底から覆そうとしていた。




