8 王子二人と晶術師
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第二王子から王弟へとリュティシアの相手が変わったことで、結婚式はひとまず延期されていた。セミオンのために用意を進めていたものをそのまま、というのはいかにも失礼だし感じが悪い。
あらためて婚儀を計画するまでリュティシアはゆるりとアルヴェインに慣れることにし、ガルディア使節団は本国へ帰っていった。
リュティシアが着々とアルヴェインに馴染んでいっている一方で、元々の婚約者だったセミオン王子は心を腐らせていた。父王から謹慎を申し付けられたからだ。
謹慎も仕方のないことではある。取り替えたフェリスベルトとの結婚を承諾してもらえたからいいものの、下手をすればガルディアと一触即発の危機を招くことになる婚約破棄事件。感情的にならずに外交を学ぶべし、と缶詰めにされているだけなのをむしろ感謝すべきところだが。
「……何故こんな目に」
ブツブツと口から文句をあふれさせるセミオンの部屋を訪ね、晶化術を施そうとしているのはジェレミアスだった。王族が相手ともなると高位の晶術師しか施術を許されない。
「お気持ちはわかります。さあ、この件を前向きに考えられるようにお手伝いいたしますので」
「ああ。やはり結婚相手となると、国内貴族の娘で人柄がわかっている相手から選びたかったな。あんな乱暴姫だとは思いもしなかった」
「さようでございますか」
心を逆立てないように相づちを打ちながら、ジェレミアスは患者セミオンの手を取る。目を閉じてセミオンの中の息吹を探り、どのような澱みが貯まっているかを量るのだ。それによって吸い出す負の感情の種類と量を決める。
「ふむ……先日より落ち着いてこられましたかな」
「そうか? ジェレミアスの晶化術のおかげだ」
「恐れ入ります。殿下のお心が強くあられるからでございましょう」
取り出した紙に描かれた陣形と文字。術師以外には読み解けないこの符を使って晶化術は行われる。
「失礼いたします」
「うむ」
軽く頭をうつむかせたセミオンの首の後ろにそっと符を当てる。シュウ、とやわらかな光が発せられると、魔法陣にじんわり灰色のものがにじみ出してきた。これが澱みだ。
セミオンから吸い出されたそれは符の中心に集まり結晶していく。そして魔法が完成するとともにコロリと床に落ちた。ジェレミアスは布を手にして慎重に拾い上げ、セミオンに示す。
「こちらがこの度の治療で取れた結晶でございます。前回よりも小さくなりました」
「本当だ。うん、もやもやが減ったような気がするぞ……胸がざわつく感じはあるが」
「晶化術を使った直後でございますから……今の状態に心が馴染むまでは、しばしの我慢をお願いいたします」
ジェレミアスは使用した符を剥がし、結晶とともに小箱へ厳重にしまう。符の裏からボロッと黒い欠片が落ちた。慌てて拾い、それも片づけた。
これは一般に知られてはならない魔法だ。人に働きかけ、直接心を動かすものだから。
「一刻ほどごゆるりなされませ。また日をあらためて経過を診に参ります」
鷹揚にうなずくセミオンに頭を下げて、ジェレミアスは部屋を辞した。
ジェレミアスが王宮の表側、宮廷の各部署が置かれた方へ出ていこうとした時だった。不意に後ろから呼びとめられる。
「ジェレミアス、尋ねたいことがあるのだが」
「パルミロ殿下」
ジェレミアスは慌てて礼を取る。そこにいたのは王太子パルミロ。先日燭台の直撃からリュティシアのおかげで生還した人だ。
あたりに人がいないのを確認しつつ、声をひそめるパルミロの表情は深刻だった。
「セミオンの具合はどうだ。ずいぶんと心が揺れていたようだが……」
「だいぶ回復なさったと思われます。ご安心を」
「そうか。あれは甘えん坊なところがあるが、人前で攻撃的な態度を取るようなやつじゃなかった。どうしたのかと心配している」
「ご結婚という人生の一大転機にあたり、不安定になることはままあることかと。きっと責任感がお強くあられるのでしょう」
パルミロは弟王子のことを真剣に案じているらしい。宮廷の噂では王太子の地位をねたんだセミオンが兄を狙ったなどともかまびすしく言われているが、パルミロは信じられなかった。だが懸念は抱いている。
「……フロリアーナを巻きこんでしまったのが怖ろしくてな」
それは王太子妃のこと。この夫婦ももちろん政略として始まったのだが、とてもうまくいっている。パルミロは自分よりむしろ妻の身を案じていた。
「フロリアーナは……マラカナン侯爵家の出だ。まさかとは思うがモンサント侯爵が何か」
「殿下」
いっそう低めたパルミロの声を、ジェレミアスは慌ててさえぎった。それは政争につながる発言となる。
両侯爵家はともに王太子妃の候補を出して争った間柄だ。モンサント家は引き下がって祝福してみせたが、不満が残っていないとは限らない。
さらに結婚後しばらく経つのに、フロリアーナ妃はなかなか身ごもらなかった。それで禍根が再燃するのでは、ともささやかれている。
「すまん。狙われたのはフロリアーナなのではと考えたらたまらなくなって……」
「考えすぎはよくありません。調査はなされておりますゆえ、しばしお待ちいただく他ないかと」
「事件には晶術師が関わっていたと聞く。モンサント家は晶化術を頼んだりしていないか?」
う、とジェレミアスは言葉に詰まった。モンサント家による晶術師の利用は最近もあったはず。そんな記録は目にしていた。
だが心の不調があれば術師を呼ぶのが当然だ。特に貴族ともあろう者が不安や怒りに左右されて言動を律せないのは恥とされている。
「……殿下といえども、それは職務上のことですのでお答えいたしかねます」
迷った末に絞り出したそんな言葉。
パルミロは仕方なくジェレミアスを解放したが、むしろ疑念を深めていた。
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「ねえお母さま、ガユイアってどんなところ?」
最近のリュティシアの日課はフェリスベルトを訪ねることだ。フェリスベルト自身は執務のために宮廷へ出ていることも多いが、部屋にエドゥアルドは残っている。
また執事やエドゥアルドの養育係など、王弟一家に関わる者たちの人となりを把握したいとも考えていた。結婚するまでにリュティシアの侍女ユーニスも含め、関係を深めておくべきなのだった。
「そうね、ガルディアは山の上にある小さな国よ。まわりの国からは峠を越えたり谷を抜けたりしないとたどり着けないの。深い森と湖があって、王家のお城は砦のように堅牢だわ」
「うわあ、物語の国みたい!」
エドゥアルドは楽しそうに足をパタパタする。
今日いるのはエドゥアルドの子ども部屋。明るい窓辺にクッションを置いて、腰をおろしたリュティシアの膝にエドゥアルドはまとわりついているのだ。
そこには養育係を務めてきたカティアという中年女性も同席している。ごろごろ寝そべるエドゥアルドが「行儀が悪い」と叱られないかリュティシアは心配したのだが、カティアは大らかな人物のようだ。
「リュティシアさまは加護を宿していらっしゃるんですから、ますます物語ですよ?」
「ほんとうだね!」
カティアはニコニコとエドゥアルドを焚きつける。実際にガルディアを舞台にしたと思われる子ども向けの物語があるのだそうだ。
「山と森の厳しさの中の暮らしがすがすがしくて憧れましたわ! 挿し絵も美しいんです」
子どもの頃からカティアも大好きな本で、本物のガルディアの姫君に会えて嬉しいのだとか。そんな風に言われてリュティシアは照れてしまった。
「私はぜんぜん大したものじゃないのよ?」
「ううん、お母さまはカッコいいもん。おいかけっこもじょうずだし! あのね、ぼくもおとなになったら、かごがつかえたりする?」
「……それはできないと思うわ。生まれながらに授かるものだから」
リュティシアはそっとエドゥアルドの頭をなでた。
加護とは自然のもたらした、ほんの気まぐれ。あってもなくても人はただ生きていくだけだ。
「エディはエディなのだから、それでいいのよ」
「ふうん?」
「――さて、今度はアルヴェインのことを教えてちょうだい。エディの国のこと、私も知りたいわ」
エドゥアルドを悲しませないように話を変えて、リュティシアは子どもの自尊心や知識への探究心を導いていく。そんなやり方がまさに〈育成〉の加護なのだろうかとカティアは感心した。
「うーんとね、アユウェインのみやこは、このまちだよ」
国の名前もやはり言えていないが、それはひとまず仕方ない。リュティシアはうんうん、と質問を続けた。
「そうね。他に大きな町はある?」
「ある。おっきなみなとまち!」
「港町……まあ素敵ね。私、海を見たことがないのよ」
「――そうなのか?」
いきなり割り込んだ声は、フェリスベルトのものだった。息子と婚約者の様子を見に、戻ってきたところだ。
「フェリスベルトさま、お帰りなさいませ」
「少しだけ抜けてきたんだ。エディがいい子にしているか気になって……リュティシアは、海を知らない?」
「ええ……ガルディアは山の国ですから」
ふうむ、とフェリスベルトが考え込む。どうしたのだろうか。
婚約者は何を思うのか。わからないがリュティシアはなんだか胸が高鳴るのを感じた。




