5 お近づきになりたいの
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アルヴェインで発達した魔法・晶化術とは、思念を結晶化する技術だ。
人の情動はエネルギーを秘めている。希望や喜びが力をもたらし、人間を学問や仕事や創意工夫へ突き動かすのがそれだ。
しかし負の想い――怒り・気鬱・悲しみなどは、行動の停滞や身体的な病をもたらす。晶化術はそれらを吸い取り結晶化することで人々を癒やす、一種の医療として研究されてきたのだった。
「――かすかに、〈腐〉の結晶の痕跡を検出しました」
落下した燭台を調べた晶術師がまとめた報告書を手に、王立結晶院の執行部に属する面々の表情は厳しさを増した。
王立結晶院は晶術師たちをまとめるために組織されていた。
晶化術により得られる結晶にはさまざまな負の力が宿る。なので結晶そのものも術師も、厳重に管理されねばならないのだった。
結晶の力はたとえば、「腐る」「燃やす」「沈む」「潰す」など。治療された者の思念を反映してさまざまとなる。
これらの結晶は人々の生活や産業に利用されている。肥料作り・ゴミ処理・暖房などに使える貴重な資源なのだった。件の燭台で灯されていたのも〈燃〉の結晶。
「燭台の鎖に〈腐〉の力が――となると、王太子を害そうとする晶術師がいるのか? 誰かに依頼されたとしても大変なことだ」
「あるいは結晶が盗まれ使われたか、ですな」
「狙いは王太子殿下とも限りますまい。あの燭台の真下に誰が立つかはわからなかった」
「落下した時間が思い通りだったとも限りませんしな……」
三々五々話し合う晶術師たち。そのざわめきを断ち切ったのは結晶院の副長官ジェレミアスの声だった。
「私はあの場にいたが、燭台の下に誰もいない可能性はあった。直接誰かに危害を、というより式典そのものへの抗議の意図があったのかもしれん」
このジェレミアスは、事件の直後にリュティシアを制止した、あの壮年晶術師だ。
式典が始まる前から広間の状況を見ていたジェレミアスによれば、燭台がもう少し早く落ちていたら王太子パルミロだけでなく第二王子セミオンも巻き込まれていたという。そんなことになっていたら、と想像して晶術師たちは身ぶるいした。
「こうなると犯人像が絞れなくなりますぞ……」
そんなうめき声にうなずいて、ジェレミアスは告げた。
「誰のどんな意図で為された事件か、我々には探れない。それは宮廷監察局に任せて、こちらは事件に使われた結晶の出どころを精査するとしよう。あと――身近な者に不審をおぼえることがあれば躊躇なく申し出るよう通達を」
晶術師の中に結晶を不正利用した者がいるとすれば大スキャンダルだ。術師を束ねる立場の執行部として、看過できない事態なのだった。
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リュティシアは静かな廊下を案内されていた。後ろにはユーニスがしずしずとついてくる。
二人は王弟フェリスベルトと子息エドゥアルドの部屋へ向かっているところだ。周辺はさりげなく人払いされているようで、誰にも行き合わない。
(フェリスベルトさまとの縁談……本当に内密にしてくださっているのね)
国王はガルディア外務卿の要請にきちんと応えたのだった。それは無茶を提案したアルヴェインからの誠意でもある。
リュティシアとしては、どうせ結婚するならセミオンよりフェリスベルトの方が好ましかった。エドゥアルドとはもっと仲良くなりたいし、面会の申し込みは望むところだ。
先に立って歩くのはフェリスベルトの従者を務めているという男だった。名をトルカートという。
しなやかな体つきで律動的な足取り。迎えに来た時に挨拶した以外はほとんどしゃべらないが、リュティシアの歩く速さをチラチラと気にしてくれているのがわかる。
(気の回る護衛……というところかしら? フェリスベルトさまは知的な雰囲気の方だし、荒事はお好きでないのかも)
だから従者が武人系なのかもしれない。逆に剛力持ちのリュティシアに護衛は必要ないので、ユーニスは生活や社交の補助に全振りしている。
となるとフェリスベルトの前でリュティシアはおとなしくしていた方がいいだろうか。できるかどうかはともかくとして。
本国でのリュティシアは活発に過ごしていた。
ハイキングへ出掛けた山で熊に遭遇し、背負い投げで追い返したことがある。
貿易路に山賊が出るというので討伐に同行し、賊の半数がリュティシアの拳に沈んだこともあった。あの時は兵士たちが「仕事を取らないでくれ」と泣いたものだ。
そんな振る舞いはさすがに封印するつもりではいたけれど、運動不足になりそう。ちょっと残念な気がする。
(まあ普通の男性は、妻に強さを求めないわよね)
リュティシアにもそれぐらいの常識はあった。自分を曲げてまで世間に従う必要はないが、ことさらに〈剛力〉を誇示するのはやめておこうとは考えている。
しかし「妻」になるといってもフェリスベルトとの縁談は降ってわいたものだ。あちらも元々は再婚など望んでいなかったはず。
ならばリュティシアのことを本気で歓迎しているのは、たぶんエドゥアルドだけだろう。それでかまわない。本物の妻にならずとも、継母としてのんびり暮らせればリュティシアに文句はないのだ。
――となると、リュティシアとフェリスベルトの関係はどんなものになるべきか。
(……「戦友」? それがピッタリよね! 子育てに奮闘する同士ってやつよ!)
どうにも勇ましい語彙しか頭に浮かばないリュティシアだが、できればフェリスベルトともうまくやっていきたいとは思っていた。
「――リュチチアしめさま!」
迎えてくれたエドゥアルドは今日も舌足らずで、可愛さが突き抜けている。
駆け寄ってリュティシアに抱きつこうとした息子の肩をフェリスベルトは慌てて押さえた。
「エディ、失礼はいけないよ」
叱られてバツが悪そうにする小さな紳士に、リュティシアは笑み崩れた。
「ごきげんようエドゥアルドさま……ところで私もエドゥアルドさまをギュッてしたいのですけど、よろしくて?」
リュティシアが軽くかがんで腕を広げるとエドゥアルドの顔が輝いた。
「うんっ!」
ポスンと胸に飛び込んでくるエドゥアルドは、もう赤ちゃんではない。だがまだまだ小さな男の子だ。腕の中の体は細くて軽くてやわらかい。
母親というものに憧れ、夢を見ているエドゥアルドに失望されたくなかった。でもどうしてあげればいいのか、具体的なことはわからない。リュティシアはエドゥアルドのふんわりした黒髪にそっと頬を寄せた。
エドゥアルドを抱くリュティシアのことを、フェリスベルトはじっと見つめる。結婚するかもしれない相手の飾らない人柄が伝わり安堵したが、なんだか胸の内がフワフワして自分が頼りなく感じた。とにかくリュティシアを招き入れる。
「こんな入り口ではなく居間へどうぞ。さておかしいな、エディはもう自分で歩けるような気がするんだが。抱っこが好きなのか……」
「ぼく、あかちゃんじゃないよ!」
慌てて胸から体を離すエドゥアルドの手を、リュティシアはそっと握った。
「でしたら居間までエスコートしてくださいます?」
「はぁい!」
得意げにリュティシアを導くエドゥアルドは、ソファに案内するとそのまま隣に座ってしまう。そして父親が口を開くより早く言い訳した。
「ぼくお母さまのとなりがいいの! だってお母さま、いいにおいがするんだよ」
言いにくい名前ではなく「お母さま」と呼んで、エドゥアルドは得意満面。リュティシアはいちおうソファの正面の席を示してみた。
「私はエドゥアルドさまのお顔が見えるのも嬉しいのですけど?」
「じゃあぼく、ずっとお母さまのこと見てる! お母さまもぼくを見てて?」
くっついた姿勢でギュンと見上げてくる瞳がキラキラしている。リュティシアはたまらずにデレてしまった。
「んもう……フェリスベルトさま、お許しくださいまして?」
「無作法な息子ですみません。いつもはもっとしっかりしているのですが……」
苦笑いしながら合図すると、茶が用意される。洗練された仕草のメイドたちによりサーブされた茶器からは、柑橘が混ざった爽やかな香りがただよった。




