31 粉砕してもよろしくて?
リュティシアはエドゥアルドの手を引いて階段を下りた。目の前にフェリスベルトの背中がある。さすがに自分が先でとフェリスベルトが主張したからだ。リュティシアが強いのはわかるが、男としての誇りの問題だった。
階段を下りきったところには粗末な木の扉がある。その中からも光が漏れていて、ジェレミアスがいると思われた。
リュティシアはとりあえず手袋をはめた。何が起こるかわからないから。
「開けるよ」
「ええ」
ささやき合い、静かにノブを回す。
「――もうこの部屋にお気づきですか、フェリスベルトさま」
悲しげに、だが愛おしそうなまなざしでそこにいたのはジェレミアス。フェリスベルトの後ろを見て意外そうにする。
「これはエドゥアルドさま、王女殿下まで。最後にお会いできて嬉しゅうございます」
「最後とはどういうことだジェレミアス」
訊き返しながら、フェリスベルトはジェレミアスの背後に目が釘付けになっていた。
黒い大きな結晶が置かれている。人の背丈を超えるほどの大きさだ。
その下の床には何やら陣が描かれていて――。
「いや! それはいやぁっ!」
エドゥアルドが悲鳴をあげてリュティシアの後ろに隠れた。
この部屋は黒い。もう空間そのものが黒く染まっているようにエドゥアルドには見えるのだった。フェリスベルトもさすがに不穏を感じて青ざめる。
「それは反転晶術か? 何をしている?」
「――呪っているのですよ、国王とその血すじの者を」
呪いをうそぶくくせに、ジェレミアスの笑みはやわらかかった。その視線にあふれる優しさがリュティシアを惑わせる。呪いとはそんな温かなものだっただろうか。
「兄上と、王子たちを? 呪った?」
「さようでございます。いえ、元はといえば前の王がいけないのですが――まあ王太子も第二王子もひどいことになったようですし、ようやくフェリスベルトさまにこの世をお渡しできる。エリセテさまが報われて肩の荷がおりた心もちですよ」
ははは、とジェレミアスは奇妙に軽い笑いをもらした。
だが言われたことを受けとめられず、フェリスベルトは数瞬考える。自分に世を? 母が報われる?
「――あなた、エリセテさまに横恋慕なさっていたの?」
先に答えにたどりついたのはリュティシアだった。信じられないという声だったが、その内容はほぼ正しくてジェレミアスは真顔になった。
「惜しい。何故過去形にするのです? ……愛していますとも、今でもね。素朴に笑い民に寄り添うエリセテさまをずっと愛しているんだ」
「ジェレミアスが……母上のことを」
「ええ、ええ。エリセテさまと会えるのが町の晶術院にいた私の唯一の楽しみだった。それをなんだ、前の王の後妻? もう跡継ぎの男子が少年になるほど育っていたのにそんな必要があったのか? 若い令嬢を王宮に閉じ込め産ませた子、フェリスベルトさまは結局ただの王弟として下に置かれている。なんのためにエリセテさまは――!」
泣き出しそうに顔をゆがめて、ジェレミアスは想いをぶちまけた。
この黒い結晶は、ジェレミアスが長年かけてみずから吸い取ったもの。エリセテを奪った先王への恨みと憎しみの凝った呪いだ。さもなければジェレミアスは恋を失った苦しみで憤死していただろう。
自分から少しずつ取り出した結晶を集め、それを再結晶。
そして使われず忘れられていたこの古い地下室で――結晶を反転。
「今の王宮には私の呪いが満ちているんですよ。だが誰も気づかない。呪われているのは前の王の血を引く者だけですので。ふふふ、もう三人しか残っておりませんな」
「待て、ではセミオンの下の子らが亡くなったのは」
フェリスベルトは青ざめた。国王夫妻には生まれなかった子、病弱で育たなかった子らがいる。
「さあ知りません。呪いに負けたのか元から弱かったのか……そんなことはわからない。しかし今も王太子夫妻に子はできませんな」
「おまえ……」
息を飲んだフェリスベルトに、ジェレミアスは平然と話し続けた。
「第二王子も結婚などされては面倒なんですよ。こちらの王女殿下は〈育成〉の加護をお持ちだ。その加護の力で世継ぎなどが生まれては困ります」
「燭台を壊したのは、おまえだったのか……」
嬉しそうに笑い、ジェレミアスはゆったりとうなずいた。
「あの顛末には驚きました。なんと王女殿下とのご縁がフェリスベルトさまに転がり込んだのですから。〈育成〉のお方、ぜひエドゥアルドさまのことを大切にお育てくだされませ。フェリスベルトさまのことも末永くよろしくお願いいたします」
「言われなくても私はエディを守りますしフェルさまのことが大好きでしてよ! で、さっきおっしゃった『最後』とはどういうことですの。ジェレミアス殿は死ぬおつもり?」
リュティシアは厳しい口調で問い詰めた。ジェレミアスのまなざしが遠くなる。
「いいかげん王太子たちが邪魔で仕方ありませんでしたので。そろそろ排除しようかと。さすがに王族殺しとなれば一命を賭するしかございますまい」
この後に捕縛され死刑となるのも厭わず――との覚悟だ。そう告げられてフェリスベルトの顔が歪む。
「そんなことをされて母上が喜ぶとでも? 私だって王位など望んでいない」
「――なのでしょうな。そういうお心映えだからこそ、私はエリセテさまを愛した」
ジェレミアスの微笑みは寂しげだった。だが愛おしさに満ちてもいる。
「望まれていなかったかもしれない。でも私はあの方の生きた意味をこの国に刻みつけたかった――」
殉じた愛を想いながら、ジェレミアスはローブから大きな符を取り出した。ギクリとしたフェリスベルトがリュティシアを背にかばう。
だがジェレミアスがその符を使ったのはみずからの首すじにだった。晶化術が発動する。
「何をするジェレミアス!」
「お別れですフェリスベルトさま……どうぞこの国を、お手に」
カクリと膝をついたジェレミアスの首の後ろで、どんどん何かが染み出してきていた。その量の異常さにおののいてフェリスベルトが叫ぶ。
「国などいらん! ここで死ぬつもりか? 馬鹿者め、パルミロもセミオンも生きているぞ! 死なずに罪をつぐない、すべてを見届けろ!」
「いえ、あの呪いは止められませぬ……」
ジェレミアスが床に倒れ込みながら目をやるのは、巨大な黒い結晶。
作動した反転晶術に触れるのは危険をともなう。また、こんなに大きな結晶を扱うすべなど結晶院でも確立していなかった。
「弱って傷ついた王子たちなど、呪いにより力尽きましょう……エリセテさま……もうお目に掛かれないこと、お許しを……」
つぶやいて、ジェレミアスは動かなくなった。
ゴトリ。
大きな灰色の結晶がジェレミアスの背で床に転がる。
ジェレミアスがみずからに使ったのは禁忌とされる処方だ。
規定をはるかに超える量の、しかも心の何もかもひっくるめて吸い取ってしまう陣。以前「生ける屍になるかも」と説明されたことがある。
「――フェルさま」
口中が渇くのをこらえ、リュティシアは婚約者に呼びかけた。
ジェレミアスは死んでしまったのだろうか。いや、肉体はまだ生きているのかもしれない。だけどそれを確かめるより、今リュティシアにはやらねばならないことがある!
「エディをお願いしますわ。私――」
キラリ。
瞳に強い光が宿る。
黒い呪いに怯えるエドゥアルドを駆け寄ったフェリスベルトに託し、リュティシアはグッと拳を握った。
愚かな晶術師の願い――叶えるわけにはいかない!
「この呪い、ぶち壊しますわ! よろしくて?」
「ああ――やってくれリュティ!」
加護〈剛力〉が発動!
思いきり拳を引き、黒く輝く悲しい結晶へ――!
バキィィ――ンッ!
リュティシア渾身の一撃は、ジェレミアスが生んだ呪いを粉々に砕いた。その粉塵を吸わないように三人とも扉の外へ逃げる。リュティシアは拳を開いて握って、うなずいた。
「ふう――手袋があって助かりましたわね!」
反転晶術が作動した結晶に触るのは――そう言われていたけど、きっと大丈夫だと思っていた。手袋越しだから。
しかもこの革手袋は、フェリスベルトからの愛にコーティングされているのだ!




