32 未来を照らす光
✻ ✻ ✻
駆けつけた晶術師と騎士団により場は収集された。ジェレミアスは死んでおらず、だが人形のように意識も反応もないまま連行されていった。
あの地下室の床に描かれた反転の陣には術師たちが騒然となった。ジェレミアスが編み出した複雑な魔法だったらしい。
王宮に満ちていたその呪いと反転晶術。何故エドゥアルドに打ち消すことができたかというと――おそらくエリセテの血によるものではないか。
「先王陛下への呪い――裏を返せば、エリセテさまへの祈りでもありますもの」
リュティシアはそうつぶやいた。フェリスベルトもそれで納得する。
エリセテの人生をかけがえのないものにするため勝手に奔走したジェレミアス。ひとりよがりな愛はフェリスベルトにも惜しみなく注がれていた。ということは、その子エドゥアルドにも同様なのだ。
知らずにジェレミアスからの祝福に包まれていたエドゥアルドが触れることにより、呪いは霧散した――。
「だが私には黒い影など見えなかったぞ」
「……大人だからじゃありませんこと?」
リュティシアはひと言で片づける。だって幼い子には不思議な力があるものだ。
――それにリュティシアは大人の余裕を持つフェリスベルトが好きなのだから、このままでいてほしい。
王太子パルミロも第二王子セミオンも、命は助かった。だがパルミロは光をほとんど失ったそうだ。
「私は太子の地位を辞そうと思う」
そう申し出たパルミロに、思いとどまるようセミオンは泣きながら懇願した。その額から顔にかけても大きな傷がある。
「少しばかり見えづらくとも、兄上の人徳があれば皆ついていきます」
「だが王とは、いざという時に戦の指揮も取らねばならないものだ。セミオンに任せた方が」
「私は――魔法に掛けられていたとはいえ、兄上を傷つけ簒奪した王位を手にすることになります。堂々と民の前に立てると思いますか」
彼らは元々仲の良い、明るく前向きな王子たち。
ジェレミアスの反転晶術で人格が歪んでいたのは最近の一時期だけのこと。本来なら妬みや憎しみにとらわれるような二人ではなかったのだ。
「――そうでしたのね」
リュティシアは申し訳なさそうに肩を落とした。セミオンのことを甘ったれで自尊心ばかり強い男だと思っていたが、どうやら甘えん坊だが愛嬌のある王子サマだったらしい。
「リュティは昔の様子を知らないからな。仕方ないことだ」
フェリスベルトはクスクス笑う。セミオンのこととなると馬鹿丁寧な口調だったリュティシアを思い出してしまった。いたたまれなくてリュティシアはわざと拗ねてみせる。
「嫌うほどの方ではなかった……最初に私が我慢していたらよかったなんて」
「セミオンと結婚していたら、と言うのか?」
フェリスベルトの瞳が曇る。難しい顔をした婚約者がズイとソファの隣に移動してきてリュティシアは腰が引けた。
ここはリュティシアの居間。事件の処理に関してエドゥアルドに詳細を聞かせるのもためらわれて、進展があるとフェリスベルトはこちらへ報告に来ている。
「リュティ……でも私のことが大好きなんじゃなかったか?」
「え?」
リュティシアは慌てる。その通りだけど、ちゃんと伝えたことなどなかったはずだ。
「いいや、ジェレミアスに宣言していた。私はしかと聞いたぞ」
「――あ」
そうだ。これから二人を、と頼まれてキリッと言い返したような――『私はエディを守りますしフェルさまのことが大好きでしてよ!』。
記憶がよみがえってジワジワ赤面していくリュティシアを、フェリスベルトのまなざしが優しく捕らえる。
「あんな場合に嘘はつかないね? リュティシアの気持ちが聞けて嬉しかったな、ただの政略結婚だと思われていなくて安心した」
「そんな……!」
リュティシアは驚いて口をポカンと開いてしまった。ニコリとされ慌てて唇を結ぶ。
(フェルさまも不安だったの……? 私の気持ちが自分にないのかもって)
いつもゆったりかまえて隣にいてくれたフェリスベルトが、それなりに悩んでいたとわかってリュティシアの心臓がキュウゥッとなった。恥ずかしくてうつむき、ぼそぼそ言う。
「もう……私、フェルさまに出会えてとっても幸せですのに」
「本当かい? じゃあ……これからは健やかなる時も病める時も、人生をともに歩むと誓ってほしい」
「……え。それって」
確か、結婚式で問われることではなかったか。
きょとんとするリュティシアに、フェリスベルトは真顔でうなずいた。
「予行演習だ。さあ……答えて、リュティ」
「ええと……ええっと」
困ってしまう。
誓うのはまったくかまわないのだけど、そのセリフの後にはたぶん。
「……誓い、ます」
小声で言ったら、愛おしげなフェリスベルトの笑みが降ってきた。
そして「私も誓う」というささやきと――静かな口づけも。
✻ ✻ ✻
大きな事件はあったものの、リュティシアとフェリスベルトの結婚式は予定通り行われた。
だがまだ快復しきらず傷痕が痛々しい王子二人は欠席し、親族席はやや寂しい状態。ガルディアから来た使節団に気をつかわせることになり国王は陳謝した。
エリセテはなんとか式には出席したが、ジェレミアスの本心を知って衝撃を受け、ますます引きこもりがちになっている。
犯人ジェレミアスの体は衰弱し、そのまま――静かに葬られた。エリセテはまだ墓参する気にはなれないと言っている。
太子の地位を返上したパルミロは妃フロリアーナの献身に支えられているらしい。そしてセミオンも、巻き込まれて怪我をしたモンサント侯爵令嬢アデリアを謝罪と見舞いに訪れたとか。
だがその王太子の空位が問題であり――。
「フェリスベルト、おまえを呼び出したのは他でもない、この国の跡を継ぐ者をどうするかという話だ」
王族たちが集まった内輪の会議で、王は重々しく切り出した。
国王夫妻、パルミロ夫妻、セミオン。そしてフェリスベルトとリュティシアの新しい夫婦、その子エドゥアルド。
たったそれだけの王家。この中でアルヴェインを率いる体制を続けていかねばならない。呪いが消え、これからまた子が産まれるかもしれないが、とにかく今の国内を安定させなければならなかった。
「陛下――次代はパルミロとセミオンが共同で統治する、などではいかがでしょうか」
フェリスベルトはあらかじめ考えておいた案を提示した。みずからに要請があっても受けるわけにはいかない。
ジェレミアスは、エリセテの子であるフェリスベルトに国を渡すべく暗躍したのだ。フェリスベルト自身は罪に問われていないが、おめおめとジェレミアスの思惑通りに王位を継ぐつもりなどなかった。
「それも考えてはみたが……おまえ自身はその気がないと?」
「当然です」
「うむ。まあ事件の詳細を知る者からは疑義が上がるかもしれん。なのでこうしようと思う」
国王はフフ、とおだやかに微笑む。そして視線が――この場でいちばん年若い者の上に落ちた。
「エドゥアルド、そなたに王太子たることを命じよう」
いきなり名を呼ばれたエドゥアルドが目をパチクリした。
「はいっ……?」
「おお、よい返事だ。ではそういうことで決まりだな」
「あ、兄上! それは!」
フェリスベルトの声がひっくり返る。リュティシアもあっけに取られた。
二人は話し合っていたのだ。パルミロもセミオンも、これから親になる可能性が多々ある。その子が王として独り立ちする日まで大人全員で支えればいい、と。ジェレミアスに推された血すじとして、表舞台に立つつもりなど毛頭なかった。
「いけません、エドゥアルドも……ジェレミアスの願いを叶えることに」
「しかしエドゥアルドはあの呪いを解いた、光明の子どもだぞ。心優しく学びに向かう気持ちもあり、太子として立つ資質なら申し分なかろう」
手を握るだけで心を晴らしてくれたエドゥアルドの中に、王は光を見出している。この子なら、闇に呑まれ国を誤ることはないだろうと。
……その通り、エドゥアルドは正直者だ。普通に口をすべらせる。
「ううん、のろいをこわしたのは、おか……むぐっ」
リュティシアが口をふさいだ。〈剛力〉については秘密なのだ。
あの特大結晶はジェレミアスが壊したようだと申告してある。決して物理的損壊などではない!
「……どうした?」
「い、いえその……この子はまだ幼く、資質を見極めるには早いのではございませんこと? 私どもはひっそりと王位を支えたいと思っておりまして」
「なんとも控えめだが、そなたは〈育成〉の加護を持つ。エドゥアルドをしっかり導いてやってほしい」
「うんうん! ぼく、お母さまだいすき! お母さまがいっしょなら、ぼくがんばるね!」
「うむ! 大変よい心がまえだ! 頼んだぞエドゥアルド!」
リュティシアとフェリスベルトの反論空しく、事は決したようだった。
✻ ✻ ✻
夜。リュティシアは寝室にやってきた愛する夫へ、眉尻を下げた。
「フェルさま……」
「そんなにしょげないでおくれリュティ。きっとエドゥアルドなら賢い王になる」
「そうですけど……」
「何が不安なんだい?」
フェリスベルトは寝台に腰かけると妻の肩を抱く。そして唇を降らせた。髪に。まぶたに。頬に。
「んぁ、うふ」
くすぐったくて嬉しくて懐柔されてしまいそう。愛に身を任せたくなるのをこらえ、リュティシアはぶぅ、と頬をふくらませた。
「〈育成〉への期待が嫌なんだもの……私、もっとのんびり暮らしたいと思っていましたのに!」
「こらリュティ」
フェリスベルトは怒った顔をしてみせ、妻の唇をふさぐ。おしおきだ。笑ってもがくくせに力が抜けていくリュティシアを寝台へ押し倒して口説いた。
「リュティなら国も民も丸ごと育てていけるよ。私も一緒にやるから」
「ん」
リュティシアはとろんと微笑む。もちろんこんな愚痴はフェリスベルトに甘えているだけだ。
スリ、と胸へ顔を寄せる。なついてくる妻にフェリスベルトはささやいた。
「もうひとりかふたり、可愛い家族が増えたらのんびりなんてできないと思うが――欲しくないか?」
リュティシアは体の奥がうずくのを感じた。二人の間に子ができたら――忙しくてもどんなにか幸せだろう。
フェリスベルトが妻に子を産ませるのを怖れていたのはリュティシアも知っている。告白された。だが、二人にもう不安はない。
だって王宮を蝕む呪いは消えた。
ここにあるのは――愛だけ。だから大丈夫。
「フェルさま……」
熱い吐息が交わされる。
二人でいれば、これから何があろうと乗り越えていける気がした。
了




