29 それはたぶん呪い
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今日のフェリスベルトは出仕を遅らせ家族のもとにいる。妙な胸騒ぎがしたからだ。
いつも朝の謁見に間に合うよう兄王のもとへ馳せ参じるフェリスベルト。しかしここ数日の宮廷は、どんよりと重い空気に包まれている。
王太子パルミロ。第二王子セミオン。二人の体調は回復しない。そんな息子たちを案じてか国王まで暗く耐える顔で執務に当たっていて、臣下は不安におそわれていた。
「エディは元気なようでよかった」
ここは王弟一家の居住区の入り口。壁際に立ったままのフェリスベルトは、玄関ホールにあたる場所で溌溂と模擬剣を振るエドゥアルドのことを安堵の目でながめた。指導しているのはリュティシアではなくトルカートだ。
普段はフェリスベルトの従者として表へ行ってしまうトルカートは、王弟の護衛も兼ねていて剣にすぐれる。腕力と体術のリュティシアとは違う教師役を得て、エドゥアルドの瞳は輝いていた。短い腕に、子ども用の剣。エドゥアルドなら屋内でも稽古ができる。
「……そんなに宮廷は不穏ですの?」
「ああ。なんというか、エディが『黒い』と表現したのがわかる気がする。陛下もパルミロもセミオンも……闇にとらわれているというか」
息子の運動を見守りながら、両親はこそこそ話していた。国王一家をおそった不幸の影。王族すべてに及ぶのではないかとフェリスベルトは案じている。
それで家族から離れたくないと思ってしまったのだが、今のところ問題はないようだ。フェリスベルト自身もいたって健康だし、なんなら胸には恋と愛とが満ちていてあたたかい。その源のリュティシアはニッコリ笑ってみせた。
「エディは光そのもののような子ですもの。ご心配なさらないで」
「そうだな。私がしっかりして陛下をお助けせねば。そろそろ行こう」
「えー? お父さま、おしごと?」
聞きつけたエドゥアルドが拗ねた口ぶりになった。
「そんなぁ……」
「すまないな、エディ」
「じゃあトウカートはいかないで? ぼくとおけいこしようよ!」
「そっちか……」
フェリスベルトは悲しそうにうめいた。
父が出掛ければ従者トルカートもいなくなる。せっかく楽しく剣の持ち方を教えてもらっているのに、というエドゥアルドの主張なのだった。
「あの、フェリスベルトさま」
トルカートは苦笑いしながら提案した。
「よろしければ、エドゥアルドさまに騎士団の鍛錬場などをご見学いただいてみては?」
「ああ、なるほど……」
今のエドゥアルドの学習は、文字の読み書きと計算を習いはじめたところ。しかし貴顕のたしなみとしての剣術馬術にも少しずつ触れていくべきだろう。
「興味を持った時が始め時と言うしな」
「うん! ぼく、いってみたい!」
エドゥアルドがはじけるような笑顔で申し出た。その明るさに、フェリスベルトは救われる気がした。
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王弟子息エドゥアルドによる騎士団への視察は、即日行われた。といっても大仰なものではなく、フェリスベルトから騎士団長へ「すまんがあれこれ見せてやってくれ」とひと声掛けただけだ。
付き添いは普段から王弟一家の護衛にあたっている騎士数名と――もちろんリュティシアも参加する。故国ガルディアでは体術の訓練に加わることもあったリュティシアだが、今日はおとなしく見ているつもりだ。
「おうまさんもいるの?」
「もちろんおりますぞ。エドゥアルドさまは馬がお好きですか」
そろそろ老年に差し掛かった騎士団長が迎えに来てくれて、エドゥアルドと並んで歩く。なんだか孫を連れているようにも見えて微笑ましかった。
「おうまさんも、ムシさんもすき」
「ほう、生き物すべてにご興味がおありと。けっこうですなあ」
騎士団長は外に出たところで立ちどまり、リュティシアにも優しい視線を配った。
「騎士たちの基本鍛錬は朝いちばんで終わっております。今はそれぞれ武闘会へ向けての自主稽古や馬の手入れをしている時間ですが……どちらからご案内しましょうか」
「そうですのね。エディは剣術や体術を見たいのかしら? それともお馬さんのお世話?」
「え……ええと、ぼく……おうまさん」
エドゥアルドはモジモジする。剣の稽古がしたくて連れてきてもらったのに、馬に興味をひかれたのが恥ずかしかったのだ。でもリュティシアはとろけるように笑った。
「エディはいろいろな事を知りたいのよね。フェルさまに似て研究熱心なのは、とても素敵だと思うわ」
「そう……?」
エドゥアルドはその言葉に自信を取り戻し、フンスと鼻をふくらませる。リュティシアとの関係がとてもうまくいっているのが見て取れて、騎士団長は王弟の婚約者に感心した。
若いのに、なさぬ仲の息子をしっかり育ててくれそうな女性だ。さすが〈育成〉の加護を持つというだけのことはある!
「では、まず厩舎へご案内いたしましょう」
しかし歩き出した時、後ろでざわめきが起こった。騎士たちが訓練で使っている広場の方だ。「おやめください!」「お二人とも、どうぞ落ち着いて!」と、うろたえる声も聞こえる。
「何かありまして?」
「そのようです……失礼、しばしお待ちを」
団長は踵を返した。もれ聞こえた言葉からは、高位の者が揉めたように思える。ここは騎士団をまとめる立場の団長が行くしかなかろう。
しかし――そこで剣を手に向き合っている二人は、団長でも制止しづらい人物。王太子パルミロと第二王子セミオンだったのだ。
「ひっ……!」
団長を追いかけてきたエドゥアルドが悲鳴をあげる。思わずリュティシアの腰にしがみついたのも無理はなかった。二人はリュティシアでも後ずさりそうなほど、暗くうつろな瞳で相対していた。
「で、殿下! 剣をおろしてくだされ!」
団長が厳しい声を発した。なんの防具もなしに剣の稽古をしてはならない。そんな規則を無視して王子二人は切っ先を向けあっている。いったい何があったのか。
ガキ――ンッ!
「殿下!」
周囲の声が耳に入らないのか、二人は剣で斬り結んだ。
一合。二合。キンッ、ガンッと響く音は鈍く、重い。おそらくどちらも手加減などしておらず、このままでは――最悪の結末が来るだろう。
エドゥアルドが目をつぶり、リュティシアのドレスに顔をうずめた。リュティシアは息子を抱きしめる。子どもが見るものではなかった。
「不敬もやむを得ん! お止めせよ!」
団長が命じる。弾かれたように騎士たちが動いた。
しかしその瞬間、振り抜いた王子たちの剣先から赤いものが散る。
「うっ……あああっ!」
「ぐおっ……!」
パルミロは目を押さえて倒れ込んだ。手指の間から血が流れる。伏したセミオンの額も割れているのか、顔が赤に染まっていた。
「殿下!」
居合わせた人々の間から悲鳴があふれた。
「なんてことだ、救護を!」
「療術師のところへ、連絡を!」
慌ただしい動きの中、エドゥアルドは顔を上げてチラリと従兄弟たちの方を確認した。
「ふえっ……お兄さま……」
息を飲むエドゥアルドの目を凄惨な現場からそらそうとし、リュティシアは背を向けさせる。
「エディ見ないで」
「でもだって、お兄さまたち。しんじゃうよ」
「死なないわ! だいじょうぶ……だいじょうぶよ!」
負ったのがどれほどの傷かわからないが、リュティシアは言い聞かせる。だがエドゥアルドは首をブンブンとして、リュティシアの手を振り払った。
「だめだよ、だってまっくろだもん!!」
叫んだエドゥアルドは、王子たちのもとへ走った。
騎士たちに囲まれ担架に乗せられそうになっている二人の従兄弟。ついこの間まで普通に可愛がって遊んでくれていた、兄のような人たちだ。
それがエドゥアルドには、真っ黒に染まって見えた。血の赤ではない。黒。
人が蝕まれて行く。
そのさまはまるで、何かの呪いのよう――。
「お兄さまぁ!!」
駆けつけて、エドゥアルドは二人の手を握った。
もう剣は取り落し、力なく投げ出されている手。
すがりつく小さな手のひらに、二人の指先がピクンと動き――。
「ぐっ、あう……」
「うう……は、ああっ……」
パルミロもセミオンも、ゆっくりと身をよじった。苦しげに。そして――だんだん呼吸が楽になっていく。
「――影が」
リュティシアは目を疑いながらつぶやいた。
見えたのだ。二人にまとわりついていた暗いモヤが消えるのが。




