28 王子たちの異変
倉庫へ行ってみたら、そこにもうジェレミアスはいなかった。だが古い結晶サンプルはたくさんあり、リュティシアは興味深くながめる。だが、手を出すのは遠慮した。
「反転晶術……ですか? それを掛けていなければ、触れても問題ないのだと聞きましたけど」
「さようです。まあ好んでさわる一般の方はいらっしゃいませんかな。これも元は、見知らぬ誰かの心ですし」
「……ですわね」
そう聞くと薄気味悪さを感じる。今のリュティシアが触れたいのはフェリスベルトの心だけ――と浮かれたことをつい考えてしまい、うつむいてごまかした。
いくつかの結晶を見比べたリュティシアは、その色の違いに気づく。
「ずいぶん違いがあるのね?」
「いえいえ、そうでもありませんな。ここにあるのは術が細分化する途中のものですので。今は研究が進み、さらに種類が増えました」
「ああそうか、さっきの者も〈渇望〉と言っていたろう? それだけを純化して集めたら反転させた時の作用が絞れるし、除去される患者の負担も少なく済むんだ」
フェリスベルトの説明は的確だ。そして質問も追加する。
「細分化というのは、魔法の陣を描き分けることでやるのだったか?」
「その通りで。さすがフェリスベルト殿下はよくご存知ですなあ。あれら若いのの実験によくお付き合いくださってありがたいことです」
フェリスベルトは実務・研究型の人間。兄王の補佐に回ってばかりの人生は、日が当たらず不幸のように思われるかもしれない。だがこれは完全に本人の資質に合致する生き方なのだった。
倉庫を後にしたリュティシアたちは、さらに結晶保管庫の管理官や、各地の晶術院をまとめる監査室なども訪れ話を聞いた。
しかし不審な態度を取る晶術師などひとりも見つけられずに終わったのだ。
✻ ✻ ✻
「――あっ! パユミオお兄さま!」
エディが嬉しそうに叫んで駆け出した。リュティシアと連れ立って庭へ出る途中、回廊の柱に寄り掛かるようにして王太子パルミロがたたずんでいたのだ。
幼い従兄弟の声に、パルミロは目を向ける。その目の下にくっきりと隈ができていてリュティシアは息を飲んだ。
それでも相手は王太子だ。ひとまず深く礼をしたリュティシアの隣で、エドゥアルドは心配そうにする。
「お兄さま……げんき、ない?」
「エドゥアルドは元気か」
「はいっ」
「そうか」
素っ気なく、覇気のない話し方。相対してリュティシアの肌がゾワリとした。
回廊の外には夏の陽がくっきりと落ちている。暴れるような強い光にさらされ、木々は生命を謳歌していた。
なのにパルミロが立つ回廊の一角は黒々と沈む。その陰が王太子から染み出しているように感じたが、リュティシアは戸惑いを押し隠した。微笑みを頬に貼り付ける。
「王太子殿下、ご機嫌よろしゅう」
「うん。しばらくだった」
最初に燭台から救ったことで、王太子夫妻とリュティシアの関係は良好に推移している。お礼の品を届けられたし返礼の訪問もした。
その頃には明るく前向きな人柄だと感じたパルミロなのに、今や見る影もない。いったい何が。
「……こちらでご休憩なさっておいでとは知らず、うるさくして申し訳ありませんわ」
「いや。もう戻る」
「お疲れのご様子ですのね。エディも心配そうにしております」
「エドゥアルド……王女殿下に馴染んだようだな」
「温かいお言葉、嬉しゅうございますわ」
まったく心に響かない、空々しい会話。ユラリと柱から身を起こしたパルミロは無言で去る。
(――まるで幽鬼のよう)
リュティシアでさえ凍りついてしまった。するとエドゥアルドがしがみついてくる。唇にギュッと力を入れて、泣くのをこらえているのが見て取れた。
「こわい」
ひと言だけ訴えられる。そっと背をさすってあげた。
「お忙しいのかしらね――さあエディ、虫さんを探す? それとも追いかけっこ?」
いつもなら男の子の気を引ける遊びに誘うが、エドゥアルドはかたくなにリュティシアのドレスに顔を埋めている。
「……こわいよ」
そう繰り返して。
✻
日が暮れる頃、帰ってきたフェリスベルトはまだリュティシアがいることに驚いた。居間のソファに並んで座り、優しい目でエドゥアルドに微笑んでいる。
「リュティ……エディは具合が悪いのか?」
「お帰りなさいませ。体はだいじょうぶですのよ」
「お父さま、あのね」
エドゥアルドは顔を上げたが、リュティシアの胸にくっついたままだ。そこはとても安心できる場所。こうしているわけを、エドゥアルドは父に訴えた。
「パウミオお兄さま、へん」
「パルミロ? ……会ったのか」
フェリスベルトは胸がざわつくのを感じた。
実をいうと宮廷でもパルミロの憔悴した姿は噂されていた。体調不良だとして表に出ることが減っており、フェリスベルトはしばらく顔を見ていない。
「エディは、殿下を『怖い』と言いましたの。私もご様子にゾッとしましたわ」
リュティシアが言い添える。いつも勇ましい婚約者がそんなことを言い出して、フェリスベルトは深刻な顔になった。
「怖いほど……なのか」
――その不調、どうやらセミオンも同じらしいと言われていた。
二人とも苛々し、よく眠れず、公務に障りが出ているらしい。仕える者たちもピリピリと萎縮気味だとか。
もちろん医療は受けている。療術師と晶術師によるものだ。
その「心」を担当する方のジェレミアスは、王子二人の元へ日参するほどの勢いだそう。しかしあまり効果は見られない。結晶を取り出し過ぎては危険だからだ。
晶化術による治療が容態に及ばないことを平身低頭で詫びるジェレミアスに、国王は無言だった。魔法のことは専門家に任せるしかない。問題は体の方かもしれないし。
フェリスベルトは息子を抱き上げ、ギュッとした。エドゥアルドの小さな手が首にしがみついてくる。父の腕の中も安全地帯だ。
パルミロの危機をしっかり伝えなくては。エドゥアルドは口をとがらせ主張する。
「お兄さま、くろかった」
「黒い?」
「エディにはそう見えたのですわ。確かに殿下は日陰にいらっしゃったのですけど……」
リュティシアはホウとため息をついた。幼く繊細なエドゥアルドには、パルミロそのものが黒いモヤモヤに包まれているように思えたらしい。
「あんまり怯えているので、フェルさまが戻られるまで一緒におりましたの」
「そうだったのか、ありがとうリュティ」
フェリスベルトは息子の背をポンポンとし、ことさらに明るい声を出す。
「お母さまがいてくれて良かったなエディ。でも、これでは夕食もいただけないぞ。リュティの膝に座って、あーん、てしてもらいたいのか?」
「まあ……エディが赤ちゃんに戻ってくれますの? 私そんな姿も見てみたいわ」
「やだっ!」
父親に抱っこされていたエドゥアルドは、放せ下ろせともがいた。六才児の誇りにかけて赤ちゃん扱いは断固拒否だ。
「ぼく、ちゃんとするもん!」
「そうか、よし」
父母に挟まれ、エドゥアルドはやっと安心したらしい。床に立った息子の頭をなでてやり、フェリスベルトは婚約者にはにかんだ笑みを向けた。
「食事はリュティもこちらで一緒にどうだろう」
「ええ、喜んで」
リュティシアはいつも昼間の短い間しか王弟の部屋を訪問しない。婚約者であるという一線をまだ守っているのだ。
しかしフェリスベルトはもっとリュティシアと共に過ごしたいと感じていた。最近のリュティシアからは、やわらかく慕わしげなまなざしをもらえることも増えてきたから。
和やかな食事。食後の軽い酒。
エドゥアルドがきちんとおやすみなさいを言い、笑顔のリュティシアをフェリスベルトは部屋まで送る。そして――別れの口づけを、手の甲に。
なんて幸せでおだやかな時間だろう。
ところでリュティシアはまだ、フェリスベルトに「好き」とも「愛している」とも「お慕いしています」ともハッキリ言えていない。「大切です」なら言ったっけ。でもギリギリ言えたのが「私が守ります」なのは、むしろダメ。
男性をぶん殴るのは簡単なのに、恋を伝えるのはなんと難しいことか。これでもリュティシアは乙女心を抱え、悩んでいるのだった。




