25 すべてを受けとめて
愛をささやかれたリュティシアは放心してしまう。
似た痛みを抱える者として、フェリスベルトはリュティシアを心から愛した。もうこの人はこれ以上傷つくべきじゃないと信じる。
そうリュティシアに伝えたかった。フェリスベルトの言葉を受け入れてほしい。
「リュティはきっと、ガルディアの息吹に愛されているんだよ。だからリュティが拒否した〈看破〉も欠片だけ残された。リュティを守るためにね」
そうだろうか。リュティシアはまだ故郷の森と湖に包まれているのだろうか。
「エディを助けてくれたろう? あの時リュティは間に合った。だからもういい。もう悔やまなくていいんだ」
フェリスベルトの胸にうずまりながら、リュティシアは静かに目を閉じる。
もういい。
そう言ってくれて、救われた気がした。
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アデリア・モンサント侯爵令嬢は命に別状なく助かった。しかし具合は悪く、どんな怪我なのかも公表されていない。動かせるようになったら田舎で保養するのだとか。もちろんセミオンとの婚約内定は辞退となる。
「――そうか。なんとも痛ましい。セミオンには残念なことだな」
報告を受けた王太子パルミロは、一見すると沈鬱な様子だった。
一度ならず二度までも婚約が壊れた弟王子。兄として哀れに思う――そんな態度を取っていたのだが、人払いした後には薄っすらと笑った。
「なんと運の悪いやつだ。ああ、いや――」
とうとう抑えきれず、ハハ、と声を上げて笑い出す。腹の内に真っ黒な泉が湧くような気がして止まらなかった。
「自業自得か? 兄に対抗しようなどと不遜なことを考えるからいけないのさ」
パルミロより早く子を持ち、王位をかすめ取る気だったのだろうと考えた。そして事実、それは邪推ではない。
根拠はないが、きっと天罰だ。そう信じたパルミロは気をよくして執務に取りかかる。
――しかしその微笑みは何かに取り憑かれたように見えた。
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そしてセミオンの方は、モンサント侯爵からの手紙に目を通し――握りつぶした。憤怒の表情で机を叩く。
(――役立たずな女め! せっかく妃にしてやろうと考えたのに!)
まずそう思ったセミオンは、アデリアの怪我など気にもしていない。腹にドロドロしたものが黒く渦巻いて体のすべてを染め上げていくようだ。
「ううっ……!」
頭がグラグラする。怒りのあまり憤死するのではと怖れた。
「くそっ……ジェレミアスを呼ぶか……」
ベルを鳴らし、使いを出させる。待つ間で必死に呼吸をととのえた。あまりみっともない様子は見せられない。
「――失礼を。おおセミオンさま、なんとも残念な報を耳にしまして。さぞお力落としのことと推察いたします」
「ああジェレミアス」
額を押さえ耐えていたセミオンは、哀れっぽく訴える。
「どうしてだ。何もかもうまくいかない。私が何をしたというんだ」
「セミオンさま、おつらいことでございますなあ」
ジェレミアスは静かに手を取りセミオンの内側を診た。アデリアへの同情などは一切口にしない。セミオンは自分のことしか念頭にないとわかっているから。
だってそう仕向けているのは――ジェレミアス本人。
「お怒りを多少取り除けば、お楽になりましょう。さあさあ、晶化術にお任せを」
「うん、頼む」
ジェレミアスが取り出した符は、燃える怒りを結晶化する陣が描かれたものだ。
しかしその裏に、もう一枚符が重なっている。以前パルミロにも施していた二重の術と同じものだ。
その陣は輝く黒い粉が練り込まれたインクで描かれている。陣形は――晶術師が見ればひと目でわかる、反転晶術のものだった。
✻ ✻ ✻
「エディ、ご機嫌いかが? ――あ、あらフェルさま、いらしたんですの」
エドゥアルドと遊ぼうと訪ねてきたリュティシアは、そこに婚約者を見つけてうろたえた。目が泳ぐ。今はフェリスベルトに会うのが気まずくて仕方ないのだ。
いつもなら執務室へおもむいているはずの時間。何故まだ居間にいるのか。肝心のエドゥアルドは子ども部屋に留め置かれていて姿がない。これはフェリスベルトの罠なのだった。
「リュティを待っていたんだよ」
フェリスベルトは婚約者から避けられていても気を悪くする様子はなかった。リュティシアにしてみれば無理もない反応だからだ。
――過去を思い出し、打ちのめされ泣いたリュティシア。抱きしめて愛をささやいたフェリスベルト。
あの時、婚約者の胸にすがりつきぼう然としていたリュティシアを現実へ引き戻したのは、駆け込んできたエドゥアルドだった。
『おにわにしらないムシがいるの! お母さまもみにきて!』
まったく雰囲気ぶち壊しな用事でリュティシアを迎えに来たエドゥアルドは、父に身を預ける母という状況にキョトンとした。
『お父さま、いるの……?』
口をポカンとしたエドゥアルドを、後ろから走ってきたユーニスとカティアが必死で回収にかかる。
『あああーっ! 今ちょっとお取り込み中ですからねえっ』
『失礼いたしました、ささ、戻りましょうエドゥアルドさま!』
『え、え? お母さまぁ……?』
『いや皆、待て! リュティは少々具合が悪くてだな……ユーニス、リュティを休ませてやってくれ!』
これだけの目撃者に囲まれた後で再び二人にされても、何をどうすればいい。フェリスベルトはそっと婚約者の頬をぬぐうと、そそくさと退散してしまったのだ。
――あれから数日、リュティシアはフェリスベルトに会わないよう頑張っていた。そりゃ婚約者なのだから避け続けるにも限度があるが、できる限り抵抗して。
だがとうとう失敗した今、モジモジとうつむく。
「……あの。ええとフェルさま」
「あんな状態のリュティを放り出してすまなかったね。だいぶ元気になったようで安心した」
非は自分にあったとさりげなく主張し、フェリスベルトは立ち上がった。用意してあった薄い小箱を棚から取ってくる。
示されたソファに向かい合い、リュティシアの心臓はほぼ限界だった。フェリスベルトの顔。声。体。すべてに対して落ち着かない。
(私あの時フェルさまに抱きしめられて……でも心地よくて……なんだかいい匂いがしたし……ああ、そんな風に思うなんてはしたないっ!!)
経験したことのない感情に翻弄され、リュティシアは大混乱。しかしフェリスベルトは、ややきまり悪そうにしながら微笑んでくれた。
「これを、リュティに」
「……なんです、の?」
「開けてごらん」
うながされてリュティシアは小箱を開ける。そこに収まっていたのは――革の手袋だった。女物で、青灰色に染められている。
「手袋――?」
夏を迎えた今なのに、どうしたことか。リュティシアは首をかしげる。フェリスベルトはおだやかな瞳だった。
「リュティがゴロツキを殴っても怪我しないようにだよ」
「なぐ……っ、いえそんな、私はもう」
これ以上の暴力沙汰を起こすつもりなどない。リュティシアはそう思ったのだが、フェリスベルトは大真面目だった。
「だって加護〈剛力〉はリュティに与えられた祝福だ。何かあった時には、ためらわず発揮してくれてかまわない。私はリュティの武術も愛しているんだからね」
「フェルさま……」
愛している。
そう言われてリュティシアは目を伏せた。でも口の端はニヨニヨ笑んでしまう。
リュティシアだってフェリスベルトを拒絶するつもりなどなかった。恥ずかしくてどうしようもないだけで、フェリスベルトに対して胸が高鳴り困っている。
それにしても武術ごと受け入れる宣言なんて、どうして今また。
「リュティにはリュティらしくしていてほしい。どんな加護だろうと私は否定したりしないよ。発動した加護をどう活かすかは、リュティじゃなく私が担うべきことだと思うんだ」
「――――」
フェリスベルトの贈り物は、リュティシアの過去を告白されて考えたものだった。
加護があっても救えなかった命と、リュティシアが負った傷。拒否した祝福。
だがもうそんなことはしなくていい。フェリスベルトが側にいて守る。守らせてくれ、という願いをこめての贈り物。
「フェルさま……私……」
リュティシアは声を詰まらせた。
こんなに幸せなことがあるのか、人生には。
フェリスベルトはゆっくりリュティシアの言葉を待っている。胸にふくれあがる未経験の気持ちをかみしめて、リュティシアはつぶやいた。
「……大切にしますわ」
そうっと手袋を箱から取り出す。そしてはめてみた。手袋はリュティシアの手にピッタリで――。
グッ!
拳を握り、開く。
「いい感じでしてよ……お任せくださいませ。フェルさまとエディのことは、私が守りますわ!」
「あ、いや……そういう意味で贈ったのでは」
フェリスベルトの目が点になった。
どうにもこの婚約者殿は――勇ましすぎて扱いが難しい。




