24 事故と記憶
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夏至祭も終わり、街も王宮もいったん落ち着いた。次に控える行事はいよいよリュティシアたちの結婚式となる。
「そうなのよね……お式……」
だらん、と自室のソファに身を投げ出してリュティシアはうめいた。
現在エドゥアルドは家庭教師の時間。リュティシアは王宮内に与えられた滞在用の部屋に引き取り、休憩中だ。
ユーニスがテーブルにレモン水を出してくれた。ここはガルディアより暖かい――というか夏なので暑い。慣れない気温にリュティシアは少しバテ気味だった。
「なんですかリュティさま。何か気がかりでも?」
「そういうわけじゃないけど」
式の準備は着々と進んでいる。エドゥアルドは可愛い。問題はない。
でもドレスの試着をすればフェリスベルトが「綺麗だね」と熱っぽく微笑みかけるし、結婚後に引っ越す予定のリュティシアの部屋がフェリスベルトのすぐ隣に用意されるし、そのためなのかリュティシアの好みを細かく訊かれるし。
「……とにかくフワフワして落ち着かないの」
「あらあら。なんだか幸せそうな悩みじゃないですか」
ユーニスはヘラヘラ笑った。
はたから見ても、フェリスベルトがリュティシアとの距離を縮めようとしているのはわかる。だがそれの何がいけないのか。今後の夫婦円満に向け、ぜひ頑張ってほしいぐらいだ。
すると表のノックが鳴り、ユーニスが対応に出た。リュティシアは蜂蜜入りのレモン水でのどと心を潤す。
(フェルさま――)
婚約者のおもかげを想ったら、心臓がバクバクした。
これはどうしたことだ。病気なのか。末期症状じゃないのか。いや、なんの?
フェリスベルトに不満などない――と思う。
先妻よりもリュティシアと生きる未来が大切だと明言してくれたのだし、誰かをないがしろにする不安からは解放された。フェリスベルトを拒む要素も、つける文句もないはずだ。そしてエドゥアルドは可愛い。
「――あ、そうだわ」
いきなり手を取って口づけたのと、公衆の面前でおでこに口づけられたのは怒ってもいいかも?
「リュティ、入るよ?」
ココン、と軽いノックがあって、ドアを開けたのはそのフェリスベルトだった。もうユーニスも案内すらしない。それでいいのだろうかとガックリしたが、そんなものかと諦めた。
「フェルさま。どうなさいまして? まだお仕事のお時間かと」
「ああ……ちょっと事故があってね。リュティにも知らせておこうと」
そう告げたフェリスベルトは難しい顔だった。そんな表情をされてはリュティシアの胸だってざわつく。
「事故――どなたが、どうなさいましたの」
「――うん」
リュティシアの向かいに腰をおろし、フェリスベルトは痛々しげだった。
「アデリア・モンサント侯爵令嬢の馬車が壊れてね」
「――!」
リュティシアは二重の意味で息を飲んだ。
馬車の事故。それは昔リュティシアが幼なじみを救えなかった時と同じ理由。思い出して胸がキュっと痛んだ。
「――リュティ?」
「ああいえ、驚いてしまいましたの――アデリアさまといえば」
セミオンの新しい婚約者として内定した人だ。
モンサント家の馬車が走行中に、車軸が折れたのだそう。前のめりに車体が倒れ込んだのだが運の悪いことに馬が暴れ、引きずられた車体が損傷。アデリアは外に投げ出されたのだとか。
さすがにリュティシアもゾッとする。自分ならば〈剛力〉でどうにかできるかもしれないが、普通の女性なら。
「お怪我は?」
「……相当らしい」
フェリスベルトのところにまだ詳細は上がってこないが、ひどい状態ではあるようだった。だからリュティシアに一報を伝えに来た。
「もしも亡くなられるようなら……でなくとも、見て取れるような傷が残ったら婚約は辞退されると思う」
「……なんてこと」
「そうなればセミオンがまた荒れるだろう。今後の動きによってはリュティと顔を合わせないようにはからうよ。とりあえず王宮内の廊下では気にしておいてくれ」
フェリスベルトはあくまでリュティシアを守るため、この事故の報を伝えたのだった。
セミオンがアデリアのことをどう感じているのかは知らない。だが自分からダンスに誘い、婚約に持ち込んだのだから好意的に思っているのは当然だ。その相手から婚約を破棄されるとしたら、さすがに運命に怒るはず。前の因縁があるリュティシアに出くわしたら八つ当たりの一つや二つ、しかねない。
「セミオンさまを見かけたら逃げろとおっしゃるのね」
「平たく言えばそうだ」
今回の件、リュティシアはまったく関係ない。だが不条理な目にあった人からすると、誰彼なく非難して苦しみをぶつけたくなるもの――過去の事故でリュティシアは思い知らされていた。
「リュティ?」
思い出に沈んでしまったリュティシアのことをフェリスベルトは引き戻した。リュティシアが泣きそうな顔になったからだ。
「どうした。そりゃあアデリア嬢はかわいそうだが……ああ、もしかしてリュティの〈看破〉が働いたのかい? 見えていたが助けられなかったとか」
「違いますの。何も見えませんでしたわ、今回は……」
リュティシアはポロリとこぼれた言葉のままに告白した。
「昔……幼なじみが馬車の事故で亡くなったことがあって」
「リュティ……」
フェリスベルトは呼吸が止まりそうになった。なんとか言葉を絞り出す
「それはつらいことを思い出させたね。すまない」
「いいえ、仕方がありませんもの」
リュティシアは静かに微笑んだ。しかしその笑顔が無理をしていて、フェリスベルトはいたたまれない。なんとか励まそうと言いつくろった。
「リュティの〈看破〉は直前に働くものだろう? 気にしなくていい。どうしようもないことだったはずだ」
「あの頃は違ったのですわ……」
リュティシアはつぶやいた。
幼い頃、リュティシアの〈看破〉はもっと先のことも見えた。焦点を絞れば少し離れた場所のことも、見知らぬ人々の姿さえも映し出すことができた。
今は何かが起こる直前に、ごく身近な所の、自分もしくは大事な人のことしか見えないのだが。
「……そうだったのか」
「ええ……友だちが母君と一緒に旅行に出ましたの。私、あの子がどうしているか、雨に降られたりしないかと思って〈看破〉を使いましたのよ。こっそり」
〈看破〉は強い加護だ。無闇に使用して人の未来をねじ曲げるようなことになってはいけない。
だから幼いリュティシアは普段〈看破〉を封じるよう命じられていた。別によその人のことなど見たくもないし、それでよかった。
だが友だちのことが知りたくて禁を破ったのだ。すると見えた。しとしと降る雨の中、土砂崩れに巻きこまれる馬車が。
「迷いましたわ。〈看破〉を使ったことを叱られたくなくて。でも放っておけない、そう思って父に泣きついた。あの子を助けてって。父は早馬を飛ばしてくれたけど……間に合わな、かっ……」
リュティシアはこらえきれずに涙をこぼした。フェリスベルトが隣にきて、震える肩を抱いてくれる。それにも気づかない様子でリュティシアは言いつのった。
「私が迷わなければ、助けられたかもしれない。城下に残っていたその子の父君は号泣しながら私に言いましたわ。どうして助けてくれなかったんだ、人殺し、と」
「リュティ!」
ぶつけられたという強い言葉にフェリスベルトは声を荒らげた。
「それは違う。リュティは精一杯やった」
「でもそう言いたくなるのもわかるでしょう? 妻と娘が死ぬのを知っていたのに何もできなかった人がそこにいたら、責めてしまうわ……」
よみがえった記憶だけでリュティシアは打ちのめされていた。フェリスベルトも返す言葉がない。
もし――もし、前の妻が死ぬとわかっていたら、子を産ませたか? できるわけない。リュティシアがずっと抱えてきたのは、そういう類の後悔なのだ。そんなもの、フェリスベルトでも耐えがたく思う責め苦。
「私わからなくて……どうすればよかったのか。だからもう〈看破〉なんていらない、と泣きましたのよ。そうしたらおかしなことね、半端にしか使えなくなって」
ふ、ふふ、とリュティシアは自分をあざけった。
そんなことがあってリュティシアの〈看破〉は今のようになったのだ。本当に危ない時にしか働かない、よくわからないものに。
泣きながら笑うリュティシアを、フェリスベルトはきつく抱きしめる。その痛みでやっと我に返ったリュティシアは、婚約者の腕の中でぼんやりした。
(私――こんなことをフェルさまにぶつけて。また泣いてしまったわ。情けないったら)
どうしてフェリスベルトには甘えてしまうのか。この人がとても大人だからか。それとも――痛みをわかってくれそうだからかもしれない。
「リュティ」
抱きしめる腕をゆるめることなく、しかしフェリスベルトの声は優しかった。
「リュティ、愛してる」
ささやかれてリュティシアの力が抜けた。




