21 夕陽の誓い
リュティシアはフェリスベルトのことが好きなのか。
不意打ちの質問にキュウッとして耳まで赤くなってしまった。
エドゥアルドは返事をしてくれない母のことを小首をかしげて見ていたが、「まあいいや」と体を離す。
「ぼくかえらなきゃ。おこられちゃうかなあ……」
「ああエディ、カティアには私がちゃんと言ってあげるから。送っていくわ。心配で来てくれたんだものね」
立ち上がるとエドゥアルドの手を握る。決意を宣言した。
「お母さまは、ちゃんとエディのこと守りますからねっ」
「うん!」
王宮内とはいえ、子どもをひとりで歩かせられない。泣きはらした目は人に見られたらみっともないが自業自得だし。
――ところが、部屋を出たらそこでフェリスベルトが待ちかまえていた。そりゃこの流れでエドゥアルドが姿を消せば、行き先などリュティシアのところしかない。カティアも連れて、ちゃんと迎えにきたのだった。
「リュティ、すまなかった」
本日二度目の謝罪をかまし、王弟殿下は青ざめている。それでも退く気はないようだ。
「二人で話したい。ちょっと気分を変えて庭に出よう」
「あら……でも、もう夕刻でしてよ?」
「……まだ怒っているね」
フェリスベルトが指摘したのはリュティシアの話し方だった。だが本人はその癖に自覚はない。ちょっとツンとした態度を取ってしまったことを言われたのだと思って唇をとがらせた。
「怒ってなんか……エディがなぐさめてくれましたもの」
「私にもなぐさめさせてくれないか?」
エドゥアルドは空気を読んだかスルリとリュティシアの手を放す。カティアのところにトコトコいって、振り向いた。
「お母さま、あしたまたあそぼうね」
「え、エディ……」
「先に戻っていなさいエディ」
「うん」
あっさり去っていかれて、リュティシアは宙に浮いた手をカクリと落とす。その手を大事そうに取ったのはフェリスベルトだ。
「日暮れが遅い季節だ。ちょうど夕焼けているよ、ながめに行こう」
「行ってらっしゃいませリュティさま」
ユーニスも平然と言う。全員から退路を断たれてしまい、仕方なくリュティシアは歩き出した。釈然としない。
「――私の言い方は、間違っていた」
そうささやいたフェリスベルトはリュティシアの手を握って離さなかった。コツ、コツと廊下に足音が響く。
「前の妻を否定するつもりはなかったよ。あの人がいてくれたこと、エディを産んでくれたことにはとても感謝している」
「――絵はいらない、とエディが言いましたわ。そうフェルさまに伝えたのだと」
「ああ。でも私は――」
話しながら庭へ通じる回廊へと曲がる。流れ込んできた夕陽にリュティシアは目を細めた。蜂蜜色の髪が陽にとけて輝く。フェリスベルトは思わずそれに手を触れたくなって自制した。
「――リュティへ遠回しに強調していたんだと思う。今の私とエディが大切に思っているのはリュティだけで、だから肖像画など不要だと。何かをおとしめることでリュティの方を持ち上げるのは良くない論法だった。すまない」
庭へリュティシアを連れ出しながら、フェリスベルトは婚約者の横顔を盗み見る。かすかにはれたまぶたが痛々しくて、でも愛らしくて、泣かせてしまったことがとんでもない罪のように思えた。
「フェルさまったら――」
目を伏せたまま花々に囲まれていたリュティシアの口から、ようやくこぼれた言葉は不満げだった。プンプンと文句を言う。
「どうして、そんなに頭がよろしいのよ、もう!」
「え? リュティ?」
「だってだって、今日のはわめき散らした私がいけませんのに。会話の何が私の気持ちに引っかかったかまで分析なさって! ……恥ずかしいじゃありませんの」
とっても情けない顔をして、リュティシアはうつむいた。
フェリスベルトは謝る体裁を取りながら「今大切なのはリュティ」とまで伝えてくれた。話の持っていき方が理詰めすぎるきらいはあるけれど、こんな大人の対応をされたらまったく敵わないじゃないか!
「リュティ……許してくれるのかい?」
「……フェルさまこそ許してくださるの?」
「許すも何も。私はリュティを手放したくないんだよ」
率直な意見にリュティシアの顔は真っ赤になった。いや、赤く見えているとしても、それは夕陽のせいということにしてしまおう。うん、それしかない。
フェリスベルトは正面からリュティシアに向き合って、両手を取る。
「昔のことはともかくとして、私は今を生きているんだからね。リュティに会ってそれを思い出した。だからこれからは、リュティとの将来を考えていきたい」
これはフェリスベルトにしては精一杯の愛の告白だ。そばにいて共に歩んでほしい、という。でもリュティシアの気がかりはまだ晴らされていなかった。
「エディの母君を――愛していらっしゃる?」
とうとう訊いてしまった。それはリュティシアがいちばん怖れていること。愛を抱いたままの人のところへ割り込むなんてしたくない。もしそうならば、自分はエドゥアルドの母としてここにいるだけでよいのだ。
フェリスベルトは握っていた手を放し、真面目に自分の心を探る顔をした。
「いや……彼女のことは想い出であり、後悔なんだと思う」
「後悔……」
その言葉にリュティシアの胸がズキンと跳ねた。誰しも後悔なしには生きられないものなのか。
リュティシアにも取り返せない後悔があった。加護〈看破〉で見えたものの、間に合わず救えなかった友だちのこと。その親からなじられたこと。それはリュティシアの心に刺さる棘。
フェリスベルトはそんな過去を知らない。だから小さく笑ったのは自分自身のことだ。顔を上げて庭の木々を揺らす風を聞く。
「……どうすれば助けられたか。子どもなど産ませなければ生きていたのか。そもそも私に嫁がなければ……ずっとそう考えていた」
フェリスベルトの最初の結婚はそもそもが政略結婚であり、恋ではなかった。だが家族としての情はちゃんとあったし、そこは疑われたくない。情のない男に対してリュティシアは容赦ないと今回の反応でわかったから。
そして同じく政略的婚約から始まった二人だったが、フェリスベルトはリュティシアに今――恋をしている。豊かな感情を振りまいて目が離せないこの人に、恋を。
そのリュティシアは夕方の静かな空を遠く見やる。
「後悔は……一生ぬぐえませんもの」
「リュティにも後悔なんてあるのかい」
「それはもう」
ふふ、と笑ったリュティシアは、昔のことではなくついさっきを例に出した。
「あんなに泣いてしまって、みっともなかったと後悔していましたわ」
「……みっともなくなどなかったよ。リュティの言い分は死者への思いやりと敬意に満ちていて納得できた」
フェリスベルトはもういない人に心の中で謝る。
(私だけ――先へ進んでいくよ。すまない。今までありがとう)
そして、リュティシアに告げた。
「これからの私が愛したいのはリュティだ。あなたを、愛させてほしい」
「あ――――」
愛。
その言葉の意味は、とても広いのだが。リュティシアの脳みそがすごい速度で回転した。
(どういう意味? 王弟一家という集団を維持する要員として? 家族愛? ……ってことよね!)
勝手に納得したリュティシアはスカートをつまみ、完璧な礼をしてみせた。
「ありがとうございます。私、安心してフェルさまと結婚いたしますわ」
「リュティ……」
口ごもって、フェリスベルトは不安にかられた。何かがすれ違っている気がする。
だがリュティシアは「結婚する」と明言した。この流れでそう言うからにはフェリスベルトからの愛を受け入れるとの意味なのだろう。今現在、恋してもらえているとは微塵も思えないが――愛なら今後育んでいけばいい。
フェリスベルトは覚悟を決めた。普段から女性にモテるような自分ではないが、リュティシアの心をガッチリ手に入れるために努力するのだ!
「それでは、末永くよろしく」
フェリスベルトはスッとリュティシアの手を取った。そして静かに口づける。
それは誓い。愛の。
リュティシアに愛を乞う、許しを求めての。
「フェ、フェルさま――!」
リュティシアは驚いて手を引きそうになってしまう。しかしフェリスベルトはゆったり微笑み、愛しい婚約者を離さなかった。
そしてリュティシアも、うっかり〈剛力〉を発動してフェリスベルトを投げ飛ばすなんてことにはならない。驚いてビクッとはしたが――なぜか口づけが嫌だとは思わなかったのだ。




