19 お母さま、て誰のこと
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今日のリュティシアは、エドゥアルドとの遊びをおあずけにされていた。朝いちばんで結婚式の打ち合わせに呼ばれたのだ。
招き入れられたのはフェリスベルトの応接室だった。普段エドゥアルドと会う家族の居間とは別の部屋。リュティシアがそこに足を踏み入れるのは初めてだった。
ガルディアから来る招待客の確認はリュティシアでなければできない。式場や式次第についても、ガルディアの風習に照らして礼を失していないかチェックするよう要請された。
「……あまり盛大にしなくてもよろしいのに」
リュティシアはぼやいてしまった。式は仕方ないけれど、宴が。
冴えない顔をされてフェリスベルトは怪訝な表情だ。
「ガルディアでは結婚祝いの宴を開く習慣がない、と……?」
「いえ、ありますわ。でもこの出席者名簿……もっと内輪でもいいような気がして」
「そうか……ガルディアの客人に対してアルヴェイン側が少々多いかな。検討しよう」
「ええと……」
そういうことでもない。
リュティシアはつまり、仰々しいことが面倒なのだ。晩餐会などせずに親しい人たちに「おめでとう」と言ってもらえたらそれでいい。
だがフェリスベルトは苦笑いだった。
「そうはいかないよ。あなたはガルディアの王女なんだ。外交行事でもあるのだから、欠かすわけには」
「わかりますけど……」
リュティシアは目を伏せた。ずっと気にかかっていたことを訊いてもいいだろうか。
「フェルさまは……お嫌じゃありません?」
それは、この結婚そのもののこと。
甥のセミオンから押しつけられた隣国の王女など迷惑じゃなかったか。エドゥアルドという息子を遺してくれた妻をまだ愛しているかもしれないのに、国のために身を挺したのかという不安がぬぐえなかった。
だがフェリスベルトは、そんなリュティシアの想いには気づかない。軽く笑いながら書類に目を通していた。
「何故? 私は盛大な宴でもかまわないよ」
「そうではなく……いわくつきのお式ですし」
「セミオンのことかい? あれはあいつが悪い。リュティにはなんの責任もないことだ。それに元の予定でも式は華やかになったはずだしね」
何を言ってもフェリスベルトの返答はおだやかで突っ込みどころがない。むしろそのことにリュティシアの心にはさざ波が立った。
(フェルさまご自身は、どうなさりたいの……?)
常識的にはこう、とか。外交儀礼だから、とか。知りたいのはそんなことじゃなくて、フェリスベルトが華やかな式典を好むのか本当は違うのか。
そして最も答えてほしいのは、リュティシアとの結婚を心から望んでいるかどうかという問いだった。
――でもそれを訊くのはなんだか、怖い。
ひと通りの確認事項をクリアし、リュティシアはエドゥアルドの待つ居間へ向かった。だがフェリスベルトの方は仕事があるため、宮廷の執務室へおもむかなければならない。
私室へ上着を取りに戻ったフェリスベルトは、ふと壁に先妻の肖像画が飾ってあることに気づいた。
もう景色の一部となっていてろくに目に入っていなかった女性の姿。エドゥアルドと同じ淡い緑の瞳が慎ましく微笑んでいる。今の今までこの絵を放ったらかしだったことに我ながら驚いた。
(――これは片づけさせないと)
自分の配慮のなさに嫌気が差した。リュティシアはまだここに立ち入ったことがなかったが、以前の妻の肖像など不快に決まっている。見られる前でよかった。
「本当に……女性のあしらいというものがなっていないな、私は」
今もリュティシアとの会話がなんとなくギクシャクしていた気がする。要分析だ。
とりあえず肖像画については、取り外すようヴァルターに言おう。しかし「やっと気づきましたか」ぐらいの小言は覚悟せねばなるまいと考えると、フェリスベルトは深いため息をついた。
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その肖像画の片づけは裏目に出た。リュティシアがエドゥアルドと居間にいる間に備品室へ運んでしまおうとしたヴァルターの思惑に反し、二人が部屋を出てきてしまったのだ。
「かくれんぼだよ! お母さまがかくれるの!」
そう言って壁に顔を伏せようとしたエドゥアルドは、廊下の向こうで額縁を運ぶ下男二人にもちろん気づく。
「あ、それ――」
エドゥアルドはその肖像の人をなんと呼ぶか迷ってしまった。父の部屋にあるそれのこと、前は「お母さまの絵だよ」と言われていたが。
「え、と。おかあ、さま――?」
「どうしたのエディ」
今のエドゥアルドの「母」は、ここにいるリュティシアだ。男の子の混乱はリュティシアの眉をひそめさせる。肖像画に付き添っていたヴァルターは頭を抱えたくなった。
「リュティシアさま、あの、これはですね」
「もしかして、以前の奥さま――」
布にくるまれていないその絵に近づいて、リュティシアはしげしげとながめた。
エドゥアルドと同じ瞳。おとなしそうで気弱な微笑み。なるほど、着実で誠実なフェリスベルトとなら静かな夫婦関係を築いただろうと思わされる。
「リュティシアさま、こちらは片づけるようにと命じられたものでして……申し訳ありません、倉庫に移してから梱包しようと思っていたのです」
言い訳するヴァルターの言葉に応えもせずに、リュティシアはその女性に想いを馳せていた。
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思いがけず「先妻の肖像画」なんてものに遭遇したリュティシアは、かくれんぼにも身が入らず早々に自室へ引き取ってしまった。なんとなく気持ちが沈んでモヤモヤする。
(あれが、エディを生んだ人。フェルさまの妻だった女性……)
ぐるぐると考えた。考えても仕方がないとわかっているのに。
リュティシアは婚約破棄からフェリスベルトに拾われた身。今はとても大切にされているし幸せだと思う。なのに胸が苦しかった。
「リュティさま、お加減がすぐれないならハーブティでもどうぞ」
ユーニスが知らん顔でポットを運んできてくれる。ふわりと香る湯気がリュティシアを包んだ。カモミール、それにレモングラスだろうか。心を落ち着けるためのブレンドだ。取り乱したことを完全に読まれていてちょっと恥ずかしかった。
「……ありがとう」
「とんでもないです。私のお仕事ですよ」
そうなのだけど、きまり悪い。カップから立ちのぼる匂いを深く吸い込みながらリュティシアは気持ちを整えようとこころみた。
(そうね、私だって仕事として結婚するのだから。動揺することはないわ)
自分に言い聞かせる。これは国同士が結んだ縁であり、フェリスベルトに先妻がいたことは承知の上で婚約したのに。その存在を目の当たりにして揺れてしまうなんて理不尽なことだ。エドゥアルドにはわけがわからなかっただろう。
(あ……エディが困っていたのよね。ちゃんと受けとめてあげずに置いてきてしまったわ)
産みの母の肖像とリュティシアを見比べて、エドゥアルドは「お母さま」という言葉の在り方に迷うようだった。なのにリュティシア自身の気持ちが不安定で何も言えなかったのだ。〈育成〉失格だ。
「エディはだいじょうぶかしら……」
つぶやいたら、表でノックがした。ユーニスが出ていく。聞こえたのは意外にもフェリスベルトの声だった。
「リュティに会いたいのだが、話せるかな」
「……フェルさま?」
執務室で仕事のはずなのに、どうしたのか。思わず立ち上がったら居間のドアをそっとユーニスがのぞく。
「お通ししても?」
「もちろんよ。何かあったのでしょうし」
「いや、リュティに謝りたくて来たんだよ」
ユーニスを押しのけて入ってきたフェリスベルトは、そのままドアを閉めた。二人きりになる。とりあえずソファをすすめ、リュティシアも腰をおろした。フェリスベルトのぶんのカップがないな、とぼんやり考えた。
「リュティを傷つけた。すまない」
単刀直入にフェリスベルトが言う。深く頭を下げられてリュティシアは慌てた。
「傷つけただなんて……」
「でも肖像画を見て不安になったんだろう? ヴァルターから表の方に連絡があってね。あれはもっと早く片づけておくべきだった。私のミスだ」
フェリスベルトは真っ直ぐにリュティシアの瞳をのぞき込む。配慮したつもりがこの始末で、「真夜中にやらせればよかった」と本気で後悔している。
「あれはずっと私の私室に飾ってあったんだ。エディに母親というものを少しでも感じさせたくて。でもリュティが来てくれて必要なくなった。今はリュティがいてくれればそれでいいんだ。すぐ取り外せばよかったんだが……もう私にとっては壁と同じようなものだったから忘れていてね」
「フェルさま」
その言い方にリュティシアは青ざめた。心が凍りつく。
フェリスベルトは言い訳として大げさに言ったのかもしれない。だが命がけでエドゥアルドを生んでくれた人に対して――。
「失礼じゃありませんこと?」
底冷えするような声が出た。




