17 それぞれの悩み
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「――セミオンのやつ、やはり私に対して含むところがあるに違いない」
「そのようなことを口にしてはなりません、王太子殿下」
パルミロの手を握ってその体内の息吹を探りながら、ジェレミアスは困り顔だった。
ここはパルミロの私室。人払いはしてある。しかしあまり角の立つ話は聞かなかったことにしたいものだ。晶化術を施す側であるジェレミアスは患者に愚痴をこぼされることも多いが、この内容は政治的に過ぎる。
「お心がささくれていらっしゃるようですな。お悩みを結晶にいたしましょう」
「……頼む」
「感情を平らかにして、ご対処なさいませ。人間は怒りや迷いの中にいると考えを誤るものでございます」
「うむ。わかってはいるのだが。情けないな」
「そのための晶化術でございますので。なに、殿下にまったく人間みがないのも臣下がついていけなくなります。よろしいことですよ」
ジェレミアスは施術用品の小箱から符を選んで取り出す。描かれた陣により結晶化される感情が違うのだ。不安。妬み。怒り。焦り。人を蝕む負の心はさまざまで、患者により取りのぞく量も異なる。
パルミロが苛立っているのは、舞踏会でのモンサント侯爵が発端だった。
王太子妃決定に際して敗れた因縁のあるモンサント家。それが多産家系だという当てこすりはパルミロ夫婦には刺さる。世継ぎを生さなければ、というプレッシャーは他人が思うより壮絶なものだ。
しかし、その侯爵が売り込んできた娘アデリアにダンスを申し込むとは――セミオンの行動は、パルミロではなく自分の子に次代を継がせんとする野心の表明ともとれた。
首の後ろに符を貼られると、高ぶっていた気が少し落ち着いてきた。パルミロはつぶやくようにこぼす。
「セミオンは……第二王子であるせいで、外交の駒として妙な姫君を押しつけられそうになったと言ってきたんだ。兄上は国内のよく知った令嬢を選ぶことができて良かったな、と」
それは二人が言い争ったと噂された時のこと。見知らぬリュティシアとの婚約で騒動を起こしたセミオンは、王太子たる兄が何事でも優遇されていると主張して喧嘩を吹っ掛けたらしい。
「おまえこそ、上に立つ責任を知らないのかと叱りつけてやったよ。あの甘ったれめ」
「それぞれの立場にご苦労はあるものです。私のような平民がもっとも気楽かもしれませんなあ」
「ジェレミアスは重要な職について責任を果たしているだろう。だがそうか、おまえがどこぞの貴族の流れの者なら、こんな愚痴はもらせないな」
利害関係を持たないジェレミアスだからこそ、王族たちの晶化術にたずさわっても問題がないのだ。コロリと結晶が生成されるとパルミロは深呼吸して首と肩を回した。
「ふう……晶術師として出世すると末端の貴族との結婚話が持ち上がることも多いのに、ジェレミアスは独り身だったか」
「私など研究と仕事ばかりで面白みがございません。妻がおってもあきれられ冷え切ってしまうのではありませんかな――殿下と妃殿下は仲がよろしいのですから、お気を楽になさればきっと」
片づけをしながらジェレミアスはおだやかに声をかける。採取した「焦」の結晶は暗い朱色。使った符も黒かったインクが濃朱に染まっている。
そしてパラリ。何故か二枚重ねになっていた符が使用済み小箱の中に落ちた。そちらは黒々としたインクのまま――しかし描かれた線が溶けたように穴となり、紙はボロボロと崩れそうになっている。
その符にパルミロは気づいていなかった。ジェレミアスも素知らぬ顔でしまいこむ。そして、いつものように静かに頭を下げ御前を辞した。
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「――舞踏会、ですの? また?」
先日同じようなことを言ったな、と思いながらリュティシアが問い返したのは、エドゥアルドが「ぶとうかいにでたい」と言ったからだ。
でも今は踊っているわけではない。フェリスベルトのいない隙に、エドゥアルドへキックを伝授しているのだ。
キックから流れるように間を詰めてのジャブ。相手の拳をスイとよけてのボディ、そしてストレート。見せられた流れをエドゥアルドはキャッキャいって真似する。そして「ぶとうかい」発言なのだった。
「それは武闘会でございますねえ」
カティアが注釈を入れてくれた。演武の一大イベントで、毎年秋になると行われる行事だそう。収穫祭の余興のような側面もあるが、貴族や騎士階級からも参加して盛り上がるのだ。
「平民の入隊者にしてみれば出世の契機でもありますけど、男同士で実力をアピールして……まあ騒ぎたいだけですわよ」
カティアは苦笑いした。男たちの馬鹿騒ぎなど、女たちにしてみれば生温かく見守ることになりがちなもの。
「それは……危険ではないの?」
「力自慢とか馬術、剣術に部門が分かれておりまして。剣術の試合ではしっかり鎧を着るんですよ。ひどい怪我人などはほとんど出ません」
「そうなのね、じゃあエディは子ども部門かしら」
「子ども部門はございませんわ。エドゥアルドさまの出場はお稽古を積んで、何年か後になりますわねえ」
ほほほ、と笑うカティアに、エドゥアルドは頬をふくらませる。
「つまんないの。ぼくもお母さまみたいにつよくなりたーい」
「あらあら、私は武闘会には出ませんことよ? 剣や馬は扱えないし、本職の兵士のみなさん相手ではとても戦えないでしょう」
それは嘘。いや本当か。武闘会の頃には王弟妃となっているはずのリュティシアが相手では、兵士たちも手を出せずに逃げ回るだろう。
ぷう、と拗ねるエドゥアルドの頬はまあるい。ツンとつついてリュティシアは言い聞かせた。
「武闘会に出られなくても、お稽古はできますもの。それにエディにはお勉強も頑張ってほしいわね。フェルさまみたいに国を富ませる方策を考えるのも大事なことだわ」
「お父さまもカッコいい?」
「もちろんよ」
リュティシアは大真面目に答える。港への旅で垣間見た、官吏や技術者たちと意見を交わす姿はとても頼もしかった。エドゥアルドにもあんな風になってもらいたい。姿だけなら父親ゆずりの黒髪でもあるし、似た雰囲気に成長するだろうか。
(そういえば……エディの淡い緑の瞳は)
ふと胸が痛んだ。それは実母ゆずりのものなのか。舞踏会で挨拶された祖父母のうち、伯爵夫人がそんな瞳の色だった気がする。
リュティシアのそんな物思いに気づかずにエドゥアルドは口をとがらせて困っていた。
「そっかあ……ぼく、お父さまみたいにもなりたいけど、どうしよう。がんばることいっぱいなんだよね」
「そうですわね。じゃあ体術のお稽古はこのぐらいにして、次はお勉強ですかしら」
「ええー、もう?」
「リュティシアさま、家庭教師までは少し間がありますけれど……」
カティアの申し出にリュティシアはキラリと目を光らせた。
「じゃあ――ちょっとだけおやつをいただきましょう!」
「やったあ!」
エドゥアルドはピョンと跳ねる。
大きくなるのもエドゥアルドの大切な任務だ。たくさん動いて、たくさん食べて。そんなエドゥアルドを見ていられることがリュティシアは嬉しい。
そうできなかった実母の代わりになれるかどうかはわからないが、誠心誠意努めたいと思った。
(でもフェルさまは――)
この結婚をどう考えているのだろう。
セミオンから斜め上へとスライドされて縁組した婚約者リュティシアのこと、嫌ってはいないと思う。しかし面白がっているだけかもしれないじゃないか。女にしては妙ちくりんな加護と、武の国ガルディア風の振る舞いが物珍しくて。
そしてリュティシアには自分の心もよくわからなかった。
フェリスベルトのことは尊敬するし、エドゥアルドの良き父だと思う。だが妻として夫として二人が並ぶことを想像すると――。
「ふぇっ」
リュティシアはしゃっくりのような声をあげた。茶菓子の用意をしていたユーニスとカティアが眉をくもらせる。リュティシアの頬がほんのり赤かった。
「どうなさいました。お風邪でも?」
「う、ううん。なんでもないわ、だいじょうぶ」
そう言ったけど、全然大丈夫じゃない。
リュティシアは結婚式で直面するであろう、誓いの口づけのことが頭をよぎっただけで動揺してしまったのだ。
舞踏会で、肩に手を添えて踊りながら見上げたフェリスベルトの優しい瞳。あれが微笑みながら近づいてきたら――。
(あ、う、ちょっ……駄目だわ投げ飛ばしてしまいそう!)
でもそれは決して嫌だからではない。と思う。じゃあどうして。
理由などわからないが、考えただけで心臓がバクバクするリュティシアだった。




