16 セカンドダンスは誰と
尊大なモンサント侯爵が去った後、フェリスベルトの前で丁寧に頭を下げた男女がいた。エドゥアルドがニッコリする。
「おじいさま、おばあさま。おひさしぶりです!」
「ほほうエドゥアルドさま、ご立派な挨拶をなさるようになりましたな。爺は鼻が高うございますぞ」
それはエドゥアルドの実母の両親、サーレス伯爵夫妻だったのだ。エドゥアルドにとっては母方の祖父母にあたる。目を細めて孫を愛おしむと、伯爵は初めて会うリュティシアへなんともいえないまなざしを向けた。寂しさのような、安堵のような。
「この度はご婚約おめでとうございます。エドゥアルドさまは我が娘の忘れ形見……王女殿下からとても愛されていると聞き及び、僭越ながら胸をなでおろしました」
「……エディのこと、私の力及ぶ限り大切にしたいと思っています」
短いが想いをこめた言葉を交わし、伯爵夫妻は下がる。リュティシアはたまらない想いで見送った。
(お嬢さまを亡くされて、孫とはいえ王族のエディには頻繁に会うことも叶わず、あげく継母が来ることになった……それは案じてしまうわね)
彼らの不安はリュティシアに会って払拭されただろうか。〈育成〉持ちとはいえ若い後妻が継子にどう接するかなど信用できなかろう。
「リュティの人柄は伝わったと思う」
横でフェリスベルトがつぶやいた。リュティシアのことは見ないが、励ましてくれているのだ。そしてエドゥアルドもリュティシアに手を伸ばす。
「お母さまは、ぼくのだいすきなお母さまだよ」
「エディ……ええ、私もエディが大好き」
微笑み合う義理の母子の姿をサーレス伯爵夫妻はそっと振り返る。エドゥアルドの笑顔には安堵するが、そこに立って笑うのが娘でないことに一抹の寂しさを抱くのは仕方なかった。
舞踏会のメインといえば、もちろんダンス。
人々が集う大広間は王宮でもいちばん大きな広間だ。楽団が隅に控えていて、貴族たちの挨拶と王からの言葉が終わると音楽が始まる。
「さあリュティ」
フェリスベルトに手を取られ、リュティシアは真ん中に進み出た。今日の主役の一角にあたる二人が踊らないと他の人が始められない。
「フェルさまの足を踏んでも許してくださる?」
「そんなことになるとしたら私のリードが悪いんだ」
軽口を言い合いながら一礼した二人は優雅に踊り出した。すべるようなステップ。見守る貴族たちから笑みがもれる。
「……王弟殿下はようやく吹っ切れたのかな」
「お幸せそうで何よりだ」
先妻を亡くしてから、フェリスベルトはずっと舞踏会で踊ろうとしなかった。静かな目で会場の喧騒をながめるばかりだったのだ。
それがひょんなことからまとまった縁談の相手とあんなに打ち解けて踊っている。フロアに次々加わる男女を気にすることなくリュティシアだけを見つめて微笑む姿は一途な心を感じさせた。
「これで王家に新しい風が入るな」
「……お子も生まれるとよいが」
そんな声もチラホラ聞こえる。今の王族でいちばん若いのはエドゥアルドだ。王太子夫妻に懐妊の兆候はなく、第二王子は婚約を破棄。となると世継ぎが心配される。
王弟の子であってもいいから、人数がいないと何があるかわからない。王権が揺らぐようなことがあれば貴族たちも争いに巻き込まれてしまうので、王家に嫁ぐ女性には誰もが下世話な興味を向けるのだった。
その時セミオンがフロアを横切った。ツカツカと向かった先にいるのは、先ほど挨拶で王太子夫妻に皮肉を言ったモンサント侯爵――の次女の前。
「私と踊ってくれるか?」
大広間にざわめきの波が立つ。
隣国の王女との婚約を破棄し謹慎していた王子は、自分で新しい婚約者を選ぶつもりか。それとも王の指示があっての行動なのか。問題を起こした相手のリュティシアがこうして結婚の日取りを発表し祝福されているのだから、セミオンの方もそろそろ許されてしかるべきではある。
「わ……わたくしでよろしければ。光栄でございます殿下」
突然の指名にややうろたえたアデリア・モンサント侯爵令嬢は、それでも嬉しそうな笑みを浮かべてセミオンの手を取った。しずしずフロアへ歩み出る。
ちょうど一曲目が終わり、リュティシアはフェリスベルトに礼をしているところだった。入れ替わるセミオンとアデリアにもゆったり会釈する。が、セミオンからは無視された。
「もっと踊るかい?」
取りなすようにフェリスベルトはささやいた。だがリュティシアは首を横に振る。
「二人目に踊りたい殿方は決めてありますの。端っこにいるから迎えに参りますわ」
「え――誰と踊るつもりだ?」
チリ、と胸がこげつくのを感じながらフェリスベルトは平静をよそおう。リュティシアはスルリと腕をとくと軽やかにエドゥアルドのところへ駆け戻った。
「エディ、私と踊ってくださる?」
「お母さまとおどっていいの? やったあ!」
可愛らしい歓声が音楽にまぎれて響く。フェリスベルトは一瞬嫉妬した自分のことを殴りたくなった。
「ぼくとおどっていただけますか、お母さま」
「ええ、よろこんで」
あらためてフロアの端で一礼し向かい合うリュティシアとエドゥアルド。背が違いすぎるのできちんと組むことはできないが、両手をつないでステップを踏み始める。その微笑ましい姿は人々の視線を集めた。
(……あの馬鹿力女め)
注目されるリュティシアとエドゥアルドの陰でひっそり踊ることになったセミオンは、忌々しさを無表情に隠す。プライドにかけて王子としての優雅さを崩すわけにいかなかったのだ。
「モンサント侯爵家のご令嬢……なるほど」
そう独り言ちたのは晶術師のジェレミアスだった。
また事故が起こらないか、警戒するために晶術師が数名配置されている。この大広間は以前に事件があった広間よりも大きく、参会者も多かった。天井の燭台はすべて事前に点検してあるが念のためだ。
彼らを束ねる立場だったジェレミアスはつらつら記憶をたどる。モンサント家には子息子女が多く、さらに結婚した者はすぐに子宝に恵まれていた。なるほど、王太子妃をあおるわけだ。
「……なんとも嫌みなお方であることよ」
ため息をついたジェレミアスはスルリと大広間を抜け出した。王立結晶院の置かれる区画へと戻っていく。
華やかな光と音楽から遠ざかって廊下を歩き、結晶院へ。舞踏会が行われていようが関係なく働いている者たちはいて、普通に頭を下げられた。だが雰囲気は堅苦しくない。
副長官という立場のジェレミアスだが、長官を務めるのは貴族出身の晶術師だった。平民からの叩き上げであるジェレミアスは実務に長け、親身になってくれると結晶院の中でも評判がいい。細かい仕事も率先して引き受けるジェレミアスは、いつものように倉庫の中へ入っていった。
そこには符を書くための特別な紙やインクの素、古い結晶サンプルとその収集時の記録、研究書などさまざまな物がしまわれている。
なんでもなく並んだ棚のうちの、ひとつ。その裏側に手を差し込むとジェレミアスは壁を押した。
ゴトン。
ほとんど音もたてずに壁が動く。そこに出現したのは地下へ続く階段だった。ジェレミアスは迷わず足を踏み入れる。
人当たりのいい晶術師を吸い込むように飲み込むと、その壁は再び静かに閉じた。




