12 海辺の事件
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リュティシアのおねだりは、宣言通りとんでもなかった。
半分露店のような店にフェリスベルトを引っ張っていき「これが欲しくて」と示したのは指輪――木を削った台に、磨いた貝殻がぐるりと貼り付けてある。
「リュティシア……」
フェリスベルトは絶句した。そこらの少年が初恋の少女に贈るような品じゃないか。
ためらってしまったフェリスベルトに、リュティシアは拗ねる目をしてみせた。
「あら。買ってくれませんの?」
「そうじゃないが……もっと値の張る物でもいいんだよ」
「これが可愛くて気に入ったんですもの。高級品ではないでしょうけど、王都に帰ってからもこの町を思い出せる素敵な指輪だわ。お部屋にあるだけで海が聞こえる気がしそう!」
上目づかいのリュティシアに、フェリスベルトは言い返せなくなった。これはリュティシアの勝ち。
「まあ……確かに可愛らしいよ。リュティシアに似合う」
「そう思いまして? 嬉しい」
「なあに、なにをかうの、お母さま?」
付き人を振り切ってエドゥアルドが突っ込んできた。指にはめた指輪をリュティシアは得意げに見せびらかす。素直に「かわいいね!」と目を輝かすエドゥアルドにフェリスベルトは苦笑した。
――そんな家族の姿を露店の裏からこっそり見ている者がいる。だが遠くにいた護衛たちは、その姿に気づかなかった。
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「浜へおりてみようか、リュティシア」
町をブラブラした後にフェリスベルトはそんなことを提案した。港から少し海側へ外れた方に行くと、小さな砂浜があるのだ。
浜辺ならガルディアの湖にもなくはない。リュティシアは首をかしげたのだが、フェリスベルトは真面目な顔をした。
「波が大きく寄せるのは珍しいだろう?」
「……!」
確かに。湖のさざ波とは違う、海の波。フェリスベルトはさらに言葉を重ねる。
「貝殻が落ちているし、生き物もいるかもしれないな」
「い、行きたいですわ……っ」
「ぼくもー!」
家族の興味の向くところを正確に把握し、行動をコントロールする。フェリスベルトは意外に策士なのだった。
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「きゃ、きゃあっ」
波に遊ばれてリュティシアが悲鳴をあげる。でも笑い混じりの声だった。靴はとっくに脱いでユーニスに預けてある。
「お母さま、うみっておもしろいね!」
エドゥアルドも裸足で波に勝負を挑んでいた。濡れた砂に足を踏ん張り、引き波に耐える。足の裏でくずれる砂がサラサラズルズルして、くすぐったかった。
スカートの裾をつまみ、素足で砂浜を踊るように駆けるリュティシアのことをフェリスベルトはまぶしげにながめていた。こんなに奔放な人は貴族社会で見たことがない。
だが奔放といってもリュティシアはしなやかだ。向き合う相手をないがしろにはしないが、自分もありのままに生きようとする。そんな人。フェリスベルトは天を指してすっくと伸びる大樹を思った。
エドゥアルドはカニを見つけ、その横歩きをじっと観察し始めた。一方リュティシアは白い小さな巻貝の殻を拾って不思議そうにしている。こんな形がどうやって作られるのか。
波打ち際にフェリスベルトが歩み寄ると、リュティシアは輝くように笑いかけた。
「フェリスベルトさま、海の水ってしょっぱいんですよね? 舐めてみてもいいでしょうか?」
「え?」
なんだそれは。大人が求める許可としてはずいぶんおかしな内容だ。
「リュティシア……でも砂混じりだし、あまり」
「私のお腹、丈夫なので!」
グッと力こぶを作ってみせるとリュティシアはパシャッと波に手をくぐらせる。ペロ。
「――!」
予想以上だったのかリュティシアの動きが止まった。言わんこっちゃない。
「吐き出すんだリュティシア! ええとユーニス? 何か飲み物はあるかな」
「は、はい!」
「……ふ、ふふっ。だいじょうぶですフェリスベルトさま、びっくりしただけ! これスープの三倍はしょっぱいわねえ」
リュティシアは大笑いし始める。ユーニスはまだ心配そうだ。
「リュティさま……ペッてしてくださいな」
「平気よ。ごめんなさいフェリスベルトさま、ご心配おかけして」
「リュティシア……何かと驚かされるのがあなただとは思っているが、エディが真似するよ?」
「あら。いけませんかしら……何ごとも経験ですわよ」
この義理の母には反省の色がない。フェリスベルトは眉尻を下げた。
「でも美味しくないのは確実だろう?」
「そうですわね」
クス、と笑うリュティシアに、フェリスベルトはやわらかなまなざしを投げる。少し下がって二人の様子を見守るヴァルターはしみじみ目を細めた。
(前の奥さまを亡くして以来、こんなに幸せそうなフェリスベルトさまは見たことがありません。王族としての義務感からご再婚を決めたのに……リュティシアさまが明るく楽しい方で良かった)
そんなゆるい空気を破ったのは、カティアの声だった。
「あら……エドゥアルドさまは?」
「え?」
皆がハッとする。あたりを見回してもカニを追いかける男の子の姿はなかった。両親もぼう然とする。
「エディ……?」
「やだ、エディどこ?」
一瞬で胸が不安に塗りつぶされたリュティシアを、耳鳴りが襲う。
キ――ンッ!
「あ……!」
これは加護の発動のしるし。
しかし〈育成〉でも〈剛力〉でもない。リュティシアがひた隠している、もうひとつの加護――〈看破〉のだ。
リュティシアは頭を押さえて蒼白になる。
「エディが……さらわれた!」
「なんだって? どうしたんだリュティシア」
「見えましたの、加護で。ガラの悪そうな男たちがエディの口をふさいで、かかえて逃げていく……」
取り乱すリュティシアの訴えにフェリスベルトは立ち尽くした。だがすぐに腹をくくる。今言われた「加護」がなんなのかわからないが、リュティシアは嘘をつくような人ではない。
「どこに行ったかわかるか」
「岩場をよじ登っていた、と思いますわ」
エドゥアルドがいた向こう側にはゴツゴツした崖がある。カニに夢中で浜の端まで行ってしまったエドゥアルドを、男たちが連れ去ったのだろうか。
「トルカート!」
「はっ」
うなずいたトルカートが走る。護衛たちを班に分け捜索しなくては。
護衛は浜の外にいたのだ。家族のひとときを、ものものしい雰囲気にしたくなかったから。それが仇となりエドゥアルドは皆の視界から外れてしまった。なんたる失態か。
「私も行きますわ。ユーニス、靴を」
「はいっ」
飛んできた侍女が足の砂を払ってくれる。キリリと厳しい顔のリュティシアを、フェリスベルトは制止した。
「待つんだ。リュティシアが行っても邪魔になるだけだろう」
「いいえ。私ならエディを助けられる――お願い、信じてくださいませ」
リュティシアは言い切る。そしていつも小言をもらすユーニスも、反対しなかった。
(――何か確信があるんだな)
それは、知らない加護によるものなのか。フェリスベルトは婚約者の言葉に賭けることにした。
「――わかった。皆で行こう」
「ありがとうございます!」
小走りに駆け出しながら、リュティシアは唇をかむ。
(エディ、ごめんなさい。あなたから目を離してしまった。フェリスベルトさまとの時間が楽しくて――私エディのお母さまなのに!)
キ――ン!
「あうっ」
また耳鳴り。粗末な小屋に運び込まれるエドゥアルドの姿が脳裏に浮かぶ。
「リュティシア?」
「――町中じゃありませんわ。周りに草が生えていて、物置のような」
フェリスベルトとトルカートが素早く相談する。それは漁師小屋ではないだろうか。
この〈看破〉をリュティシアは使いこなせない。本来なら敵の動きを知り戦略を立てることすら可能な、武人には垂涎の加護が〈看破〉。
でもリュティシアはごく狭い範囲の、今しも起こることしか見破れないのだ。だから婚約破棄のきっかけとなった燭台落下事件も、突き飛ばしてなんとかするしかなかった。
(こんな……こんな中途半端な加護)
欲しくなかった。自分の無力を突きつけられるから。
リュティシアの胸には今、夜の海のように暗い後悔と恐怖が渦巻いている。
――――また間に合わなかったらどうしよう。




