11 この気持ちはなんでしょう
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一行が夕食をとったのはフェリスベルトに割り当てられた部屋の食堂だった。王弟殿下ともなると執事と護衛も宿泊可能な続き部屋にいるものなので。
しかし婚約者でしかないリュティシアは、食事が終われば侍女ユーニスとともに自室へ戻る。エドゥアルドは養育係のカティアに任せられて子ども部屋だ。ひとりで寝室に引き取ったフェリスベルトはフウ、と窓の外をながめた。もう海が暗い。
「リュティシア――」
不思議な気分だった。国のためにと成り行きで婚約を引き受けた相手なのに、近ごろとても大切な人のような気がしてきたのだ。
エドゥアルドのためにと言いながら、今はもうフェリスベルト自身がリュティシアと過ごす時間を楽しみにしていると認めざるを得ない。
だってリュティシアはそこらのご令嬢のように堅苦しくかしこまったりしない。丁寧で優しい口調ながら、どことなくイタズラだ。
(何をしていてもリュティシアならどう思うか、リュティシアはどんな風に笑うかを考えてしまう)
それはもう――恋ではなかろうか。
だがそこでまた、フェリスベルトの胸は痛むのだった。家族としての愛はあったけれど恋にはならなかった人のことを想って。
おとなしくて真面目で楚々と微笑んでいた前の妻。大きくなる腹を苦しそうに抱えていたのをフェリスベルトは真剣にいたわれていたか自信がない。男の身で何ができたかといえば何もできなかったのかもしれないが、思い出すと後悔にさいなまれた。
「これに関しては、ジェレミアスを頼りたくはない……」
この痛みを吸い取って結晶にしてしまえば楽なのだろうか。でもそれでは無責任な気がする。これはみずからの力で抱え、飲み込み、乗り越えて生きるべきこと。
(リュティシアへきちんと向き合っていければ。もう私はきっと――)
過去に苦しまず歩いていける。救えなかった命のことを郷愁の中に眠らせて。
だが、リュティシアの方はどうなのだろうか。それがフェリスベルトは心配だった。彼女はどう見ても、フェリスベルトよりエドゥアルドのことが好きだからこの縁談を承知したように思えるが。
(……男として見られていないんじゃないか?)
今日だけでも、変顔を何回かされた。眉根を寄せたり、叱られて頬をふくらませたり。フェリスベルトに対して、自分を良く思ってもらいたいという意識がないような気がする。それに婚約者の目の前で護衛に抱きかかえられて平然としていたし。
(…………)
考えていたら落ち込んできた。窓の外に意識を向ける。
――リュティシアは、この夜の海をながめているだろうか。
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その通り、リュティシアは窓を開けて海を堪能していた。暗い水面はたまにキラキラと星と月の明かりを映すだけだが、波の音は夜の静寂に響いている。
「素敵ねえ、これが海の音……昼間よりくっきりと聞こえるわ」
「でもずっとこれだと、うるさくないですか。海辺の町の人たちは気にならないんでしょうか。ずぶといですね」
失礼な感心の仕方をしながらユーニスは明日の服を吊るしてブラシをかけていた。フェリスベルトも時間があるそうだし、一緒にお出掛けできるのだ。婚約者としてきちんと仲を深めてもらわなくては!
「お化粧もしませんとね。今日は陽射しが強かったですし、帽子だけでは日焼けしてしまいます」
「どうして張り切ってるのよ、ユーニス?」
「何言ってるんですか!」
のんきな女主人にユーニスは喝を入れる。
「これ、婚前旅行ですよ? ま、まあまあ、そりゃ間違いなんて起こるはずないんですけど、フェリスベルトさまにはここでリュティさまのことを女性として見直してもらわないと! いいですか、お二人はこのままじゃずっと『ご両親』ですっ」
プンスカしながら言われてリュティシアはげんなりした。別にそれでもかまわない。フェリスベルトは尊敬できる男性だし隣にいて嬉しいのは本当だが、「ご両親」をやっているのはとても楽しいから。
「ユーニスだって私と同い年だけど、お嫁入りしてないじゃない……」
「私はいいんです、一介の庶民ですから。そうですね、リュティさまがしっかり王弟妃殿下におさまったら縁談でもお世話してください」
「ええぇ……私この国で伝手なんてないわ……」
ぶつぶつ言った文句を無視してユーニスはリボンを取り出した。帽子をかぶっていても愛らしい髪形を思案するのだ。
(そんなに頑張らなくても)
リュティシアはあくまで自然体。いや、いちおう控えめにしてはいるのか。護衛の誰かに組手を申し込んだりはしていない。
だってフェリスベルトにまで「乱暴な馬鹿力女」と言われたら――。
「さすがに泣くわね」
「なんですか?」
「なんでもない」
うっかり漏れた自分の心をユーニスにごまかしながら、リュティシアはがくぜんとした。泣く? 泣きたくなるほどフェリスベルトに嫌われたくないのか、自分は。
いやたぶん、立て続けの婚約破棄はさすがに外聞が悪いとか、そうなるとエドゥアルドとお別れになってしまうとか、そっちが理由だと思うけど。
(フェリスベルトさま、か……)
おもかげを思い浮かべると自然と口角が上がる。いつも見つめていてくれる優しい青灰色の瞳は好きだ。
(ふむぅ……でもそれって、恋とか愛とかなの? よくわからないわ)
それにリュティシアがどう考えようと、フェリスベルトの心には前の妻がいるのかもしれない。婚約が決まった頃にうつむいて考え込んでいたフェリスベルトの姿をリュティシアは忘れていなかった。
――だから、いい。エドゥアルドの両親として並んでいられたらそれで。
リュティシアはまた波に耳を澄ませる。
でも自分の心からは、なんとなく目をそらしていた。
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翌日、リュティシアは町を散策するための軽快なよそおいだった。
ふんわりした若草色のワンピースに、初夏なので上着はなし。白いつば広帽子は風に飛ばされないようあごの下でリボンを結ぶ形だった。
蜂蜜色の髪はサラリとおろしているが、一部だけゆるく編まれてリボンが結ばれている。
「少女じみていますけど、フェリスベルトさまからみればリュティさまなんて小娘に毛のはえたようなものですもんね」
ひどい論評をしたユーニスの狙いとしては「若さの中にほのかに香る、はかなさ。そして女性らしさ」をアピールするのだそう。何を言っているのかリュティシアにはわからなかった。でも軽やかさそのものは気に入っているからいいか。
「――リュティシアが目をとめた貝殻細工とは、どこの店にあったのかな。連れて行ってほしい」
宿を出るなりフェリスベルトは問いかけた。きょとんとするリュティシアにかまわず、左ひじを差し出す。エスコートの姿勢だ。
それを見たユーニスとカティアがスススと進み出てエドゥアルドを挟み込む。こちらは任せて二人の時間を作ってください、という無言の圧にヴァルターやトルカートが沈黙した。女性陣には敵わない。
「お店……ですの?」
「買おうか迷うような物があったんじゃないのかい? まだリュティシアに贈り物のひとつもしていないんだよ私は。少しくらい甲斐性のあるところを見せたいんだ」
「まあ」
リュティシアは笑い出す。そんなことを気にするだなんておかしな話だ。
だってこの旅行にしても、旅支度は何も言わずとも上質な品がそろえられていた。船で使ったのは貴賓室。宿も上階のフロアを貸し切っていて、景色は極上。食事も申し分なかった。今のアルヴェインにある最高の物を提供されているのだろうとリュティシアは感じている。
「こんなに何もかも良くしていただいているのに?」
「でもそれは――王弟殿下の婚約者に対してのものだからね。私はリュティシアのための物を選びたい」
リュティシアその人の喜ぶことを。その真摯な訴えにリュティシアはうなずく。そっとフェリスベルトの腕に手を添えた。
「じゃあ……とんでもない我がままを言ってもよろしくて?」
「いや待て。何を要求されるんだ?」
「ふふ、こっち! ついてきてくださいな」
歩き出した両親の後を追いながらエドゥアルドは首をかしげる。両手をつなぐカティアとユーニスを見上げても、ニヤニヤするばかりで何も教えてくれなかった。




