# 第九話 ## 「娘からの電話」
# 第九話
## 「娘からの電話」
運動会の夜。
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誠一は湿布だらけだった。
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右膝。
左膝。
腰。
肩。
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「痛い……」
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立つだけで痛い。
座るだけで痛い。
呼吸しても痛い気がする。
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「七十二歳でリレーなんかするもんじゃないな」
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そう言いながらも、
顔は少し笑っていた。
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楽しかった。
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本当に楽しかったのだ。
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その時だった。
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プルルルル……
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電話が鳴る。
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珍しい。
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最近は営業電話しかかかってこない。
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誠一は受話器を取った。
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「はい」
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少しの沈黙。
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そして。
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「……お父さん?」
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誠一の動きが止まる。
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聞き覚えのある声。
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何年も聞いていない声。
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「彩花か?」
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娘だった。
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中村彩花。
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一人娘。
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最後に会ったのは、
たしか三年前。
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最後にゆっくり話したのは、
もっと前かもしれない。
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「久しぶり」
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彩花が言う。
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「久しぶりだな」
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誠一も答える。
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でも。
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何を話せばいいのか分からない。
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親子なのに。
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なぜか他人より遠かった。
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沈黙が続く。
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昔からそうだった。
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彩花は話したかった。
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誠一は仕事が忙しかった。
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彩花は待っていた。
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誠一は帰れなかった。
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気づけば、
話し方まで分からなくなっていた。
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「元気だった?」
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彩花が聞く。
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「まあな」
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「そう」
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また沈黙。
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すると。
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彩花が突然言った。
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「お父さん、小学生になったんだって?」
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誠一は吹き出した。
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「誰から聞いた」
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「おばさん」
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姉である。
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情報が早い。
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「恥ずかしい話だ」
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「ふふっ」
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電話の向こうで笑い声が聞こえた。
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誠一は少し驚く。
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娘の笑い声を聞いたのは、
いつぶりだろう。
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「運動会も出たんでしょ?」
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「出た」
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「本当に?」
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「本当だ」
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「想像できない」
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「俺もだ」
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二人とも笑った。
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不思議だった。
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ぎこちなかった空気が、
少しずつ柔らかくなっていく。
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そして。
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彩花がぽつりと言った。
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「お父さん」
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「ん?」
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「楽しそうだね」
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誠一は答えに困った。
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楽しい。
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確かに楽しい。
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でも。
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それを認めるのが少し照れくさい。
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「まあな」
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小さく答える。
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すると。
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彩花が言った。
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「よかった」
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その一言に、
誠一の胸が少し痛んだ。
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よかった。
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その言葉の裏に、
どれだけの心配があったのだろう。
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自分は一人だった。
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でも。
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娘だって、
父親を心配していたのかもしれない。
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ずっと。
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言葉にしなかっただけで。
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その時だった。
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電話の向こうから、
元気な声が聞こえる。
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「ママー!」
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誠一は目を丸くした。
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「孫か?」
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「うん」
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「何歳だ?」
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「八歳」
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誠一は黙る。
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八歳。
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もうそんなに大きいのか。
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写真では見ていた。
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でも。
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実際にはほとんど会っていない。
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気づけば、
成長を見逃していた。
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まただ。
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娘の時と同じだ。
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仕事を理由にして、
大切な時間を失ってしまった。
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誠一は小さく息を吐いた。
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「彩花」
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「なに?」
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「今度会わないか」
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言った瞬間、
自分でも驚いた。
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昔の誠一なら言えなかった。
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照れくさくて。
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気まずくて。
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逃げていた。
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でも今は違う。
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老後学校で学んだ。
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伝えなければ、
相手には届かないことを。
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彩花は少し黙った。
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そして。
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優しく笑った。
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「うん」
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「会いに行くよ」
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誠一は目を閉じた。
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なんだろう。
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嬉しかった。
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ただ。
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嬉しかった。
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電話を切った後。
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誠一は仏壇の前に座った。
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妻の写真を見る。
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「聞いたか」
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少し笑う。
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「今度、彩花が来る」
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静かな部屋。
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だけど今日は、
少しだけ温かかった。
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失ったと思っていた時間。
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もう戻らないと思っていた関係。
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それでも。
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今からやり直せることがある。
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七十二歳。
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一年生の誠一は、
家族との宿題にも向き合い始めていた――。
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### 次回
# 第十話
## 「はじめまして、おじいちゃん」
ついに会う孫。
しかし誠一は緊張で大パニック!
「何を話せばいいんだ……」
そんな誠一に、
孫が放った一言とは――。
笑いと涙の家族編、第二幕。




