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Raccoon はじまりは乙女ゲームで  作者: 加藤爽子
四章 マリー、学園生活の始まり
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甘い香りに誘われて

 本格的に授業が始まって、わたしは出来る限り参加することにしていた。

 他の人より学園に来るのが遅かったので確実に試験に合格する為でもあったけれど、少しでも多くの人と仲良くする切っ掛けが必要だと思ったから。

 カロリーナ、シュティーナ、カーリンと縁があったので完全に孤立する事は無かったけれど、彼女達に紹介されてもその場限りで顔見知り以上の関係を結ぶのは難しい。

 わたし一人だと特に無視される訳では無いとしても、話し掛けると驚いたような様子を見せて会話もどこかぎこちなくなってしまった。

 茉莉衣(まりい)も友達が多いタイプでは無かったし、ましてや貴族社会なんてあまり知らないから、どんな振る舞いをすればいいのか分からない。

 いつも難しい顔をしているカロリーナも、男装しているシュティーナも、自分からはあまり話さず控え目に笑っているカーリンも、社交に関しては受け身だけれどその家柄と人柄で輪の中心になれる人達なので参考にはならない。

 わたしの周りで人の輪に入るのが上手いのはエルンストだけど……。

 彼は誰とでも親しく挨拶していて、相手から話を引き出すのが本当に上手だ。


「この前、手荒れに悩んでいただろう?」


 そうして、ハンドクリームの試供品をあげていたりする。

 貰った人も前に話したことを覚えていてくれて、試供品を用意して持ち歩いてくれていた事に感動している。

 エルンストは、とにかく記憶力がよくて、マメなのだ。

 侯爵令息という高位貴族なのに、細やかな気配りをしてくれるのだから、人気者なのもよく分かる。

 ちなみに試供品に二度目は無い。気に入ったら、ルーパス商会で購入してねっていう流れになるので、俯瞰して見ているとただの遣り手営業マンにしか見えなかった。

 わたしには到底マネ出来るものではない。

 結局、全ては歌姫に選ばれてからの話になるのかもしれないけれど、その後でも今の行いが消える訳では無いので精一杯愛想を振りまく事にしている。


 授業の後は、カロリーナから讃美歌を習う為にエリック先生に頼んで音楽室を借りたり、カロリーナが学校へ来ていない日は聖堂へ赴いたりして過ごしていた。

 どうやらわたしが歌の世界に没入すると妖精達が集まってきてしまうらしい。

 だから、練習中はいつもイヴィにお願いしてわたしの声が部屋から漏れないようにして貰っていた。

 お陰で、授業の無い時はイヴィとラヴィにお留守番をしてもらうという当初の予定とは違って、毎日学園へ付いてきてもらっている。

 授業中は姿を隠している二人も、放課後は学園内に人も少なくなるので魔法を解いている。

 そもそも防音の魔法を使ってもらわなければならないので、姿隠しまで魔力を回せないのかもしれない。

 もっとも音楽室にしろ聖堂にしろほとんどカロリーナが一緒にいて、毎回お菓子とミルクを用意して来てくれるのでラヴィとイヴィには姿を隠す気なんてサラサラない。

 ただ今日は、カロリーナが急用で来られず、わたしは一人での練習は身が入らず、三階にある音楽室の窓を開けて空をボーッと眺めながら鼻歌のように讃美歌の旋律を口ずさんでいた。

 窓を開けて心地良い風に触れながら、外に聞こえなくしてしまうのだから、イヴィの魔法は本当に凄い。

 窓枠に身体を預けながらぼんやりと歌っていると、ふいにスパイス混じりの甘い匂いが漂ってきた。

 丁度真下にあたる一階には学生ホールに隣接している調理室があるのだけれど、どうやらそこが発生源らしい。


「お菓子だ!」


 食いしん坊のラヴィが香りに誘われてその蝶々のような羽根を広げた。


「ラヴィ待って!」


 わたしの制止なんてもちろん聞いてくれる筈もなく、彼女は桃色の髪を靡かせて窓を飛び出し三階から一階まで最短距離をまっしぐらに飛んでいく。

 イヴィは仕方ないと言わんばかりに肩をすくめてラヴィの後を追っていった。

 わたしも慌てて後を追おうとしたけれど、羽根の生えていないわたしは窓から飛び出すなんて出来る筈もなく……クルリと身を翻すと階段を駆け下りた。


(誰にも見られていませんように)


 心の中でそう祈りながら出来るだけ大きな音を立てないように静かに走る。

 貴族は不測の事態でも取り乱してはいけない。淑女ともなればドレス姿で走るのもご法度だ。

 こんなはしたない姿を誰かに見られたらきっといろんな人に怒られてしまうだろう。

 心の中で誰に言うでもなく『ごめんなさい』と唱えながらも足を緩めることはなかった。

 調理室が近付くにつれ、一段と香ばしい匂いを感じる。普段、カロリーナのおやつを頂いているからなのか、わたしもその美味しそうな匂いにお腹が小さく鳴った。

 恥ずかしさにお腹を押さえながらも、調理室のドアをノックしようと持ち上げた手が止まる。


「本当に行くのか?」

「もちろん!やっと夢が叶うのよ」

「ライラ……」


 中からそんな会話が漏れ聞こえた。声質だけの判断になるがどうやら男女の二人がいるようだ。

 深刻そうな雰囲気にわたしは右手を持ち上げたまましばらく動かせなかった。

 男性の声には聞き覚えがある。


(多分だけど、アルトゥールだよね?)


 アルトゥール・ラベリ男爵令息、第三王子のルートヴィヒの乳兄弟にして護衛騎士。

 滅多に話さない事で有名な彼だが、実はおしゃべり好きで愛嬌のある性格をしている。

 ゲームでいっぱい声を聞いていたから、声優にあまり詳しくないわたしでも聞き間違いでは無いと思う。

 それにこの会話はイベントで聞いた事があった。

 場所は妖精樹の森の側で、女子の名前もゲーム内では出てこなかったけど、この会話はゲームのイベントと同じだった。


(世界中のお菓子を知りたいって、大陸へ留学するんだよね。たしか、この後は…………)


 アルトゥールは登場するキャラの中でも長身で護衛なだけあって引き締まった筋肉で覆われている。その上、アイスブルーのストレートの髪と新緑色の宝石のような瞳にいつも変わらない無表情が彼をとてもクールに見せていた。

 だけど実際には、砕けた口調で末っ子気質なワンコ系だから、護衛任務に支障が出ると家の外でのおしゃべりや好物の甘い物は家族に強く禁止されて、その澄ました表情を変えないように頑張っているのだ。

 茉莉衣(わたし)はそれはそれで可愛くて良いと思うけど、華凛梛(かりな)は可愛さは求めていなかったから騙されたと憤慨していた。

 そんなアルトゥールの本性を知ってもお菓子をくれていた稀有な存在が大陸へのお菓子作り修行でいなくなるので、たまたまこの会話のシーンでアルトゥールの秘密を知ったヒロインが代わりにお菓子を作って慰めてあげるっていうのが、アルトゥールルートのメインストーリーになる。


「誰だ!?」


 突然目の前のドアが開けられて、その鋭さにわたしはビクッと震えてしまい、なんとか言い訳をしようとしたけれど声は出せなかった。


「あんたは、マ、リー……?」


 アルトゥールとは入学試験の時の案内人のうちの一人だったので初対面では無い。

 なんとか捻り出すように名前を呼ばれた。


「マリー・セルベル様?何か御用ですか?」

「ああ、そうだ!セルベルだ」


 ライラと呼ばれていた女子がわたしの事を知っていたらしくフルネームで呼ぶのを聞いて、アルトゥールはポンと右手の拳で左手の掌を打ち付けている。どうやらわたしの名前を正しく思い出せていなかったようだ。

 そんな仕草をすると普段何でも知っている風に取り澄ましている分、余計に幼く見えてしまっていた。


「コホン」


 ライラの咳払いにわたしとアルトゥールの視線は彼女へと移る。

 身長はわたしと同じくらいでクリーム色の髪をツインテールにしている。

 左手は拳にして口元にあてられているが、その甲には葉紋が見えた。




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