カネルブッレと切っ掛け
ライラのヘーゼルの瞳はアルトゥールを咎めるように睨めつけているが、アルトゥールはバレたものは仕方ないだろうと言いたげに笑って誤魔化した。
普段のアルトゥールは、第三王子の後方で気を巡らせながらもの静かに控えている印象が強い。
長い睫毛に縁取られた一重の切れ長の目と薄い唇、それに日焼けしにくい質のようで白い肌……まさに長身白皙……遠くない将来に堅氷の騎士と呼ばれるようになる筈なのだが、その彼が目尻を下げてヘラヘラと笑っている姿に、華凛梛のがっかりした声が蘇る。
「それで何か御用かしら?」
「え〜と、美味しそうな匂いに釣られて……」
「そうだろう!ライラのお菓子は最高なんだ」
匂いに釣られて飛んで行っちゃった契約妖精を追いかけてきました、って続ける前にアルトゥールがふにゃんと嬉しそうに笑っている。
くしゃくしゃと目尻に皺を寄せている姿は、折角の美形が勿体ないとは思うけど、感情を押し殺しているよりはずっと好感が持てた。
「ちょっとアルトゥール、しゃべっちゃダメだってば!」
アルトゥールは、ライラに大きな声で注意されてその大きな身体をビクッと揺らすが、再び二ヘラと表情を崩して誤魔化し笑いをしていた。
小柄なライラが大柄なアルトゥールを叱っている様子が可笑しくて気が付けばクスクスと声が漏れてしまう。
「もう手遅れだって」
わたしの笑い声を聞いて完全に開き直っているアルトゥールにライラは諦めた様子で大袈裟にため息をついた。
隠す気無いでしょ、とボヤきながらライラも今更取り繕っても仕方ないと思ったようだ。
仕切り直すようにパンと両手を合わせると、オーブンの方へと向かった。
「とりあえず食べよっか。よかったらマリー様もどうぞ」
さっさと切り替えたライラの言葉にアルトゥールの顔が輝いた。ピンと立った耳とブンブンと振り回されている尻尾の幻影が見えそうだった。
美味しそうな匂いに吊られたのは、わたしというかラヴィなんだけど、それを言い出す前に調理室へと招きいれられていた。
香ばしい匂いを漂わせているオーブンの真ん前には、当然のように待機しているラヴィとその隣で呆れているイヴィを目の当たりにして、わたし達の間にひと時の沈黙が訪れた。
(…………当然、いるよね)
いち早く我に返ったわたしは、慌ててイヴィとラヴィをライラに紹介する。
「すみません。私の契約妖精達はお菓子に目が無くて……」
尻すぼみに謝罪するわたしと、ラヴィ、イヴィ……それから、アルトゥールへと視線を行き来させたライラが声を上げて笑い出した。
彼女の笑い声はとても朗らかで、それだけで許された気持ちになる。
「妖精さんに試食して貰えるなんて光栄だわ」
「わーい」
言葉でもちゃんと許しをもらって、ラヴィは無邪気に喜びの声を上げた。
ライラが作っていたのは、シナモンロールだった。
茉莉衣が日本で見た事のあるシナモンロールはくるりと渦巻きになっているものだったけど、彼女が作ったカネルブッレは三つ編みのように編んでから丸くしたものだった。シナモンを含んだ濃い色とパン生地本来の白い色との二層が複雑に編み込まれている。
ラヴィとイヴィには一個が大きすぎるので、ライラが二人の分をわざわざ小さく切り分けて盛り付けてくれる。
桃色の頭がちゃんと一個分お皿に乗せられるか監視するように揺れている。
「改めまして、わたしはライラ・エリクソンよ。アルの義理の姪になるわ」
カネルブッレを食べているわたし達へ、ライラが自己紹介をしてくれた。
なんでも、ライラの父親とアルトゥールの姉が三ヶ月程前に結婚したらしい。
貴族の結婚といえば大々的にされそうなものだけど、ライラの父親は二度目だったから本当に身内だけでささやかに式を挙げたようだ。
頭の中に詰め込まれていた貴族情報によると、エリクソン家は伯爵家になる。
エリクソン伯爵といえば、この王国の騎士団長だ。位ある貴族が名誉職で就くこともある役職でもあるけれど、当代の騎士団長は時には将軍と呼ばれる程、勇猛果敢な人だと家庭教師から聞いた記憶がある。
将来、王族の護衛騎士になるアルトゥールはエリクソン伯爵の直属にはならないだろうけど、騎士という共通点で親戚として良好な関係が築けているようだ。
アルトゥールのラベリ家は男爵家ではあるけれど、母親は第三王子の乳母で、姉は騎士団長の嫁、しかも将来はルートヴィヒの護衛騎士になる事が決まっている。
それに加えて見目麗しい容姿なのだから、下級、中級貴族の中では一番の婿候補と目されているに違いない。
ただ、カネルブッレを食べている姿は完全に腑抜けている。
(ライラに餌付けされているよね……)
口には出せない不敬なことを思い浮かべながら、そういえば令嬢が料理をしても怒られないのかと気になった。
「伯爵家の」
思わず声に出してしまって慌てて口を閉ざす。
だけど、それはしっかり本人の耳に届いてしまったようで、「なに?」と続く言葉を持たれてしまった。
「令嬢が料理するなんて……って言われません?」
観念したわたしはモゴモゴと詰まりながらも、言葉を続けた。
セルベル家でさえ、わたしが台所に立ち入っただけで家庭教師に顰めっ面でお説教されたのだから、伯爵家のご令嬢が自ら調理場に立つというのは難しいだろう。
「うちもあまりいい顔されないから、ずっと学園で作らせて貰っていたわ。でも卒業しちゃって調理室の利用が申請出来なくなっちゃったから、今日は最後の思い出にアルトゥールに頼んで申請してもらったのよ」
「料理を始めた切っ掛けは何だったんですか?」
彼女の作ったカネルブッレは、その美味しそうな匂いに違わずとても美味しかった。
焼き立てということもあるかもしれないけど、茉莉衣の記憶の中のシナモンロールよりもずっと食感がいい。
つまり、お店に出しても見劣りしない出来栄えのものを作れるほど、ライラの料理の腕は確かだった。
「母が……あっ、アルトゥールのお姉さんじゃなくて、わたしの本当のお母様ね。この学園に入る直前にエナージア・テュヘネマ症候群で亡くなったの」
ライラのお母さんは、魔力がどんどん失われていく……俗にテュヘネマ症と呼ばれている病気で、原因は未だに解明されていない不治の病を患ってしまったそうだ。
神殿で寄進と祈りを捧げ魔力を分けてもらうことは出来るけれど、根本的な解決にはならない。
わたしの母は、お医者さんにかかった訳ではないので正確には分からないけれど、聞いていると似たような症状なので、この病だったのかもしれない。
エリクソン家の財力があれば、ずっと魔力をもらい続けて生きることも出来たかもしれない。
けれど、安定しない魔力は徐々に身体を蝕み、熱が続き手足の痺れや意識の混濁などが頻繁に起きるようになり、やがてベッドから出ることも叶わなくなった時、ライラの父と母は話し合ってこの運命を受け入れることにしたそうだ。
神殿よりも治療院で解熱や鎮痛などの薬を処方してもらって、それから二年間程ベッドから動かない生活をしていた。
食も細くなった母に何か食べてもらいたくてプリンを作ったのが、ライラの初めての料理だったらしい。
他の人が作ってもあまり受け付けず、ライラの作ったものを食べる時だけは、身体の不調もマシになるようで嬉しそうに食べていた。
そんな母親の為に、ライラはどんどん料理を覚えて母の笑顔を引き出したのだ。
特にお菓子が食べやすいようで幼いライラは必死にお菓子作りを覚えたそうだ。




