明鏡も裏を照らさず-4
私の背中に悪寒が走る。
レイラーニさんが口にした可能性に私の身体がこわばってしまうのがわかった。
「っっ!!」
頭から冷水を被せられたような感覚。
考えたくはないけど考えられてしまう恐ろしい想像。
悪意を持った誰かによる私への攻撃。
その手段として目を付けられ、栞が盗まれてしまったというケース。
「……っ……それは……ありえます……」
言われてみればその恐ろしい可能性は大いにあり得たのだった。
私はエクサスさん絡みでは何かと目の敵にされています。
私の家が大きな商会なために表立って行動をする女生徒は多くはありませんが、決して良く思われている訳では無いという事は理解しています。
それで一悶着あったことも記憶に残っていますし。
もしも表には出してはいなくとも私のことを嫌っている人間が私の栞を手にしたら……
「くっ……それは……しかし、そうなってしまっては……」
嫌な想像が頭を過ります。
私がエクサスさんからの贈り物の栞を愛用しているという事が気に入らない。
そんな風に考えた人がもしもいたとしたら、あの栞は格好のターゲット……
私にダメージを与えつつ、エクサスさんの贈り物を蔑ろにする女という印象を彼に与えることにもなる一石二鳥の作戦。
そう思えて仕方なくなってきてしまいました。
青褪めていく私の表情を見ながら心配そうな色が濃くなるレイラーニさん。
自分が放った言葉で私の表情が沈み込むのを心配してくれているのがわかります。
しかし、その可能性も考慮しなければいけません。
だけど、私の頭はいつのように働いてくれる事はなく鈍く暗い想像をすることしかできませんでした。
回らない頭を何とか使わなければいけません。
「ん~どうかなぁ?その可能性もあんまり高くなさそうに私は思うけどなぁ」
私の思考が凍りついている中で疑問の声を上げたのはグレースさんだ。
彼女は相変わらず顎先に人差し指を当てながら軽い感じでレイラーニさんが提示した恐ろしい予想に否定の意見を上げる。
「っ!そ、そうでしょうか?私は……私は自分で言いたくはありませんけどエクサスさんを慕っている女性からは嫌われています……ありそうな話かなとか思ってしまいましたけど……」
それを私は縋るような視線で見つめてしまう。
口ではそう言いながらも彼女に反論をして欲しいと心の奥で願いながら。
何の根拠もなく希望に縋るのは良くない事で私らしくない事。
だから、グレースさんが提示する根拠を聞かせて欲しい。
「そもそもあの栞がエクサス先輩からの贈り物だって知ってるのってあんまり居なくないですか?」
「……それは……」
「レイちゃんもさっきまで知らなかったじゃん」
「そうですね。いつも使っているのは知っていましたけどエクサス先輩からのプレゼントっていうのは知りませんでした」
「リフィル先輩は“これはエクサスさんからの贈り物なんですぅ~”なんて見せびらかしたりもしないし、それこそ知ってるのなんて古株の図書室常連組くらいじゃないかなって」
確かに私はあの栞がどういう物かをこれ見よがしに喧伝した事なんてない。
手元になくなった今でこそかつて無いほどに自分が焦っている事はわかっているが、それまではそんな事はなかった。
あの栞は私の日常の一部であり、だからこそ意識をしすぎることもなかった。
愛用の品ではあるが特別な品だという意識はなかったはず。
そんなものを盗もうとする人間がいるでしょうか?
「確かにグレースさんの言う通りでしょうか……」
「それにあの栞って上品ですけど別に派手さとか無いですし、言っても栞だからお店に売るとかそういう目的にもならないだろうし」
「盗難のターゲットになるのは考えづらいという事ですね」
「リフィル先輩なら栞の一つや二つ買えちゃいますから。そんな物を盗んでも嫌がらせとしてあんまり効果無いって思うんじゃないかなぁなんて。勿論、可能性はゼロじゃないですけど」
私に対する嫌がらせとして愛用の品を盗む。
その条件を満たすにはまず私を傷つける事ができるものを盗む必要があります。
“エクサスさんから初めて送られた愛用の栞”
これだけを考えれば盗まれる要素を完全に満たしているように思えます。
ですが、ほとんど人はあの栞が替えが効かない物だと知らないはずなのです。
そうなるとあの栞の重要度は下がる。
グレースさんが言うのはそういう事です。
「も~!しっかりしてくださいよリフィル先輩!こんな事、いつも先輩だったら私が言うまでもなくわかってたはずですよ!」
「すみません……自分でも驚いているのですが私はあの栞が無くなった事が思いの外動揺しているようでして……」
確かに大切な品ではありましたがここまで心が掻き乱されるとは思っていませんでした。
(はぁ……だめですね……どうにもいつものように考えることができません)
グレースさんが言うように常ならば小賢しく回る頭が全く働きません。
それだけが私の長所と言っても良いはずだというのにです。
全く情けない限り。
しかし、だからこそ彼女達の存在が私の救いです。
「グレースさん、レイラーニさんが来てくれて良かった。私だけではどうにかなってしまいそうです」
真剣に私の問題に一緒に頭を悩ませてくれる彼女達の顔を見上げる。
いつもは私が頼られる事が多い。
だけど、今は違う。
私一人では問題を解決できそうにない。
もしも、私に頼れる人間が居なかったらここでおしまいだったでしょう。
「ありがとうございます。真剣に考えてくれて……とても、嬉しいです」
だけど、そうじゃなかった。
私には頼りになる友人が居た。
その事実が私の目を潤ませる。
「か、可愛い……っ!これが魔女の本当の魔力だというのっ!」
「くっ……保護欲が……落ち着きなさい私っ……」
さっきまでの真剣な表情だったというのに急に挙動不審になった友人二人を不思議そうに見ながら、私は友情の大切さを噛み締めていたのでした。
◇
「もう一度、最初から考えてみませんか?何か見落としている事があるかもしれませんし……」
咳払いをして仕切り直したレイラーニさんが場を促した。
その言葉に私は頷く。
情報の整理は基本。
私一人だけではなく三人で考えるとなったのであれば経緯を説明しながらもう一度考え直すのは悪くないはずです。
「私の記憶では二日前までは私の手元にありました。これは間違いありません。理由もあります」
栞に無くした事に気づいた後に私が何を考えたかという事を二人に話す。
「『現代における領地経営と騎士の責務』という本を私は二日前に読み終わりました。かなり厚い本で読み終えるまでに何度も栞を挟んでいます」
「あぁ……あの人を殴り殺せそうな本ですね。確かにリフィル先輩が読んでたの覚えてます」
グレースさんの物騒な表現を否定できないような厚さの本です。
あれを読み終わるまでに結構な時間を費やしており、その度に私は栞を使っています。
「あれはこの学園の蔵書ではなくて私が持参していた本です。読み終えたのは二日前の夜でして、昨夜に確認しましたけど当然ですが栞は挟まっていませんでした」
私が一番最初に疑ったのはあの本でした。
そこに栞があればそれで解決していたわけですが、解決しなかったということはそういうこと。
そうなれば、私は『現代における領地経営と騎士の責務』の次になにかの本へと栞を使ったはずなのです。
「そして今読んでいる『トルメニの百合』これに栞を挟もうとした時に無いことに気が付きました。つまり、『現代における領地経営と騎士の責務』と『トルメニの百合』。この間に読んだ本に栞を挟んだままにしてしまった。そう考えたわけです」
「なるほど。それがこの詩集達だったわけですね」
私達三人は唸りながら目の前に広げられた詩集達を睨みつける。
この本達に罪は何一つないというのに恨みがましい視線になってしまうのは仕方がないでしょう。
「詩集以外には本を読んではいないのですか?」
「はい。ですからここで見つかってくれると思ったんですけど……」
「残念ながら見つからなかったと……」
「他には何か思い当たる節はやっぱり無いんですか?いつもと違ってた事とか」
グレースさんの言葉に私は頭をよぎったのは、やはりエクサスさんとの勉強会だ。
「私もそれは考えました。確かに先日はエクサスさんと勉強会をしたのでそこで何かがあったのではないかと」
「そんな面白そうな事してたんですか……くぅ!新作スイーツ食べ歩きなんてするべきじゃなかった!」
「勉強会かぁ……イルドももうちょっと積極的に座学に望んでくれないかしら」
私はここ先日に行われたエクサスさんとの勉強会についての事柄を話した。
私の言葉にへぇ~と声を上げるグレースさんとレイラーニさん。
エクサスさんの古代史強化合宿はまさしくこの図書室で行われていた訳ですが彼女達はここには来なかったので知らなかったのです。
「エクサスさんのご友人のコータさんから頼まれまして。人に教えるのは自分の復習になりますし引き受けたわけです。その合間に読んでいたのがこの詩集というわけです」
私は一応は成績優秀な部類に入るという自負はあります。
それでも人に教える立場になるという事はそんなに多くなく、余裕を持って行えるかというとそうではありません。
まぁ意気込んで構えはしてもエクサスさんから投げかけられる質問は本当に基礎も基礎の部分ばかりだったので肩透かしだったのはご愛嬌です。
「でも、やっぱりその勉強会が怪しくないですか?いつもと違う行動という所からしても何かしらの不慮の事態があってもおかしくないと思いますけど」
「私もそう考えたんですが……教科書などに挟まっていないかも当然確認したんですけど……」
栞が無くなった事に気づいた時に私もその点については疑った。
いつもと違う行動を取る場合は何かしら不測の事態が起こりがちだからです。
そう思ってあの日に使った古代史の教科書類は勿論、それ以外のテキストに関しても確認は行いました。
しかし、やはりそこでも私は無くなった栞を見つけることはできなかったのです。
「うーん、本当にわかりません……」
「こうなるとやはり悪意を持った第三者がいるとしか……」
「うっ……それだけは考えたくありません……取り戻す事が不可能になってしまいます……」
考えたくない事だけど、もしも私に対して誰かが嫌がらせで栞を盗んだとしたならば捨てられていてもおかしくないからだ。
もしも貴金属などであれば売りに出される可能性が高く、そこを抑えることさえできれば希望はある。
だけど、あの栞は私にとってはとてもとても大切な品ではあるが他人にとってはそうではない。
金銭的な価値があるかと言われればそうではない。
そうなれば犯罪の証拠を持ち続けるよりも手元から無くすために処分をされてしまう可能性が高い。
「ぅ…………あの栞は……エクサスさんが私にくれた初めての……っ」
目頭が熱くなっていく。
熱いものが込み上げてくるのがわかるが私はそれを止めることができない。
思い当たる場所は探した。
もうどこに行ってしまったのか見当が付かない。
その事実を認識した私の目に熱いものが溜まっていくのがわかる。
人前で泣くなんていう事は淑女としてはしたない事だと理解しています。
それでも思っていた以上に私はあの栞が手元に戻ってこないかもしれないという事実に打ちのめされていました。




