明鏡も裏を照らさず-2
夜通し考えても答えがでるわけもなく、気づいたら私は眠りについていました。
目が覚めても登校しながらも私は思い当たる場所を考え続けていました。
考えてもしかたが無いことだとしても私は栞の在り処を探すという魔物に私の思考は囚われ続けました。
当然、魔物は授業中でも私の思考を支配し続けています。
「リフィルさん?体調が優れないのですか?」
授業をしている教諭が私に静かに問いかける。
その顔からは私の事を心底から心配してくれている事がわかってしまう。
教諭の心遣いに私は少しだけ心苦しくなってしまいます。
というのも私の気分が優れなく見えるのは間違いなく、昨夜に発覚した愛用の栞を紛失した事によるものだからです。
「い、いえ。問題ありません。授業を続けて下さい」
まともに授業を受けることなどできるはずもない精神状態ではありますが日々のルーチンがそれを取り繕ってくれました。
しかし、そんな私の姿は見る人が見れば平常とは言えないものだったのでしょう。
「そう?無理する必要はないのですからね。体調が悪かったりした時は素直に言いなさいね」
「はい……ありがとうございます」
私は力なく教諭に答える。
自分で言うのも何ですが私は優等生と言って良いはずです。
特に不祥事や問題を起こしたことはありませんし、実技はともかく座学は優秀だという自負はあります。
授業も真面目に受けていますから、心ここにあらずと全身からわかる今の私の姿はそれはそれは珍しい物だったはずです。
私はそれが良くない事だというのはわかってはいましたが、抑えることができませんでした。
どうしても考える事は他にあると頭の奥で声がするのです。
真面目に授業を受けるよりも行方知れずの栞の事を少しでも考えるべきだと。
(とりあえず、一番可能性が高いのは図書室です。とにかく放課後になって図書室が解放されるまでは身動きが取れませんね)
この学園の図書室が開放されるのは基本的に放課後になります。
授業などで使う場合はありますが、通常は扉が施錠されており立ち入ることはできません。
書物が以前よりは多くの人が手にできるようになってきているとは言え、学園の蔵書は貴重です。
希少価値が高い物に関しては別室で管理されていて、生徒が手に取れる物は一般的な書物ばかりだとは言えます。
それでも盗難などをされる可能性はありますし、それだけの価値はあります。
そのため、生徒であれば自由に出入りができる図書室とは言え利用時間は限られているわけです。
普段は図書室の魔女などと呼ばれ、あの場所の主のように思われている私ですがそれはあくまで生徒としての話。
管理をしている教諭が居ない状態で入ることは流石にできません。
(今は時間が過ぎるのを待ちつつ、心当たりを考えるしかできる事ができません)
私は本来であれば聞かなければならないであろう教諭の講義を右から左へと聞き流して昨日の己の行動を思い返していた。
脳裏に浮かべるのは私が思い出せる栞の最後の姿。
(記憶の中で間違いなく言えるのは二日前はあったはずという事です。あの時に読んでいた『現代における領地経営と騎士の責務』は読み終わるのに数日がかかりました。その間、私は中断するたびに栞をあの本に挟んでいたはずです)
私は直近で読み終えたとある著名人が書いた本を思い出す。
かなりの大ボリュームで王国での貴族の成り立ちと責務、そして現代に近づくにつれて薄くなりつつある守る者としての貴族の役割、それとは逆に重要度が増していく領地経営についての考えを書き記したもの。
内容としては頷ける部分も、否定したいと思える部分もあり大変興味深いものでした。
貴族でも無い私は領地経営という物は遠い話ではありますが、利益を上げるという事柄については商家の娘として学べることも考えることもあったと言えます。
その本を読み終えたのは二日前であり、それまでは確実に栞を毎日使っていたはずなのです。
では、その後はどうだったか?
(『トルメニの百合』は昨日から読み始めたわけですから、その前に私の手から離れるタイミングがあったはず……)
そもそもの話、栞が無くなるというのはどういう場合が考えられるでしょうか?
栞は本に挟んで使う物です。
それ以外の用途など無いでしょう。
少なくとも私は他のことに使ったことはありません。
そこから考えられるのはなにかの本に挟んだままであるということ。
(冷静に……冷静にもう一度自分の行動を思い返すのよ。リフィル。あなたはそういう事は得意のはずよ)
私はここ数日の記憶を掘り起こす。
何の変哲のない日常であれば私が栞を無くすとは考えにくい。
まさしく愛用している一品。
肌身はなさずといっても過言ではないくらい使っているのですから、何もなければ無くしはしない……と思いたい。
では、日常と違う事が何かあったかというと、思い当たる節が一つあります。
それは唐突に始まったエクサスさんの勉強会です。
(やはり……やはりあの時でしょうか……)
私は昨日、いつもとは少し違う珍しい問題を抱える事となっていました。
それはエクサスさんが基礎教養の王国史の成績が崖っぷちなので教えて上げて欲しいとコータさんから頼まれた事です。
エクサスさんは基本的に直感で生きているため座学は得意としていない。
それを自覚もしていて、直そうともしていましたが中々上手くは行っていないようでした。
いつもならば、苦手科目などのフォローはコータさんが行っているのでしょう。
しかし、彼は何か用事があるようで勉強を見てやることができないとの事。
そのまま何もケアをしないでいるとエクサスさん悲惨な事になってしまいかねないのだそうです。
勿論、圧倒的に壊滅的かというとそういう訳ではなく大体は平均くらいの成績ではあります。
しかし、彼は名門中の名門の家の人間ですから文武両道が求められています。
武が圧倒的であるとしても文を疎かにしすぎるのは良くないという事です。
諸々全てが得意ではないという中でも特に苦手な科目というのはあり、危険域に達しそうなのが王国史のとりわけ古代史でした。
彼曰く、近代史については頭に入るけど古代史になると覚えられないのだそうです。
そういう訳で私は昨日は彼へと古代史のポイントなどを教えてあげていました。
そんな状況で内容が重たい書物を読むということは難しいため、私は図書室の書棚から詩集を持ってきては流し読みしながら彼の勉強を見守ったりしていたわけです。
軽く手に取れる上、どこから読んでも基本的に問題がない詩集に栞を挟むような事はなく、家に持ち帰る事もしていない訳です。
そうなれば栞をそこに挟んだとは考えづらい。
普通に考えればそのはず。
(だから詩集に栞を挟んだりはしていない……はず……はずです……)
しかし、果たしてそれは間違いが無いのだろうか?
もしも、私の行動が全て論理的であり意識的に行ったことだったとすればこのような自体に陥っていないはずです。
現に今、私の手元にあの大切な栞が無いという事実がある。
そうなれば私は私自身を疑わなければいけない。
冷静な頭では考えられない動き。
常の自分であれば取らないような行動。
何故そのような事をしたのかがわからない異常極まりないような出来事が起きているはずなのです。
(なにかの手違いで詩集に栞を挟んでいれば良いのですが……それ以外に考えられる事はあるでしょうか?)
私はノートを取るふりをしながら何てことはない日常だった昨日の事を振り返る。
顔には一切出さないように気をつけて、それでも頭の中は昨夜から何度も考えた事をなぞるだけに思考が回転する。
(私は詩集を片手にしてエクサスさんの隣に座って質問があれば答えるという形でした。特に何も問題は無い平穏な時間だったはずです……)
付きっきりで教えていたというよりは見守っていたと言ったほうが良いでしょう。
いつもは無駄に自信満々な彼が眉間にシワを寄せて小さくなりながら唸る姿は大変可愛らしいものがありました。
そんな彼を見ながら軽く解説をしたり暗記するポイントを説明したりと過ごしていたわけです。
(要点になるような箇所を後で説明するために教科書に栞を挟んだりもした記憶はあります……ありますが……)
念のため全ての教科書を確認もしましたがそこに目的の物はありませんでした。
まぁ、教科書に栞が挟まっていたなんて事だったら今の私はこんなに苦しんだりはしていないわけです。
(……直近で読んだ本……『現代における領地経営と騎士の責務』、詩集、教科書、そして『トルメニの百合』……)
これらの中でまだ調べていない物は図書室の蔵書である詩集しかありません。
つまり、そこを調べれば私の問題は解決する。
これは自明の理と言っていいでしょう。
私は深呼吸をしてざわつき続ける心を何とか平静に保ちます。
そうして、いつもよりも遥かに時間の進みが遅い授業を受けるのでした。




