私情と事情と純情と-7
彼が口にした相談事。
その内容ははっきり言ってそんなのわかるかと言う物であった。
「愛を信じてくれるか?それはあなたが愛するというメイドとの事ですか?」
「そうだ」
少しだけ憂いを含めた表情で彼が口にするのは苦悩だった。
この短い間にも色々な表情を見せ、果たしてどれが本当の彼なのかそれがわからない。
その中でも今の表情は彼の真に迫っていると感じられるものだった。
「そもそも、お袋から縁談を強制させられた時、俺は断固として拒否するつもりだった。俺には彼女に捧げる愛しかないのだからと。だが、その当の彼女が縁談を進めるようにと言ってきた」
つまらなそうにそっぽを向くサボニスさんの横顔は寂しそうだった。
「ハッキリ言ってショックだった。そんな話は断ってとヒステリックに叫んで欲しかった」
愛を捧げている女性が何よりも自分を信じてくれていない。
それが彼の心に大きな傷を付けたのだろう。
「彼女は俺の事は好きじゃないのか?そう不安になった。情けない話だが自信が無くなった」
「はぁ……」
「俺は彼女を妻に迎えたい。周囲が許さずとも関係が無いと話を進めたい。だけど俺はこうも考えちまった」
彼の心を縛る大きな要因。
それは取り巻く環境でも何でも無い。
彼女の心がわからないから。
「俺が結婚を迫ったとしたら、あの人は断りようが無いんじゃないか?ってな。最初に受け入れてくれた時も……もしかしたらそうだったのかもしれねぇ……」
自身が持つ立場、権力、それらに付随する強制力。
それらは時として自分の意思とは無関係に効力を発揮してしまう。
愛する女性の意思を蔑ろにしてしまうかもしれないという疑念。
そして、今までも彼女の意思を無視していたのかもしれないという恐怖。
それは私如きでは計り知れないものだろう。
「彼女は俺の事が好きでも何でもないというのにクランベリーの家という力によって俺の妻になってしまうかもしれない。そんな事を考えたら結婚の話を俺から言い出すことができなくなっちまった。もしも、彼女から強く求めてくれれば……そう思っちまう。情けない事を言ってるのはわかってるけどな」
自分から言い出してしまうと彼女の意思を無視してしまうかもしれない。
だから彼女の方からサボニスさんを受け入れて欲しい。
彼女からアクションを起こしてくれれば、自分が捧げる愛を信じてくれれば恐れる物は何も無い。
そう彼は苦しそうに吐き出した。
「話はわかりましたが私に言えることなど無いと思うのですが……」
「どうすれば彼女が俺を信じてくれるか、そのためのちょっとしたアドバイスで良いんだ」
縋り付くような目。
飄々とした態度とは裏腹にそこには切羽詰まった感情が見え隠れする。
余裕を持ち他人を煙に巻く道化師の姿ではない彼がそこには居た。
「はっきり言ってこんな事を周りに相談はできねぇし、したとしても考え直せと言われるだけだ。貴族として考えれば俺が馬鹿な事を考えてるなんてのはわかってんだよ。だから、断ることを前提とした話はいらねぇんだ」
確かにサボニスさんと関係性が深い者であれば恐らくは止めるだろう。
メイドという立場にある女性を妻に迎えるなんていうのは外聞も良くない。
大貴族の妻となれば女性の資質も問われる。
単純に愛し合っているからでは立ち行かないのが貴族という者。
普通に考えればサボニスさんが言っている事は大貴族の次期当主としては失格だ。
クランベリーの周囲に居る人間であればあるほど、否定の意見しか出て来ないだろう。
そんな事は彼はわかっている。
「どうすれば彼女が受け入れてくれるかを聞きてぇんだ。無責任な言葉で良い。第三者からの話を聞きてぇんだ」
自分が貴族として常識外の事を言っているのか彼もわかっている。
そうだとしても彼女を迎え入れるためにどうすれば良いか。
身分違いの女性へどういうアプローチをすれば良いのか。
その意見を聞かせて欲しいと彼は言う。
「……本当に無責任な事しか言えませんよ」
「それで良い。リバイス卿も言っていた。何も忖度がない言葉だからこそ気づけた物があったってな」
彼と関わりが薄い私がかける言葉はどうしたって無責任な言葉になる。
本人がそれで良いと言ったとしても果たして本当に良いのだろうかと思案してしまう。
リバイス卿の時もそうだったが、男女の仲は難しい。
あの時、私は恐らくは間違えた。
結果的に問題がなかっただけだ。
今回もそうなるとは限らない。
それが少しだけ怖い。
何も言わないという事もできるだろう。
余計なことを言って恨まれてしまう可能性も考えれば、恐らくはそれが正しいはずだ。
だけど、眼の前の彼の表情がその選択肢を取らせてくれない。
切実に苦悩する人が私を頼りにしてくれたのであれば、私は何も言わずに去る事ができない。
結局、サボニスさんの言う通りに私はお人好しなのだろう。
「ふぅ……わかりました。ですが、私が出来るのは」
「“あくまで私の意見を伝える事だけ”だろ?」
「……そうです。わかっているなら良いのです」
私が前口上のように述べることが多い予防線。
そんな事まで知られているという事に驚くが、表情を変える事はしない。
そう何度も手玉に取られてたまるかと。
これから相談に乗ってあげようという人に対しても牽制するなど人が悪いと一瞬思ったが、きっとこれはそういう事ではない。
遠回しにこう言っているんだ。
“建前は良いから本音を言え”
私が考えた事をそのまま伝えるようにと彼は言っているのだ。
(まぁ、サボニスさんがそう望むのであればそうしましょう。というか、私には本当にそれしかできませんし)
腕を組み、頭の中で手に入れた情報を整理する。
彼と彼女の関係。
大貴族の次期当主とお付きのメイド。
何故、彼の愛を信じることができないのか。
(純粋な愛を捧げる男性とそれを信じることができない女性……いえ。違いますね。これが恐らく違います)
きっと、彼が勘違いしている原因はこれだろう。
そもそも答えは出ているというのにそれを邪魔する物がある。
彼が無意識に目を逸らしている事実。
認めたくない現実が彼の目の前に霧を作り出している。
「あなたの言う事はわかります。立場の強い者からの求愛は一種の強制力を伴ってしまう。それでは本当の意思ではなくなってしまうのでは無いかという懸念」
「そうだ。俺は彼女に対してはいつでも真摯でいたい。彼女の心を無視する事などしたくは無い」
傲慢であるのが一般的であるとさえ思える大貴族の中において、彼の考えはとても善良だ。
人心を見抜く慧眼。
人の懐に潜り込む才能。
利害を調整するための立ち回り。
彼の心の内を覆い尽くす軽薄な態度に隠されたそれらの才覚がまさしくクランベリー家の当主に相応しいと私に告げている。
だが、こと愛する女性に関してはそうではなかったようだ。
現実的であるべき外交を司る貴族とは思えないほどの理想論。
そう、理想論だ。
彼女の意思を尊重したいというのは彼の立場を考えればあくまで理想でしかないのだ。
それを認めたくないという思い。
その理想が彼の思考を縛り上げている。
彼を縛る目に見えない強固な鎖がある。
逃れられない。
認めたくない。
そんな物は無いと信じたい。
だけど、認めざるを得ない呪縛。
これから告げる私の言葉はそれを断ち切るわけではない。
見えていないその鎖を直視させるだけの事。
「あなたの考えは素晴らしいものです。ですが、それは現実に即していない甘い戯言でもあります」
「……」
「どれだけ言葉を並べようとあなたにはクランベリーの次期当主という立場があり相手にもメイド、言ってしまえば平民という立場があります。そこから逃げることはできません」
「……耳に痛い言葉だぜ」
彼が認めたくないのは自分と彼女にある身分という壁。
彼らを定義する一つの因子である外的な立場。
彼は貴族である。
彼女は平民である。
結局はそれに尽きる。
彼がそれをどれだけ厭おうとも変わらない。
周囲に対して気にしないでくれと言われても、そんな事はできはしない。
「あなたはメイドの彼女が愛を信じてくれないと言いましたが、それは勘違いです。彼女はあなたからの愛をこれでもかと言うほど信じているはずです」
「では何故!」
「わかっているのでしょう?彼女はあなたが目を逸らした物を見据えているんです。お互いに立場という物があるという現実をしっかりと見ているのです」
サボニスさんの愛を受け入れてしまえば数多の困難が押し寄せてくる事になる。
それを一番理解しているのは彼ではなくてメイドの女性という事だ。
彼がどれだけ真摯になろうとも大貴族とそのメイドという立場が変わることはない。
逃げることはできない。
「幼い頃からのお付きの方なのでしょう?それこそクランベリー家が担っている重責も痛いほどよく知っているはずです」
「……っ」
「愛は清く尊い物ではありますが、それだけで全てが丸く収まるものではありません。あなたの愛する女性はそれを理解しているのだと思います」
彼女がサボニスさんを愛していればいるほど。
大切に思えば思うほど。
自身を妻に迎える事によるあらゆる弊害が脳裏を掠める事になるはずだ。
愛しい男性の足を引っ張ることになるという事実を誰が受け入れられるだろうか。
「大切な人だからこそ、あなたの言葉を受け入れられないのです」
想い人が自分のために傷付いていく道を歩む。
誰もが選ぶであろう普通の道があるというのに。
ただ、自分ではない人を伴侶として選んでくれれば良いだけの事なのに。
それをわかっていて、誰が自分を選んで欲しいなどと言えるだろうか。
「サボニスさん。あなたは彼女の心を尊重したのでしょう。それは決して悪いことではありません」
もしも、サボニスさんが彼女の意思など関係がないと強引に迫る人間であれば問題はなかった。
メイドを妻にする必要など無いのだから。
愛人や妾として囲えば良いだけだ。
だけど、彼はそれを良しとしなかった。
「あなたの想い人はサボニスさんの立場を尊重した。これもまた正しいことです」
もしも、メイドの女性が権力に目が眩み、打算でサボニスさんと付き合っているだけならば愛を囁かれて頷かない理由が無い。
そうすれば一躍彼女は大貴族の仲間入りなのだから。
女性ならば一度は夢見る成功物語。
だけど、彼女はそれを選ばなかった。
どちらも自分だけの事を考えれば良かったのかもしれない。
しかし、二人はそうではなかった。
どちらもお互いの事を大切に思っている。
両立しない良心がすれ違ってしまったのだ。
「それじゃぁどうすれば良いってんだ!あんたもやっぱ諦めろって言うのかよ!」
「諦められないから悩んでいるのでしょう?」
「そうだよ!諦められるってんならこんな話はしねぇんだよ!」
テーブルを叩いて彼が慟哭する。
諦めれば良いと誰もが言う。
諦めるべきだと彼女も言う。
だけど、諦められないのだと彼は言う。
そうなれば取れる方法は一つしかない。
「ならば諦めなければ良いのです」
それこそが現状を打開する方法。
認めたくはなかったとしても、ただ一つの彼にとっての正解。
恐らくは彼が最初に考え、そして野蛮だと投げ捨てたはずの貴族としての解答。
「そもそもですが、あなたは私にこう言いました。“彼女がどうすれば愛を信じてくれるのか”と」
「……あぁそうだ」
「そうです。あなたは“彼女を伴侶とするべきかどうか”を私に聞くのではなく。彼女を伴侶とする前提で話をしました」
結局のところ、どのような結末を望むか。
それによって歩く道を決めるしか無い。
彼には幾つかの道があった。
彼女と別れる道。
彼女を妾として囲う道。
そして、彼女を正妻とする道。
彼が悩んでいたのはどの道を選ぶべきかという話ではない。
最初から歩む道は決まっていたのだ。
私に話をする以前から彼の心は既に決まっていたのだ。
だったら、その道を歩むしかないだろう。
「彼女が愛を受け入れるも何も無い。あなたは既に決心していたはずです」
「っ!!」
「あなたが彼女が欲しいなら。彼女を妻としたいのであれば、我を通すしかありません。彼女の意思を踏みにじる事になったとしてもです」
「しかし……それはあまりに独りよがりだ!そうしたくないからこそっ!」
「それ以外の道は無い。それを薄々自覚しながら目を逸らした。それがあなたの弱さです」
彼が望んだのは甘く幸福な理想。
微塵の迷いもなく、胸を張って二人は愛し合えていると言える。
そんな未来。
だけど、そんなものは無い。
どうしたって彼は貴族で彼女は平民。
この前提が覆ることは無い。
無い事をサボニスさんだってわかっていたはず。
ただ、目を逸らしているだけなのだ。
「確かにあなたが強く求婚をすれば彼女の意思を捻じ曲げてしまう可能性はあります。それを自覚していながらあなたは結末を最初に決めていた。愛する女性を妻にするという結末を」
彼はどの道を歩みたいか、どの道を自身の結末とするかで迷っていたわけではない。
それだけは最初から決めていた。
その道を歩むことが愛する女性の意思を捻じ曲げ傷付けてしまうかもしれないという恐怖に躊躇していただけ。
全てが理想通りに進むというありもしない可能性を求めていただけ。
「お互いが想いあった上ですれ違ってしまうのは悲しい事です。一般的な人達であればこんな事には悩む必要は無いはずです。ですが、何のリスクも無く幸福が訪れるにはあなた達の関係性は複雑過ぎます」
人が関わるということは、触れ合うという事はリスクが伴う。
どれだけのリスクを許容できるかが人間関係の深さに繋がるのだと私は思う。
相思相愛であり、お互いを強く求めるほどの関係を築こうとするならばそれだけ大きなリスクを背負うもの。
勿論、その分リターンが大きいものになるのだろうけれど。
「自らも傷つき、相手を傷付けてしまうかもしれない。そのような可能性を受け入れるしか無いのです。あなたはクランベリーの次期当主なのですから」
彼の顔から苦悩の色が抜けていくのがわかった。
結局、彼は背中を押してほしかったのだろう。
例え間違いの可能性があったとしても、その答えを選んでも良いのだという自信が欲しかった。
私がかけた言葉は絶対的な正解ではないし、確実に幸せになれるというものじゃない。
だけど、傷付いたとしても傷付けたとしても、一緒にいるという選択は間違いじゃないと私は思いたい。
「苦労はさせても後悔をさせない、傷がついても癒やしてみせる。そうして絶対に幸せにする。そんな気概が必要なのだと思いますよ」
だから私は彼の想いを肯定しよう。
仮面の下に隠された本当の顔を見せてくれた道化師の背中を魔女が押そう。
「強引すぎる男性は嫌われてしまいますが、時には強引さも必要らしいですよ。“黙って俺についてこい”とね」
私の言葉を聞いて数瞬。
彼は弛緩して椅子に座り込んでいた。
天井を仰ぐように宙を見つめている。
一体彼は今何を見ているのか。
それは私にはわからない。
頭の中では目まぐるしく色々な事が脳裏をよぎっているのかもしれない。
しばらくして、こちらを向いた彼は憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。
「そうだな。あんたの言う通りだ。俺は覚悟が足りなかったのかもしれない。逃げていたんだろう。傷付く事も、傷付ける事からも」
「とは言え、私の言葉はあなた達が相思相愛という事が前提です。それを考えればメイドの彼女に断られてあなたが盛大に傷つくだけだった。なんていう未来も面白そうですね」
「ハハッ……ハハハハハッッッ!そんな未来はありえねぇよ!俺と彼女がどれだけ愛し合ってるか事細かに語ってやろうか?」
「普段ならお断りですけど時間はまだ少しあるみたいです。惚気話に少しくらい付き合ってあげるのも一興かもしれませんね」
噂とはあてにならない物。
数多くの浮名を流しているという放蕩息子が話してみれば一途な愛に悩んでいるなど誰が思おう。
人は見かけによらないし、話してみなければわからない。
憂鬱でつまらない一日になると思った今日が思ったよりも楽しい一日になるのと同じように。
何事も蓋を開けるまでわからないものです。
彼が幸せそうに甘ったるいエピソードを語る。
笑いながら、楽しそうに、この世で一番幸せそうに。
その姿が眩しくて私も思わず目を細めて微笑んでしまう。
ここまで愛されている女性が幸せにならないわけがない。
私はそう信じて疑わないのでした。




