私情と事情と純情と-1
「リフィル。私が何を言いたいかわかっているかしら?」
ある日、目の前に居る女性が真剣な顔をして私にそう言った。
こめかみを引くつかせているその顔は正直珍しい表情というほか無い。
十数年、毎日のように顔を合わせているがここまで怒りを明確に表現している姿は私の記憶にはなかった。
元々美しいと評判のその顔をに浮かぶ怒気と視線は馴れていない者であれば凍り付いてしまうだろう。
だが、私にとってはそこまでのものではない。
ここまでの怒りは珍しくとも怒られた事自体は数え切れないほどある。
何故ならば、目の前の女性は私の母なのだから。
トライア・ラインズ。
それが私の母だ。
私を睨む切れ長の目。
結い上げた黒い髪。
優雅に佇む姿は見るものが見れば女神のような美しさである。
しかし、その女神も一度怒ればその恐ろしさは尋常ではない。
この家で一番怒らせてはいけない人物。
その人物が明らかに怒りに打ち震えている。
肩を震わせるその姿から相当な怒気を孕んでいることが容易に察せられてしまう。
しかし、私にはその理由がわからなかった。
(お母様は何を怒っているのかしら……)
食後のティータイムを楽しみながら他愛のない歓談をするのが常であるはずの時間。
いつものようにお茶を楽しんだ後は読書に勤しもうと思っていた私は母に呼び止められて現在進行系で謎のお説教を受ける事となった。
隣りにいる父は苦笑してそんな母を見ているだけで止めようとはしない。
父は基本的に私に甘い。
かなり甘い。
その父が傍観するということは母が私を問い詰めるだけの理由がそこにはあるはずなのだ。
(なにかあったでしょうか……思い当たる節が何もありません……)
理由があるはずだけど私としては何故そんな視線を受けながら詰問を受けなければいけないのか全くわからなかった。
わからないのだから、そう言うしか無い。
「わかりません」
ピキぃと音がなったかと思う程に空間が凍る。
私の言葉を受けて母の怒りは一層燃え上がってしまったようだ。
青筋を立てながら母が更に私へと問いを投げかける。
「先日の夜会……あなたは誰をパートナーとして連れていきましたか?」
ここまで言えばわかるだろうと、態度がそう示していた。
腕を組み。
指先がトントンと一定のリズムを刻む姿からはどうかして冷静さを保とうとしている事が伺えた。
(これは本当に相当お怒りです……真面目に考えなければ……)
母が指摘したのは数日前に行われたラインズ家と懇意にしている貴族の夜会でのことだろう。
年頃の子息が居るというその貴族の夜会に出席しなければいけなくなった私は愛用している虫除けを使うことにした。
私にそこまで魅力がなくとも有力者の娘というだけで寄ってくる虫は居るのだ。
そもそも私は夜会が好きではないし、面倒な相手と相対することも嫌だったので最近はその虫除けに頼り切りであった。
これが効き目は抜群だし、使い心地も中々に良いのだ。
もしも普及すれば余計なアプローチに困っている淑女は諸手を挙げて喜ぶことだろう。
「今回もエクサスさんにパートナーはお願いしましたけど……」
つまり、私が頼みやすく、話しやすく、他の男性が話しかけづらくなるような立場の人に同行をお願いしたのだ。
「どこの!世界に!夜会に元婚約者を同伴する女が居るのですか!」
嘆きながら大きな声を出す母。
元々母は感情豊かであるがこうまで取り乱している母を見るのは久しぶりだ。
「ダメでしょうか……?」
「ダメに決まってるでしょうが!リフィル!あなたその前の夜会もエクサス君を連れて行ったわね!」
「エクサスさんも予定が空いていたようなので頼んだようなそうでなかったような……」
母の言葉に視線を宙に逸しながら思い浮かべてみれば、もっと回数があったような気もするがそれは言わないほうが良いだろう。
「まぁまぁトライア。そう目くじらを立てなくても」
「あなたは口を挟まないで下さいな!どうせリフィルの味方をするんですから!」
私の援軍になろうとした父がバッサリと切り捨てられた。
母の想像は間違いなく当たっている。
本当にどうしようも無い場合を除けば父は私の味方になるという事をよくわかっているのだ。
「良いですかリフィル。私も彼が婚約者であれば何も言うことはありません。あなたとエクサス君はもう婚約者ではないのです。あなたがそれを選んだのです」
「それはわかっていますが」
「いいえ。あなたはわかっていません。良いですかリフィル。あなたは以前と違って結婚相手を探さなければいけない立場になったのですよ」
母が言うことはわかる。
私は今や独り身だ。
今までとは違って自分のためにも家のためにも新たな相手を探さなければならない。
とはいえ、それはまだもう少し先の話だと私自身は考えていた。
しかし、母はそうは思っていないようだった。
「有力者の夜会というのはあなたに興味を持ってくれている殿方達と繋がりを作れる場所という事です。だというのにあなたの隣にエクサス君が居たら誰も来なくなるでしょう」
「それは……その効果を期待して一緒に来てもらったわけですから……」
「それがダメだと言っているのです!」
まったくもって反論の余地が無い。
はっきり言って悪いのは私。
次の夜会にはエクサスさんを連れずに一人で行くしか無いかと深くため息を付く。
しかし、事は母の怒りはその次元を超えてしまっていたようだった。
「あなたがそういう態度であるのはわかりました……放っておけばノラリクラリと逃げ続けるでしょう」
母が私へと指を突き刺しながら高らかに叫ぶ。
「このトライア・ラインズが命じます!リフィル!あなたはお見合いをするのです!」
唐突に告げられた言葉。
それは予想外であり想定外であり可能であれば避けたい突発的なイベント。
未来への態度が消極的な私に業を煮やした母が取った手段はあまりに強権的であったのだった。




