降りかかる火の粉は噂とともに-6
窓の外には鬼が立っていた。
いつも見せる尊大だが優しく、周囲を安心させるような人とは同一人物だとは思えない。
暗い影と感情を背負った鬼が佇んでいた。
「……話は聞かせてもらった」
その声は私が聞いた事がないほどに怒気に溢れていた。
大きな声を出している訳ではない。
語気荒く叩きつけるように言葉を吐き出す訳でもない。
それでも、静かに口から滑り落ちただけのその言葉に未だかつて無い怒りが含まれている事をその場に居る誰もが理解できた。
恐らく、彼が憤っている大きい理由は自分自身に対してだ。
目の前に居る女達の本性を見抜けなかった己に対して最も大きい怒りを感じているのだろう。
だけど、それは私がそう思っただけだ。
エクサスさんの視線を受け止めている彼女達は、それが自分達に向けられている怒りだと思った事だろう。
「エっ……エクサス様っ!」
「何故っ!?窓の外っ!どうしてそんなところに!」
「どういう事!?エクサス様がここに居るの!?」
キュリーとその取り巻きたちが驚愕する。
全員が視線を窓の外へと向けて、信じられない物を見たかのように声を上げた。
それはそうだろう。
ここは私と彼女達が話し合う場であり、そこに件の貴公子が居るはずなんて無い。
彼は理由がなければ図書室の外壁に静かに立っているなんて事は無い。
私達が話しているすぐ後ろの窓の外に張り付いて、死角で盗み聞きなんて事をする人ではない。
誰かに言われなければそんな事をしないわけで、それを今しているという事は指示をした人間が居るという事。
「……っ!リフィル・ラインズぅぅぅ……あなたの仕業ね!」
キューリーがこちらを睨む。
ハメられた事に気づいたのか、先程まで機嫌よく饒舌に語っていた人物とは思えない。
その言葉を私は冷静に受け止める。
特に否定する理由も無いからだ。
「そうです。私がエクサスさんを呼びました」
キューリーは今更ながらに気づいた。
私が唯々諾々と頭を下げるような人間ではないという事に。
だけど、もう遅い。
「この……女っ!」
「あなたは認めたくないみたいですけど私とエクサスさんは友人同士なのです。緊急の要件があると言えば後輩の指導を切り上げて駆けつけてくれる程度には親しい間柄なのですよ」
図書室から校庭は良く見える。
授業が終わった後に自主的に訓練している生徒の姿を見ながら本を読むなんていうのはよくある事。
今日も自主訓練に励む生徒達が汗を流していた姿が見えていた。
そして、その中によく見知った一際体格の良い貴公子が居れば目につくというものだ。
だから、私はエクサスさんが校庭で後輩たちに指導している姿が見えていた。
キューリー達との対話を諦めた時点で私はこの結末へと話を進めていた。
そのためにはエクサスさんにこの場所へ来てもらわなければならない。
だから、彼をここに連れてきてくれるように頼んだのだ。
他ならぬ可愛い後輩に。
「あれあれあれ~?どうしたんですかキューリーせ・ん・ぱ・い!なんか顔真っ赤ですよぉ~化粧厚すぎるんじゃないですかぁ?まるでトマトみたーい!うけるー!」
「小娘ぇ……っ!あんたがエクサス様を……っ!」
「え?なんですか~?きこえなーい?なんて言ってるのか聞こえないですよー!もっと声張らないとぉ~ほら、もっとお腹に力をいれて!がんばれ!がんばれ!」
ニヤニヤと笑いながらエクサスさんの後ろから顔を出したのは先程途中で図書室を出ていったティピカだ。
遠慮も何もなく全開でキューリーを煽り立てる姿はとても楽しそう。
サドっ気全開の彼女の姿は傍目に見れば無邪気な少女にしか見えないが、実際は邪気が溢れて仕方がない。
いつもなら程々にしなさいと諫める所だけど、今日の所は好きにさせよう。
私が頼んだ仕事をしっかりとこなしてくれたのだから。
何てことはない。
私がした事は単純だ。
関係ない事を喋りながら私の指示が書いたメモを渡すだけ。
『エクサスさんを静かに図書室の外の窓側に待機させて下さい』
ただ、それだけが書かれたメモ。
だけど、敏いこの子はすぐに理解しただろう。
私が戦う気になったという事を。
「この……卑怯者っ!あんたは魔女よっ!身も心も醜い魔女!これだから平民なんて信用できないわ!」
キューリーが私に対して声を荒げる。
大きな声を出しているのは同じでも当初と意味合いは大きく違うだろう。
私を威嚇するためではなく、私に何とかして抗うために声を張り上げている。
彼女は理解して怒っているのだ、私の罠に嵌ったという事を。
それは正当な怒りではあるが、同時に負け犬の遠吠えでもある。
エクサスさんがこの場に居る時点で勝負は決したのだから。
「あなた、こんな事をして恥ずかしくないの!」
「人を騙すなんて!最低の人間ね!」
「あぁ違うのですエクサス様!違うのです!」
取り巻き達も色々な事を口走っている。
それはそうだ。
まさかこのような事に巻き込まれるとは思っていなかった事だろう。
いつも通りにキューリーに付き従って平民に罵声を浴びせて気持ちよくなろうとしていたのだろう。
だけど、今日はいつもと違ったという事だ。
その言葉を私は真正面から受け止める。
聞くに耐えない罵声が浴びせられても私の心は凪のように静かだ。
何故なら、そんな事は誰よりも私が自覚している事だからだ。
「あなた達の言う通りです。私は卑怯者です。私は恥知らずです。私はあなた達を陥れました。その全てをエクサスさんは見ています」
彼女達の言葉は感情的ではあるが真実だ。
何も間違った事は言っていない。
私はエクサスさんとの親交を利用して彼女達を陥れた。
それが事実なのだからいくら罵倒してくれても構わない。
だけど、彼が見ていた物は私の所業の他にもう一つある。
彼女達は私のことよりもそれを気にしなければいけない。
「そして、彼はあなた達が平民を見下す特権意識に凝り固まった貴族だと言う事も当然見ていました」
私の言葉に今まで囀っていた彼女達の口が閉じる。
この場で起きた一部始終をエクサスさんは窓の外で見聞きしていた。
だから、私が目の前の彼女達を罠に嵌めたという事をエクサスさんは理解しているし、それと同時に彼女達の本性がどういうものであるかも理解したのだ。
「リフィルの言う通りだ。私は全てを外で聞いていた」
その顔は怒りか、それとも慕ってくれていた女性達の本性を知ってしまった悲しみか。
それは私には判断ができなかった。
「エクサス様!このような平民の女の言うことを信じてはいけません!平気で人を騙すような女なのですよ!」
「そうです!この女は卑怯者です!卑しい身分に相応しい卑怯者なんです!嘘ばかりついているのです!」
「この魔女にエクサス様は騙されているのです!考えて下さい!高貴な私達とこの下賤の女のどちらが正しいのか!」
「澄ました顔をしていますがその内心は醜い悪魔なのです!」
その言葉を聞いてもエクサスさんが静かに首を振る。
「私はリフィルの事をそれなりにだが知っている。彼女は理屈っぽく、計算高く、恐ろしい女だ。目的を達するためなら泥に塗れる事も気にしない。そういう人間だ」
「……っ!そうです!そうなんです!この魔女は恐ろしい女なのです!」
「だから、この程度の事で私のリフィルに対する印象は変わりはしない。手段を選ばないところなど、むしろリフィルらしいとさえ思うからだ」
ただ、静かにエクサスさんは言葉を紡ぐ。
その言葉に私は軽く頷く。
恐ろしいという評価とかイマイチ納得しかねるところはあるけど、ここは彼の話を聞く事にしましょう。
「それよりも私が怒りを感じているのは君達の方だ」
温度のない冷たい目がキューリーたちを射抜く。
今まで表明していなかった怒りの対象が明確になった事により圧力が一定方向へかかったかのように感じる。
「私は平民だという理由で人を殊更に見下す人間が嫌いだ。私達貴族は民が居るからこそ生かされている。その意識が無い者に抱く感情は嫌悪以外にありはしない」
今まで彼が怒った場面を見たこともあったし、悲しんだところを見たこともあった。
だが、今彼の表情から読み取れるのを一体なんと表現したら良いのだろうか?
相手に対する全ての感情が凍りついたかのように冷たく静止した心がそこにはあった。
「ちがっ!違うのです!私達はハメられたんです!」
「この魔女がっ!私達を騙しただけなんです!」
「嘘です嘘です!全部この魔女の嘘なんです!信じてはいけません!」
事、今になって彼女達は自分達が置かれた立場を理解した。
もう取り返しがつかないほどの醜態を晒してしまったのだと。
だから、私がトドメを刺してあげようと思う。
「いえ、全部本当ですよ。私が卑怯者の魔女である事も。彼女達が驕り高ぶった貴族だと言う事も本当です」
嘘など何一つも無い。
いくらでも私を罵倒してくれても構わない。
私の行為を正当化する気もないし、私が優しく良い女だと偽る気も無い。
それと同様に彼女達が口から吐いた言葉も本当の事だ。
「エクサスさん。あなたは私と彼女達。どちらの言葉を信用しますか?」
当然の事をわざわざ口に出して確認してもらう事とする。
一瞬の躊躇をする事もなく憮然とした表情で彼はこう口にした。
「当然、リフィルを信用するに決まっているだろうが」
わかりきっていた答えだ。
言ってしまえば彼女達はエクサスさんにとって何者でも無いのだから。
恋人でもなければ友人でも無い。
そして私は恋人ではないが友人ではある。
どちらの言葉を信用するかなんて言うのは子供でもわかる問いかけ。
だけど、あえて言葉にして貰った。
彼女達に現実を突きつけるために。
エクサスさんの冷たい視線とはっきりと告げられた死刑宣告にも等しい言葉に俯き無言になるキューリー達。
これが私が彼女達にできる制裁。
彼女達は私だけではなく多くの民を見下し、ラインズ家を侮辱した。
であれば、反撃されて然るべきだろう。
「私は争いごとは好きではありません。避けられるならば最大限に避けようと考えています。しかし、ただ殴られる趣味もありません」
私が反撃する事など考えていなかったのだろうか?
反撃があったとしても彼女達が行ったように罵声を浴びせるくらいだと思ったのだろうか?
それは甘い考えだと言わざるを得ない。
今まで彼女達が行っていたように明確に自分よりも身分が低い者であれば一方的に殴れていた事だろう。
貴族というのは下位の者に対して無条件で使える見えない武器を持っている。
嫌な話だが身分とはそういう物だ。
だけど、その武器は同等以上の立場の相手には通用しない。
私はこの国を支える大商会の一つであるラインズ家の娘だ。
身分が平民だろうと勢いを失いつつあるヤゴラ家程度に恐れる必要など無い家柄。
そして何よりも、私達ラインズ家は他貴族からの不当な圧力を跳ね除けるためにカリニオン家と親密になったのだから。
彼女達が自慢気に振り回す武器など私にとっては子供が玩具の剣を振り回している事と同じ事なのだ。
「平民に殴り返されるとは思いませんでしたか?」
私が気弱な令嬢であればそうなっていただろうが現実は無情である。
敵対者と認定したなら私は加減はしない。
やるならば効率的に相手にダメージを与える。
この場合に彼女達が一番傷を負うであろう事はエクサスさんに嫌われる事。
だから、彼の目の前で被り続けている豪奢な仮面を剥いであげた。
そして、私としてはそれだけで十分かと思っていたがここにはキューリー達を潰そうと動いた人物がもう一人居た。
「あ~あ、エクサス先輩に嫌われちゃいましたね~。かわいそ~。惨め~。あっ!でも、違うかなぁ?嫌っちゃったのはエクサス先輩“だけ”じゃないですもんねぇ~」
そう言ったティピカの後ろには直前までエクサスさんが指導していた後輩たちが居た。
十数人の生徒が窓の外には揃っていた。
その光景に彼女達は絶句する。
そこには男も女も平民も貴族も居た。
彼等の共通点はエクサスさんが指導していたという事。
熱心に指導してくれていた尊敬する先輩が急に指導を打ち切って校舎の壁に張り付いていたのだ、誰だって気になるだろう。
気にはなるがその先輩に近づくなと言い含められていたので遠巻きに見ていた。
そんな彼等をエクサスさんの存在を隠す必要が無くなった時にティピカが手招きして呼び寄せたのだ。
「なっ……なんですの!これはどういう事ですの!」
窓の外にいる彼等がキューリー達へと白い目を向ける。
「こんな人居るんだね……」
「これだから貴族ってのはよぉ、くそがっ!」
「こらこら、これは特殊な例でしょ。大体、それを言ったらエクサス先輩だって貴族よ。単純にあの女達が最低だっただけよ。ヤゴラ家ね。覚えたわ」
「うむ。貴族という事であのような者達と一括りにされたくはないな」
キューリー達への非難を口々にする後輩達。
この追い打ちは想像以上に効果的だろう。
何故なら、エクサスさんが直々に面倒を見るような後輩は言ってしまえば将来有望な若者たちだ。
彼等はしっかりと目撃してしまった。
私を罵倒する姿を、醜く言い訳する姿を、罪を認めず足掻く姿を。
見てしまったからには彼等はその情報を他の人へ共有するだろう。
“キューリー・ヤゴラとその周辺の女はろくな奴ではない”
このような噂が流れるのは止められないだろう。
誰だってハズレくじは引きたくないし、友人知人に引いて欲しくはないのだから。
果たしてこのような噂が流れてしまったとしたら、そんな人間を好意的に見る人が果たしているだろうか?
親交を深めようとする人物自体が減るだろう。
それはつまり、この学園で交際する相手だけではなく、家の力を高めるような優秀な人脈を作る事が困難になった事を意味する。
彼女達が噂を広めるのはやめてくれと言った所で聞く者など居ない。
もしも、止められる者が居るとすればそれは私かエクサスさんだ。
だが、当然私は止める気はない。
エクサスさんが慈悲を見せるかどうか、それだけが彼女達が助かる道だが私が口を出すことはしない。
私の予想ではエクサスさんもかなり立腹しているようですから、やんわりとは止めるが強くは止めない。
その程度に落ち着く気がします。
「リフィル・ラインズ……っ!この魔女がぁ……!」
俯き、拳を握り私の名前を呪詛を込めて呼ぶキューリー。
だが、それだけだ。
この女に出来る事はそれだけ。
声を荒らげても、髪を振り乱しても、涼しい顔をする私を憎らし気に睨みつけても何にもなりはしない。
だから、私が気にする事は何も無い。
つまり、これで話は終わりだ。
「何か言いたい事があればこの場でどうぞ。言いたいことを言った後は私には二度と関わらないで欲しいものです」
彼女達の怒りがどれだけ向けられようと私には痛くも痒くもない。
そもそも私はこの人達と接点が無い。
彼女達が一方的に絡んできて一方的に攻撃してきて一方的に負けただけだ。
多数の生徒の前で無様を晒したキューリー達が図書室から逃げるように出ていく。
その背中に声をかける者など居ない。
こうして、私に不意に降り掛かった災難は終わりを告げたのであった。




